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インクのフラッシュ(Sheen)の原理を考える

はじめに

とても不思議な、万年筆インクの「フラッシュ」現象。筆記線の縁などインクが濃く溜まる部分に、インクとは異なる色の金属のような光沢が生じる現象です。Sheen(光沢のある)とも呼ばれます。このようにインクで書いた線の色が変わったり光ることは必ずしも好ましいことではありませんが、青いインクから赤い光沢が出たり、紫のインクから黄色い光沢が出たりと、その不思議な見た目には惹かれるものがあり、仕組みについても興味深く、議論が尽きません。

フラッシュと呼ばれる現象がどのような原理に基づく現象なのか、簡単な実験も交えつつ考えてみたいと思います。
(世界的に見るとSheenという表現が一般的ですが、本稿ではフラッシュという馴染みのある表記で統一します)

"フラッシュ"の歴史

フラッシュという現象ははいつから知られていたのでしょうか。
色素は、筆記用のインク以外にも、繊維の染色など、人類と長い関わりがあります。様々な分野の文献を探せば「乾燥した色素が、水に溶けている時とは異なる色で、金属的な光沢を放つ現象」についての記述が見つかります。

この現象を初めて明示したのは、おそらくゲーテの色彩論(1810年)ではないかと思われます。(色素自体は遡ればメソポタミア文明のころには既に使用されていたので、本になっていないだけでもっと古いものもあるかもしれませんが)
同書によれば、いくつかの色素は光沢を生じることがあるとあります。

第三編 化学的色彩
(578)さてここで、ある注目すべき現象について述べておかなければならない。すなわち、その最高に飽和し凝縮した状態にある顔料、特に前述のインジゴや最高の段階に達したアカネなどの植物界から採られた顔料はもはやその色彩を表さないのである。その表面にはむしろはっきりとした金属的光沢が現れ、その中には生理的に要求された色彩がほのめいている。
(579)良質のインジゴならばどのようなものでも裂けめにすでに銅色が現われており、これは取引にあたって目じるしになる。しかし、硫酸で処理されたインジゴを厚く塗り付けるか乾かすかして、白い地の紙も陶磁皿もそれを通じて見えないようにすると、橙色に近い色が現れてくる
(580)深紅色のスペイン産の紅おしろいはおそらくアカネから調製されていると思われるが、その表面には完全に緑色の金属的光沢が見られる。青と赤の両方の色をピンゼルで陶磁皿あるいは紙の上に別々に分けて塗ると、それらの本性が再び現れてくるというのは、明るい下地がこれらの色を透かして見えるからである。
(ゲーテ「色彩論」ちくま学芸文庫 312-313頁より)

呼び名こそありませんがまさにフラッシュの特徴です。いずれの色素においても、高純度であることが要因であると考察されているのも重要。
ベニバナなど化粧品として用いられる色素の記述もあります。これは現在も流通しているものですので、実例を見てみましょう。

日本には、ベニバナから抽出した赤色素を濃縮し、口紅として利用する文化があります。これは「笹紅」と呼ばれ、水に溶くと鮮やかな赤い色ですが、重ねて塗布すること緑色の美しい光沢を生じる伝統的な化粧品の一つとして有名なものです。

動画:YouTube JKNTVより

上の動画では、器に塗り重ねられた紅が緑色の光沢を放っていますが、水に溶けると一瞬で赤色になる様子が見て取れます。乾いている時に金属的光沢があるあたりがインクのフラッシュととてもよく似ています。
取扱店がこの光沢をどのように説明しているのか調べてみたところ「純度が高いと色素の粒子が細かいので、赤い光を強く乱反射し、それにより補色の緑色が見える」、あるいは「純度が高い故に赤い色を吸収し、補色の緑色を放つ」といった具合で、科学的には今ひとつ情報不足でした。上の動画にも出てくる老舗の伊勢半本店でも、この緑色については、高純度の証と説明しつつも原理の部分については「現代の科学でもその原理は解明し切れていません」と述べるに留まっています。

