高校時代を追憶するような
2024年11月10日
Fujifabric Nonfiction 20th anniversary 3man SPECIAL LIVE at OSAKA-JO-HALL
一生忘れられない音楽を受け取った。
5年前、フジファブリックの15周年大阪城ホールライブは行かれなかった。総くんの故郷で、満席にするために精力的に活動してて、フジファブリックとして初の大阪城ホール公演だったから、めちゃくちゃ行きたかった。2019年10月20日(日)って日付までちゃっかり覚えてる。でも、長野の高校生にとって、大阪は遠すぎた。行かれなかった分、Twitterでライブレポを見て布団の中でセトリ順で聴いた。
高校生の頃、まわりに似たような音楽の嗜好の人はいなくて、それが逆に優越感だったりして。私はこんなに素敵な音楽を知ってるんだぞって、密かに胸を張ってた。ひとりきりの生物室でフジファブリック、くるり、アジカンを聴く時間があったから生き延びられた日もあったりして、そんな彼らが、あの、大阪城ホールで楽しそうに笑ってるなんて、これは夢でしたか?
この記憶だけでこれから先のどんな困難も乗り越えられる気がする。
アジカンのドラムの音で会場全体が息を呑んだ瞬間から、笑顔に満ち溢れたフジファブリックが退場していく瞬間までその全てを忘れたくない。一分一秒たりとも忘れたくなくて、書き留めたい。書き留めたいけど、上手く言語化できなくて、その言語化できなさもすごく大切で心に刻んでおきたい。矛盾した気持ちが押し合っているけど、とにかくとんでもないものを見た。「本物」だった。身体の震えと涙と笑顔がとめどなく溢れた。
高校生の私。なかなかいい趣味してるじゃん。
嗚呼、私を生きててよかった。
フジファブリックとくるりとアジカンが大好きでよかった。
総くんは、フジファブリックは幸せなバンドだなって言ってたけど、私は幸せって言葉では表しきれないほどフジファブリックに救われてきたんだ。フジファブリックが存在して、活動を続けてきてくれたことに本当に頭があがらないし、金澤さん、総くん、加藤さん、志村さんから生み出されるフジファブリックの音楽があるからこの世界を嫌いならなくて済んだんだよ。本当に彼らの言葉も音楽も立ち振る舞いもすべてが、伝説だ。
そして、音楽はつくり続けていくって、並大抵な気持ちじゃ言えないと思うけど、柔らかな雰囲気で口にしてくれたこと。心の中でまた会いたいって思ってていいんだって、ほっとして、温かくなった。
東京に行ったら、たくさんフジファブリックのライブに行くぞって意気込んでたんだけどね。私が東京に行く1ヶ月前に活休なのは、流石にびっくりしたけど、その分他のアーティストのライブとかにたくさん行って、いろんなものに出逢いたいな。
YouTubeに転がってた志村さんの
歩きながら、悩んで、楽しく一生終わるまでやっていけたらいいんじゃないかな、って言葉。
それを体現したライブだった気がする。