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02-05-2020 娘の誕生日の話

イギリスでシャーロット王女が生まれた約1時間後、我が家にも小さなプリンセスが誕生した。

予定日は5月11日だったので、2日はちょうど県外に住む幼馴染家族が遊びにきて、たこ焼きパーティーをしようなんて呑気に話していた。ちょうど0時過ぎた頃、明日に備えてお風呂に入ってさぁ寝よっと思っていたら、シャワーを止めても、ちょろちょろと股から水分が止まらない。え?これ破水じゃない?と夫婦であたふたしながらも産院へ電話をすると、夜用のナプキンをあてて、とりあえず来てもらえますかと言われ、夜中に身支度をして産院へ向かった。

初めて分娩台に上がる。いつもの診察台ではなくて、緊張していたと思う。
陣痛などはなく、出産直前までつわりはあったものの、体調はすこぶる良かった。
「この綿棒で今から検査しますね。もし出ている水分が羊水だった場合は、綿棒の色が黒っぽく変色しますからね、そしたら破水してますよー」と当直の助産師さんが茶色から黒の綿棒の写真の図を見せて、私でも分かるように説明してくれた。
結果、あまりにも真っ黒の綿棒にふたりで笑い、破水してるねーと割と穏やかな会話だった。

破水してしまうと、赤ちゃんが感染症を起こしてしまう危険があるので、産むしかない。とりあえず、夜中なので明日の午前中から出産に向けて準備をするので、このまま入院ですと言われた。夫に足りないものを持って来てもらって、朝会おう!と約束して私は入院。夫は不安そうだった。
ふと、明日のたこ焼きパーティー断らなきゃと思って、幼馴染に電話をする。すでに実家に帰ってきていた幼馴染一家は、すごく驚いていた。というのも、たこパの約束をした時に、私たちがいるうちに生まれればいいのにーと言われて、えーー早いよ、やめてよーと会話をしていたので、本当になったねとメールをした。

朝になって、院長先生が私の診察をして、昨日助産師さんが説明してくれた通り、このままだと赤ちゃんが感染症を引き起こす危険があるから、これから出産をしますと言った。まずは、全然子宮口が開かないので、今からバルーンを入れるねと。徐々に膨らんでいく風船を入れて、子宮口を開こうという処置らしい。なんとも違和感があって変な感じだった。
朝もお昼も普通にご飯は食べたし、今から出産をする実感がない。
あまりにも心の準備ができてなかったというのが本音だと思う。初産は遅れると言われているし、10日近くも早くなるなんて!そんな私の気持ちをよそに、午後から促進剤を徐々に点滴で身体に入れて、陣痛を人工的に起こして出産をすることになった。友達がそれで産んだ時に、私が怖がるといけないと思ってあまり深く説明してくれなかったので、普通に出産するより苦しいことを悟っていたのもあって、あーやだー怖いーと不安になってくる。

最初は笑って会話をしていられるような違和感程度のものが、徐々に促進剤の量が増えて行くとともに痛みが強くなってくる。よく、次の出産のために痛かったことを不思議と忘れるとかいうけど、今これを書いていても、その痛みが思い出されて、心臓がばくばくしてくるほど、今まで体験したどの痛みとも違うなと思った。一番の痛みかどうかと聞かれるとわからないけど、確かにすごく痛いし、何より苦しい。
夫がそんな私の横で、居眠りをしたり、さらっとチョコレートを食べたりして、イライラさせてくる。出産の時に奥さんに感謝してもらえる旦那さんってどれくらいいるんだろうかなんてことを考えながら、泣いたのを思い出した。(そして思い出しむかつき 笑)

あまりに痛がる私を見て助産師さんの1人が(苦手だなぁと思っていた人)、「もしかして、るいさん、痛みにすごい弱い?」などと言ってきて、キレそうになる。人工的に陣痛を起こされていて、お産をすぐに控えた妊婦にそれを言うか?と思っていると、あまりに早いペースで痛がるからナースステーションの横の部屋に移るように指示される。もちろん歩いて移動なので、背中を丸めて少しずつ歩いてみるものの痛くて足が止まる。そんな私にイライラする助産師さん。そこへ後に私のお産を担当してくださるベテランのお産婆さんが通り、「彼女、あまりに痛がってるからもう分娩台に連れてって!」と指示をしてくれた。(神!)その後やっとこさ分娩台に上がった私の元へ、すぐにかけてつけてくれたその方が私の子宮口を触り、「もう全開でしょ!何やってたの!」と例の助産師さんを叱りつけてくれた。(すんげぇスッキリした!)