ゲーテの色彩論や笹紅の製品説明の両方にて、乾燥した色素膜が独特の色で金属的光沢を持つことの原因が"色素の純度が高いこと"であると述べており、万年筆インクのフラッシュの原理もこのあたりにヒントがありそうなことが分かります。

観察事例から考えるフラッシュ発生条件

万年筆・インク界にはフラッシュについて多くの観察報告があり、それらを眺めているだけでも発生条件について以下のような傾向が見て取れます。

【発生条件】
・インク吸収の弱い材質(特にヌルリフィルのような樹脂フィルム系)に書いたとき
・黒い紙に書いたとき
・濃いインクを用いたとき
【見え方】
・ フラッシュの色は、インクの液色とは異なる
・ 金属的な光沢がある
・ 筆記線の周縁部など、インクが濃く溜まる位置に現れる
・ 色合いや光沢は、どの角度から見てもほぼ同じ

見え方のうち、特定の位置、特に筆記線の周縁部やインクだまりに現れやすい理屈に関しては、光る話とは別でコーヒーリング効果として説明が可能です。(詳細は下記の別note参照) 要は、インク液膜が乾燥していくに伴い、液中の色素が表面張力による流動で周縁部に輸送されていくということです。乾燥に伴い液中に固体が増えるほどこの現象は顕著になりますので、フラッシュしやすい色素が液中に凝集物を形成しやすい条件(濃いなど)では、フラッシュが特に周縁部に出やすいという現象がこれで説明できます。
インク液膜が均一に乾いた膜が平坦ることでも光沢感は増しますが、これはごく一般的な反射の話なので本稿では特に深掘りしません。色素によっては特に平滑面を形成しやすいものもあると思うので厳密には気にした方が良いのですが、そういった話はまた別の機会があれば。

フラッシュ発生実験

具体的に、フラッシュの「色」「光沢」について理解できるような実験を試みます。実験と言っても、残念ながら自宅には分光光度計や電子顕微鏡の類がないので、あくまで目視観察ベースです。
フラッシュを生じるインク製品を比較してみても良いのですが、そのような製品はたくさんあり、いずれも詳細な成分が非開示ですので、沢山並べて比較してみたところで原理に迫る情報は得られなさそうです。従って個別の製品を使った例示はそこそこにして、より原料に近いところで実験をします。

先述の文献も踏まえると、単に色素濃度が高いことだけではなく、色素自体が高純度であることも重要なようですので、インク製品に含まれている色素の純物質を用意すると理解が進みそうです。ゲーテの時代ならまだしも、近年では化学工業の発展により、色素分子は必ずしも天然物からの抽出を必要とせず、人工的に合成した高純度・高品質のものが流通しています。そういった構造明確なものを使えば良いのです。

これらの化学合成された高純度な色素(固体)の中でも、特に有名な工業色素(インク用ではないものも含む)の色味を、水溶液と固体、両方の状態について、下記に記載しました。

有名な色素の色味について
※表記方法
色素名:水溶液の色(固体の色)

ブリリアントブルーFCF: 水色(赤紫・光沢)
クリスタルバイオレット:紫色(金色・光沢)
メチレンブルー:青(緑・光沢)
インディゴ:青(紫・光沢)
カルサミン(ベニバナ色素): 赤(緑・光沢)
エオシン:赤(緑・光沢)
アカネ色素:深紅色(緑・光沢)

乾燥固体の状態では水溶液と異なる色と光沢を放つものが多く存在します。(これらの色素の試薬瓶の蓋を空けると、キラキラした微結晶が詰まっていてとても綺麗なのですが、全てが容易に入手できるものではないため、残念ながら写真は無し)フラッシュを生じる色素自体は、実はそれほど珍しくも無いのです。
ということでまず、このような"フラッシュ色素"のうち、入手が容易な青色素「ブリリアントブルーFCF」と、フラッシュを起こす市販インク製品を用いて、色々な比較を行いたいと思います。

