愛されているとかいうこと
また前の投稿からかなり時間が空いてしまった。
いまだに私は狩りに励んでいて、でも日常の小さな進歩としてはしごとをはじめた。週に3日、月にたった79時間だけれどニートにとってはまぁ進歩ということにしてほしい。
今月のテーマの好きな寿司ネタは私が決めた。
この共同のnoteをやることが決まって、毎月のテーマを交代で決めていこうね、という話になった時から私は絶対にこれを使おうと思っていた。
時に理由はないけれど。
トップバッターにだいこんがすごく読み応えのあるものを書いてくれたので今回は違うことについて書く。
最近入っているDiscordのサーバーに新しいチャンネルができた。
その名前は、恋。
チャンネルの説明は、インターネットより素敵なこと。
名前の通りにみんなが思い思いに恋について書き込むところで、好きなひととうまくいっているひともそうでないひともそこにはいる。
そこにいるとき私も恋や愛について考える。
私はボーダーなので、愛されているということがどういうことなのか分からない(これは症状として普通にあるものらしくて別に不安ではない)。
正直なところ(周りのよくしてくれるひとたちには申し訳ないと思いつつも)私が愛されているなと心の底から実感できるのはこの世にふたりしかいない(ひとりは可愛くてたまらない同い年の女の子、もう一人は以前交際していたひとなんだけれど先日結婚する旨を伝えられ、愛とは、となっているので保留かもしれない)。
自分から相手に向ける愛についてはとても敏感で今日も、私がどんなにあなたが好きかちゃんと分かってる?と詰めてしまったくらいなのだけれど、相手からの好意にきちんと向き合えない。
口先だけだと思っているとか、裏を勘繰ってしまうとか、そういう不安は一切ないのだけれどきっといつか好きじゃなくなってしまうんだろうなと大好きな相手なのに信用できなくなってしまう。
あちらは私に寝息を聞かせてくれるくらい心を許してくれているのに。
いつか心の底から愛されているという実感を持てる相手がたくさんできるだろうか、そもそもたくさんいたほうがいいのだろうか。
残念ながら私はお世辞にも頭がいいと称せるタイプではないので考えても分からない。
あともう眠剤を飲んだので頭も回らない。
もう3時になる、明日は母の日だからケーキも焼きたい。
スマホの向こうの寝息を聞きながら今日はもう寝よう、難しいことは明日考えよう。