
【試し読み】3話連続公開! 第2話「ぼくのおとうと」(『ラストで君は「まさか!」と言う 傑作選 トパーズの誘惑』より)
累計35万部突破の大人気シリーズ『ラストで君は「まさか!」と言う』が、ついに文庫化されます! シリーズのなかから傑作だけを選び抜いた、衝撃のラストが楽しめるショート・ストーリー集です! 今回はそのなかの1篇、「ぼくのおとうと」を無料公開します。
【ぼくのおとうと】
弟のリクが生まれたのは、僕が三歳の夏だった。僕は小さくて、うちに新しい家族が増えるなんてことは考えもしなかった。だから、お母さんが生まれたばかりのリクを病院から連れて帰ってきた時、僕はちょっと……ううん、すごくびっくりしたんだ。
「この子の名前はリクっていうの。仲よくしてね、ソラ」
「うん。いいよ。僕の弟なんでしょ?」
僕はお母さんの腕に抱だかれた小さな弟をのぞき込んでそう答えた。
リクはちっちゃくて弱々しくて、目を離はなしたらすぐに死んじゃいそうに見えた。そのくせ、目も鼻も口も、小さい手の指の先までぜんぶ、ちゃんと人間の形をしているんだ。
「甘いミルクのにおいがするね」
僕は、リクの柔やわらかそうなほっぺに触ってみた。どんな感じかなって思ったんだ。そうしたら、お母さんは「ダメよ、ソラ」と言い、リクを抱いたまま立ち上がった。
「僕、リクと遊びたいんだもん」
「まだ赤ちゃんだからすぐには遊べないの。もう少し大きくなったらね」
お母さんはそう言って、リクを柵さくのある小さなベッドに寝かせた。
リクはびっくりするくらい大きな声で泣く。手足をモゾモゾと動かしたり、柔らかい体をねじって顔を赤くしたり。たったそれだけのことなのに、お母さんはいつまでも飽きずに眺ながめている。そっとなでたり、優しい声であやしたりするんだ。
リクが生まれるまでは、いつも僕のことを見ていてくれてたのに。
僕はしょんぼりして椅子に上がり、柔らかいクッションに顔をうずめた。
「やきもちを焼いてるんだろう、ソラ?」
会社から帰って来たお父さんがからかうように言った。胸がチクチクする。
「そんなふうに言っちゃダメよ」
お母さんがそう言って立ち上がり、僕を抱き上げてくれた。
「心配しないでね。私もお父さんも、あなたが大好きよ」
優しいお母さんの腕の中で、僕はなんだか泣きそうになった。
リクが生まれて三回目の夏。僕は六歳になっていた。
涼しい高原へ遊びに出かけた僕たちは、森の中の静かなキャンプ場で楽しい時間をすごしていた。お父さんはバーベキューの準備をして、お母さんはテーブルにごちそうを並べている。僕はひと時もじっとしていないリクの見張り番だ。
「リク! 僕にボール投げて! リクってば!」
「あっ。あそこ、なんかいる! あれなあにー? パパー。ワンワン?」
僕とボール遊びをしていたリクが、後ろの森を指さしてお父さんに聞いた。リクが見つけたのは、藪にひそんでこっちを見ている尻尾の太い動物だった。
「お、野生のキツネだ。コンコンだな。近づいちゃダメだぞ、リク」
お父さんが次々とお肉を焼きながら、僕たちを振り返って言った。
「もうすぐ夕飯だぞー」
「リク。ほら、ダメだって。ボール遊びの続きをしようよ」
僕はリクの袖を引っ張ったけど、何かに夢中になった時のリクは僕の言うことなんて聞きやしない。イヤイヤして足を踏ん張っている。
「ヤだもん! コンコンみるもん! コンコン!」
僕はカチンときてキツネを追い払った。
「ほら。あっちいけ! シッ! シッ!」
「コンコン、いっちゃった……。もっとみたいよう!」
リクが駄々をこねた。僕だって、時々は弟の面倒を見るのがイヤになる。
「じゃあ、好きにして。僕、もう、知らないよ!」