【 実験① 純粋な色素を用いた場合のフラッシュの出方】◾️材料、手順
ブリリアントブルーFCF(以下、BBと呼称)は、ダイワ化成製 食用青色1号の少量サンプル Lot No. 854731A を用意。BBの5%程度の水溶液を作成し、染み込みなどの下地による影響を除外して考えるため紙ではなくスライドガラスに100μLほど均一に塗布し自然乾燥させ、さまざまな角度から観察を行なった。

ブリリアントブルーFCF  
※FCFはFor Coloring Food=食用の意味。
CAS No:3844-45-9

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ブリリアントブルーFCFの構造式 Wikipedia

構造式:ブリリアントブルーFCF(青色一号)

■ 結果
スライドガラスに均一塗布したBB色素は、透過光では青色、反射光では光沢のある赤色(いわゆるレッドフラッシュ)を示した。

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BBの塗膜を透過光で観察(カメラと正面から相対)
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BBの塗膜を反射光で観察(斜め方向からの観察)

また、PP製のディスポカップに同BB液を2mL程度を滴下し乾燥したところ、赤い光沢を持つ固体が底に残った。この固体は、空気界面側では赤く強い光沢をもち、カップに接していた側は、微マット調で弱いものの、やはり赤く金属的な光沢を持っていた。

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BB水溶液を自然乾燥して得られた固体

この固体の一部を水に落としてみたところ、勢いよく溶解し、その液は青色を示した。

動画:レッドフラッシュ固体の水への溶解挙動

【実験② 市販のフラッシュインクを用いた場合】
◾️材料、手順
市販のインクのうち、レッドフラッシュを生じるインクとしてVinta inks"BLUE BLOOD(ブルーブラッド、以下BD"を、また、イエローからライトグリーンのフラッシュを生じるインクとして、同じくVinta inks"HARLEQUIN(ハーレクイン、以下HQ)を用意。これらを用いて、トモエリバー紙への筆記及び、スライドガラス塗布を行い、通常筆記における紙上の外観と、ガラス上でのそれを観察・比較した。

◾️結果
まず、インクの通常の筆記線は下記の通り。
※筆記線が思いのほか濃かったため、紙面下方から白色LEDを照射して撮影

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Vinta inks筆記線の外観(左:透過光条件、右:反射光条件で撮影)
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Vinta inks筆記線の外観(左:透過光条件、右:反射光条件で撮影)

透過光条件では、水溶液と同じ色合いが見られた。一方、斜めから見た反射光条件においては、BDからはレッドフラッシュ、HQからは、撮影が難しいがイエローからライトグリーンのフラッシュが見られた。(黄色みもかなり強いが、以下、色味としてはライトグリーンと呼称する)

次にこれらのインクをスライドガラスに塗布。
BBの時と同じく、BD、HQともに、フラッシュの色と光沢が明瞭に観察できた。このスライドガラスに下から白色LED照明を当てると、紙への筆記と同じ色が観察された。

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BLUE BLOODとHARLEQUINのフラッシュ外観
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同じスライドガラス下から白色LED光を照射

このスライドガラスを、角度を変えて観察したが、フラッシュの色に角度依存性はなかった。

動画:BLUE BLOODを塗布したガラス(常にレッドフラッシュ)

動画:HARLEQUINを塗布したガラス(常にライトグリーンのフラッシュ)

以上の実験の結果をまとめると、下記のようになる。

BB(青色一号)・・・透過色:青 反射色:赤
BLUE BLOOD   ・・・透過色:青 反射色:赤
HARLEQUIN  ・・・・透過色:紫 反射色:黄緑

上記の色素、インク製品において、色の変化、フラッシュの発生する観察角度などに関する光学的な挙動は概ね一致した。

考察

上記の実験事実を踏まえ、フラッシュがどんな現象かを順に掘り下げていきたいと思います。

●フラッシュは、単一の色素によって生じるものである。※インク製品の成分に、フラッシュ色に相当する色素が含まれているからではない
実験の通り、少なくともブリリアントブルー(BB)に関しては、単体でレッドフラッシュが生じます。固体状態でフラッシュする色素が他にもあることを踏まえると、フラッシュというのは色素分子に固有の現象であると考えられます。
言い換えると「色素の分離によるもの」ではありません。「レッドフラッシュを生じるインク製品の中には赤い色素が含まれていて、それがが分離して赤く見える」という訳ではないということです。
ただし、フラッシュを生じうる色素が、乾燥に伴って凝集・析出するような条件が整った場合には、コーヒーリング効果で筆記線の周縁部が濃くなるため「フラッシュを生じる色素そのものが凝集し筆記線の端に濃縮されフラッシュを生じる」という意味での"分離"は起こり得ます。