いざ、出産となり、夫は立ち会い出産を希望していたのですが、この産院、以前立ち会いした旦那さんの中に、気絶してぶっ倒れて顎を割るほどの大怪我をした方がいたとかで、パニックを抑えるために、産まれる直前にならないと夫だとしても呼んでもらえません。
私は助産師さんたちの入れ替わりの時間帯に産むことになったようで、10人近くのスタッフさんが来て色々準備をしてくださったり、励ましてくださったり、お世話をしていただきました。
私はすでに子宮口が全開だったこと、そして娘がまだ小さかったこと、なのにめっちゃ元気で、自ら出てこようとしてくれてたことがとても良かったのもあり、夫はすぐに呼ばれて、慌ててローブやハットを着て来た様子でした。少しでも何か役立つことをさせなくてはと複数いた助産師さんのお一人が、旦那さん、お茶飲ませてあげて!と言って、ペットボトルにストローを入れたものを差し出してくれた、夫。でも、一口で終わるほどしかお茶入ってない!これ、部屋で飲んでたやつ!新しいやつ持ってきてねって言ったじゃん!とコントみたいなことになってしまったのを鮮明に覚えています。(そして未だにいじります。)
出産後、先生が教えてくださったのですが、スーは今まで経験したお産の中でもとにかく自ら出たいというパワーのすごい赤ちゃんだったようで、分娩台に上がってからは30分かからないほどのスーパー安産と言われるものでした。

出て来た瞬間、お産を担当してくれた副院長先生がすぐに抱き上げて私に娘を見せてくれて、手を繋がせてくれました。まだ血だらけの娘と、一瞬だけ手を繋いで、一緒に頑張ったことを握手したような気持ちになったのを覚えています。これが娘との最初に触れ合った瞬間なので、忘れないようによく思い出しては噛み締める、最も古い思い出になります。
娘の右手、私の左手で手を繋いだので、今でもその手同士で手をつなぐ方がお互いしっくりくるみたいです。

上の写真は分娩台で処置をして少し安静にしている間、娘は青ちゃん(冷えないように)にならないように、体を温めてもらっている様子です。私は初めて撮影した娘の写真。こちらをずっと見つめていました。とってもかわいかったな。私がお母さんってわかるんだなぁと思いながら、分娩台でそのまま夕食を食べさせられました、なぜか(笑)

これが私の覚えている出産の日の記憶です。

そして、娘のスーは今日5歳になりました。すっかり大きくなって驚くほどパワフルで、口癖はお腹すいたーです。生まれて来た瞬間と全く変わらずほんと元気(笑)
娘の誕生日は毎年ちょこっとお出かけをして、おうちで夜パーティーをするのですが、今年はコロナのせいでどこも行けず、毎年出席してくれていた妹も念のためと言って来ませんでした。
少しでも何か楽しいことをと思い、娘には昨年のお誕生日にだいすきなお友達とお揃いで買ったティアラに、お気に入りで私とおそろいのマリメッコのポッケのワンピースを着せて、家の前でまたピクニックもどきを。

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娘が食べたがったスパムと海老マヨの太巻きを二種類と、いつもの星のポテトやプチトマトのマリネ、いちごにポンジュース、スーの好きなものを用意しました。
いつもは私と2人が多いけど、夫はもちろんのこと、じいじと仕事前にバースデーケーキを届けに来てくれたばぁばも参加してくれたので、なんだかんだと賑やかなピクニックランチです。
黙って食べるのも寂しいので、コロナが終息したら何をしたい?と聞けばやっぱりスーさんはディズニーランドへ行ってミッキーに会いたいと言っていました。本当だね。カカも会いたいな。

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ランチをした後はそのままお外でシャボン玉で遊ぶことになって、新しくセリアで買ったソード型のシャボン玉がなんとも当たりで、綺麗だし、たくさん出るしで大人の私たちも夢中になって遊びました。しまいには、スーにいいよ貸してあげると言われ、スーはじぃじに以前買ってもらったサックス型のシャボン玉で遊んでました。
その後、親友が愛犬の散歩と称してスーにおめでとうを言いに来てくれて、(ワンちゃんが吠えるからいい感じのソーシャルディスタンス!)一緒に久々にコンビニまで歩いて行ってアイスクリームを買いました。真夏日だったので美味しかった。毎年どこかで特別なことをしようと思っていたけれど、こうして家でのんびり何気ない日常を思い切り楽しんでみるのもいいもんだなと実感した日です。

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今は我慢の日々だけれど、やっぱり家族で過ごせることがとても幸せなのだと、触ることができて、抱きしめたり、抱きしめてもらえたり、近くで笑いあったり、たまには喧嘩したり、そうゆうことが当たり前のようでそうではないなと考えたりと、大きくなった娘を眺めながら、10歳も、15歳も、ハタチも見守りたい、絶対に。と心に誓った2020年5月2日、娘の5歳の誕生日です。

*お久しぶりです。
当日眠くて、アップしないままでいました。遅れながらアップします。
体調シリーズも完結していないまま、どうなったのかなと思って連絡くれた方、ありがとうございました!
とりあえず、家族と過ごすと決めて日々を送っています。詳細は後ほど!

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