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救いについて

今日はじめて1週間、5日の出勤しかしていない仕事をクビになった。
正確にはまだ退職ではないのだけれどもう仕事には行かない。
具体的に書くのは避けるけれど、トラブルとか仕事ができなかったとかではなく契約のときに不都合があった、という感じ。
ただこの1週間ほぼ1年振りに仕事をして(1年前も夜職だったので昼職なんて3年はしていない気すらする。)、元々終わっていた精神に拍車がかかってもうお手上げ降参の参った状態だったので正直クビを言い渡されて助かった節がある。

鬱病は早起きによって改善される、なんていうけれどそんなものは幻想で実際は起きている時間が増えるに伴い病む時間も増え、朝から病んでしまったという自己嫌悪でさらに病むという最悪のサイクルが出来上がるだけだと思う。
鬱病に効くのは結局休息であり、思考時間を潰してくれる睡眠しかないという学説ないですかね。

さて。
私はある小さなきっかけがあって18歳の頃から宇多田ヒカルさんを敬愛しているのだけれど、彼女の曲 Play A Love Song にこういう一節がある。

"友達の心配や生い立ちのトラウマはまだ続く僕たちの歴史のほんの注釈"

なんと、なんという救いか。
誤解を恐れずにいうとすれば、私は周りに心配をかけまくって生きている。
何度メンヘラを起こし深夜に山のようにLINEを送ったことか、自殺を匂わせる電話をしたことか。
散々迷惑をかけ疲弊させてきた。精神疾患がある以上、現在進行形で今だってさせている。
ただこのフレーズは(私なりの解釈・受け取り方ではあるけれど)、
それら全ての過去はあなたを語るうえで決して無視できるものではないけれど、それがどのようなものであってもこの瞬間からの未来の方が大切で、あなたがあなたであることに変わりはない。
と言ってくれているような気がする。
こんな救いがあるのか。
少なくとも私は何度もこの歌に救われ、何度もまた頑張ればきっと大丈夫だと思わせてもらっているし、声が届く範囲の身内にはあなたの今までがどんなものであってもわたしは変わらずあなたが好きで過去よりも一緒に過ごせるこれからの方が何百倍も大切であることをきちんと伝えていかなくてはな。と思わせられる。
各自救われて行けば効率のよい世の中だと思うけれど、人間は人間が救えるということも分かっているので散々救ってもらってきたので少しは誰かを救ってみたいとも思ったりしている。

ダラダラと書きすぎてまた1000字を超えてしまったのであるかもしれない続きはまたそのうち、この話がしたくなったときに書く。

ニートに舞い戻ったので更新頻度がたかくなるかもしれない、というフラグだけ立てておいて。

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