● 構造色、薄膜による干渉色ではない
屈折率が周期的に変化する微細構造からの回折で生じる構造色も説明に使われがちですが、フラッシュとは無関係です。確かにごく薄い膜の光路差で生じる干渉色は、金属的な光沢と色合いを生じることがありますが、こういった現象はナノサイズの構造体の存在に起因するので、通常の筆記で生じる乾燥インク膜内にそのような構造が、筆記のような速い時間単位で、自発的かつ再現性よく形成される、というのは、単なる色素では考えにくい現象です。(そのような速さで規則パターンが形成される例自体はありますが、サイズの揃ったコロイドが液中に均一に分散しているなど、比較的厳しい条件があります)
また、構造色・薄膜干渉のどちらも、その観察される色には、構造体の中を通り抜ける光の波長・角度と密接な関係があるので、一般的には観察する角度によって色が変化します。フラッシュの色は角度によらず常に一定なので、こういったことからも、構造色・干渉色の性質からは離れています。
実験の結果から、BB単体の乾燥物の表面は平滑、裏面は微マット調の凹凸になりましたが、そのような顕著な表面形状の違いがあるにも関わらず、フラッシュの色合いは一定でした。さらに、この表面を擦ってみて荒らしてもやはり色合いに全く変化を生じませんでした(色素の塊の内部まで同じ色のフラッシュが見えます)
これらのことより、表面微細構造に起因するものではないと考える方が自然です。

色素の化学変化によるものではない
何らかの化学反応が生じて色が変わるということがあるかというのは、正確な分析をしない限り断定は難しいのですが、これもおそらく違うと思われます。乾燥したBBは赤いフラッシュを放ちますが、これを再度水に溶解すると、元通り水色になることから、少なくともBBに関しては不可逆的な分子構造的変化は生じていないと考えられます。

余談ですが一部の色素においては、色素同士が会合することで、色素単体の時とは異なる強い吸収を示す性質のものも存在します。銀塩写真に用いられるMerocyanine色素などはこの典型で、会合することで元の吸収波長から異なる位置に強い光吸収を示すようになります。この会合状態の色素は光励起によって発生した電子を銀塩結晶へ高速輸送できる性質があり、カラーフィルム写真の化学を考える上で重要な色素です。[★]
この例があるので、色素同士が会合体を形成して吸収スペクトルに影響を与えているという説は完全には排除できません。
ただ、このような会合体が形成されると、普通は水溶液状態でも色のシフトが見られるものですが、インクの場合(やBB水溶液)ではそのような変化が見られなかったので、おそらく違うだろうということです。

●屈折率、特に色素と空気界面の屈折率"差"が影響する現象である。
これはたまたま気づいたのですが、フラッシュを生じている固体は液中において面白い挙動を示します。実験の項には入れなかったのでここで一通り説明します。
BBの固体を、これを溶解しない媒質(有機溶媒など)接触させると、触れた部分の色が変化して見えます。ベンジン類、シリコーンオイル、UV硬貨樹脂(=アクリルモノマーorオリゴマー液)など、液体の種類を変えてみても、色合いの変化は同じ傾向でした。
溶媒種によらず同じ色変化(観察される色の短波長シフト)を示したこと、さらに、溶媒揮発後には即座に元の色に戻ることから、これも化学反応によるものではなく、色素表面に触れている媒質の屈折率が関与している現象と考えられます。色変化と言いましたが、より青みが増すので、ざっくり言えば短波長シフトしています。

