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休符

 そろそろ絵を描きたい、描かなくちゃとずっと思っているつもりだけど、「紙を用意して鉛筆を握る」というたったそれだけのことが、どうしても胸がざわざわして、できない。
 去年の冬ごろからなんとなく心身の不調を覚えはじめて、絵を描くペースが落ちた。暖かくなれば復活するだろうと高をくくっていたが、そういう状態になってから気づけば半年が過ぎていた。

 それでもたまにノートを開くと、月に1個や2個は落書き程度に何かしら描いていて、自覚しているほど全くダメではないらしい。ゼロではない、ならばきっとまだ“大丈夫”なのだろう。
 “大丈夫”というのは要するに、自己責任の範囲を超えていないということだ。大丈夫なんだから自力でなんとかしなくちゃいけない。私には助けを求める権利がない。
 だけどこれじゃ生活にはならない。収入という意味でも、アイデンティティを保つという意味でも。

 心身不調といっても、何か診断がついたわけではなかった。薬は貰ったけれど。
 しんどさは確かにある。あるけれど、パートの仕事には行っているし、家事も多少はできているし、食事もとれている。完全じゃないけれど、それは昔からそうだから。5段階の2みたいな、平均は超えてないけれど1でもない、微妙なところにいる。

 そう、絵が描けなくなるだけのはっきりとした理由が思い当たらないのだ。ただのスランプじゃないの、と言われたら否定するだけの材料が足りない。情けない。

 体調不良は言い訳?創作活動から逃げている?私はもっと“普通の人”と同じように色々できなくちゃいけないはず?
 悩む暇があったら手を動かすべきなのだろう、そんなことはわかっている。でも、これは気持ちの問題じゃなくて頭のバグのような気がする。気がするだけ?

 どうせ今日もさわれない道具を、ずっと机に並べたままにしている。ペンも絵の具もいったん片付けたけれど、鉛筆だけはしまったら終わりな気がして、ずっと出しっぱなしだ。馬鹿だと思う。参考書を買っただけで満足している受験生と同じようなものだ。

 人様の絵を見ても、憧れとか悔しさとかいわゆる創作意欲とかをなんも感じなくなってしまって、すてきだなあとは思うけれど、それで終わる。悲しい。絵がどんどん離れていく。離れているのは自分なのだけれど。

 私にとって絵を描くという行為は一体なんだったっけ。描けなくても生きている?ずっとこのままでも私は生きていることになってしまうの?

 自分を騙しながら半年も経ってしまった。このままずっと、死ぬまでまともに描けない日々が続いてしまうのだろうか。怖いのは絵を描けなくなることよりも、いつか絵のない人生を受け入れて生きてしまえそうなことだ。そんな人生でいいわけがない。
 万が一終わりにするならするで、跡を濁してはならない。私はひとりで描いていても、ひとりで創作活動をしているわけではないのだから。

 休符であってほしい。描いていなくてもまだ創作の途中なんだよ、まだ終わらせたつもりはないんだよ。見苦しい悪あがきで構わない。続けるのが難しくても、絶対にやめることはしたくない。


左手
閃輝暗点
無題

 直近の絵。4月は比較的頑張れていた。
 5月の絵、描かなくちゃ……。

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