僕はお父さんのところに走って戻り、焼けたお肉を見て大はしゃぎした。
「わーい! お肉! お肉!」
「ソラの大好物だもんな。今日はいっぱい食べていいんだぞ」
お父さんが僕を見て楽しそうに笑う。お母さんも、僕の写真を撮りながら笑った。
「はい、ソラ、いい顔ね。今度はリクと一緒に並んで撮ろうか。リク、おいで」
カメラを持ったままあたりを見渡すお母さんが、不安そうに言った。
「ねぇ、リクがいないわ。どこへ行ったのかしら」
「なんだって?」
お父さんがはじかれたように顔を上げ、森を振り返る。
お父さんとお母さんは真っ青になってリクを探した。だけど、どこにもリクの姿はない。夕暮れ迫せまる深い森が、小さなリクをすっぽりと隠してしまったんだ。
太陽がしずみかけていた。森の奥は、すでにうす暗い。すぐに夜がやって来るだろう。
「どうしよう。あの子にもしものことがあったら」お母さんが泣く。
「リクは好奇心の強い子だから、もしかして何かを見つけて森の奥へ……」
お父さんがハッとしたように言った。
「キツネだ! キツネを追ったんだ!」
キツネ……。僕の心臓がドキンと大きく鳴った。僕が、リクの見たがっていたキツネを追い払ったからだ。そして、リクをひとりにしたから……。
本当は、僕はちょっとだけリクが邪魔だった。お父さんもお母さんも、リクのほうがかわいいんだって思うことがあったから。だけど、リクがいなくなっちゃうなんてイヤだ。
当たり前のように、僕の隣にいたリク。毎日一緒に遊んで、いっぱい楽しい時間をすごした。小さなプールで水遊びしたり、虫の声を聴ききながらお散歩したり。遊び疲れて、夜はふたりでぐっすりと眠った。リクの明るい笑い声が大好きなんだ。
リクが心配でたまらない。どこへ行っちゃったの? リク。
その時、森の木々をザワリと揺らして風が空き地を吹き抜けた。森を見つめていた僕の頭に、リクの姿がよぎる。キツネを追うリク。あの小道から森の奥へ入って――。
「お父さん、お母さん、リクはあっちの森の中だ!」
僕は大きな声で叫んだ。ふたりがおどろいて僕を振り返る。
「ほら、リクの声がする。助けを呼んでる。僕には聞こえるんだ!」
言葉で伝えられないのがもどかしかった。お父さんとお母さんの耳には、いつだって僕が「ワン! ワン!」と吠えているようにしか聞こえないんだから。
「きっと、ソラが何か気づいたんだわ! 私たちを案内しようとしているのよ!」
僕は耳を澄まし、鼻を上にあげた。森のにおいがする。キツネやほかの動物、草や湿った土……。風に乗ってふわりと流れてくるリクのにおいを、僕はハッキリと感じた。
「こっちだよ! ついて来て!」
僕は脚で草をけり、リクのいる場所へ向かって全力で駆け出した。僕にしか嗅ぎ分けられないリクのにおい。小道にリクの帽子が落ちている。やっぱり、ここを通ったんだ。
ついに僕は、斜面から足を滑すべらせ、藪に引っかかって泣いているリクを見つけた。
僕は「ワン! ワン!」と鳴いてお父さんたちを呼んだ。僕を振り返るリク。
僕が近づくと、リクは安心したのか、声をあげて泣きはじめた。ぬれたホッペをペロペロとなめてあげると、しょっぱい涙の味がする。
リクが、しゃくりあげながら僕を抱きしめて言った。
「だいすき。ソラ」
僕も大好きだよ、リク。やんちゃだけど、かけがえのないかわいい弟。本当に助かってよかった。きみは人間、僕は犬だけど、これからもずっと仲よく遊ぼうね。
笑顔になったリクを見たらものすごくうれしくなって、僕はいっぱい尻尾を振った。
★お読みいただき、ありがとうございました。
★ほかの作品もございます。ぜひ、製品版でお楽しみください!