さらに、基材がスライドガラスであることを利用すると、フラッシュが生じている色素を「裏から見る」ことができる訳ですが(通常は紙面との界面になるので観察できない)、その観察の結果、色素ーガラス界面でも、上記の接液実験と同じような、観察色の短波長シフトが見られました。

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BBを「裏面」から観察したところ
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Vinta inksを各々「裏面」から観察したところ
色味の違いは、溶媒に触れさせた場合のそれと同じ傾向であることが分かる

以上を総合すると、フラッシュとは「反射」が関与する現象であると考えるのが自然です。

● 物質の屈折率と反射率の関係(重要)
物質は電磁波(=光)に対し、波長ごとに異なる屈折率を示します。多くの物質において、入射する光の波長が短くなるほど屈折率は大きくなる傾向があります(正常分散)。プリズムを用いた白色光の分光を考えてもらうと分かりやすいと思います。
この例えにおいて、プリズムに色がついていたら(つまりプリズムが特定の光のみを強く吸収する性質を持っていたら)、その波長の光はより大きく曲がります。このような、吸収波長近傍で屈折率が大きく変化する性質を「異常分散」と呼びます。吸収される波長の光は、物質とより強く相互作用すると理解して良いと思います。
この屈折率(n)は、反射率(R)にも影響します。

R=(n-1/n+1)^2  
※この関数はn=1の時ゼロ、以降単調増加で1に漸近

光は電磁波なので、物質を通り抜けるときには物質内にある電子と相互作用して速度が遅くなります。屈折率とは光の速度が遅くなる割合のこととも言えます。

複素屈折率n*を用いると、光の吸収も含めて一つの式で表すことができます。

n* = n+ik 
(n*:複素屈折率、n:屈折率、k:消衰係数(=吸収の強さ))

以上をまとめて、ある物質に垂直に入射する光の反射率をこの複素屈折率で表記すると

R=[(1-n)^2 + k^2 ]/[(1+n)^2 + k^2]

 となり、消衰係数(吸収係数)kが大きい、つまり吸収が大きいほど、反射率も同時に高くなることが分かります。消衰係数が大きいということは、「光が物質内部に侵入(透過)できない」ことを意味します。相互作用が強いという意味でもあり、表面では反射も起きやすくなります。

色素に光が入射した際の吸収・屈折・反射の関係全てに着目することでフラッシュの色と光沢(=光の反射)の原理を考えることができるようになります。

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図を下から順に見ていきます。入射光の、ある波長において強い吸収が生じる時、その吸収ピーク波長(=青破線位置)で屈折率曲線は大きく変化し(吸収係数曲線の一次微分形)特に長波長側で大きな値を取ります。
屈折率は、先述の通り反射率と相関があるため、反射光のスペクトルは屈折率曲線のピーク波長(=赤波線)において特に高い反射率を示すことになります。
吸収が複数あるようなケースにおいては、反射光は加法混色され色が薄くなってしまいますが、ある種の色素のように強い吸収ピークが一つのみの場合は、その物質の光に対する応答はまさにこの模式図の通りになり、色付きの強い反射光が物質表面から放射されることになります。
したがって、特定波長域における屈折率の急激な変化による反射の増加がフラッシュの直接的な原因であると考えられます。

このような原理で説明できるのであれば、本実験で用いたレッドフラッシュ色素こと青色一号(ブリリアントブルー)は、「フラッシュ色に該当する赤〜マゼンタのあたりに一本だけ強い吸収があり、かつそれ以外のところにはほとんど吸収がない色素」ということが予想されます。

島津HPに掲載されている、青色一号の吸収スペクトルをお借りしてきました。

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630nmあたりに強い吸収がありますね(併記してある赤色素と黄色素は吸収が比較的ブロードなので、BBの吸収の鋭さが分かります)。
屈折率のピークは理論上この吸収ピークよりも長波長側に出ますので、相関があるとすれば、反射率のピークはおそらく650nm前後でしょうか(反射率の生データがあればピーク位置が正確に分かりますが、見つからず)。波長650nmは、赤〜マゼンタ系の色なので、BBから生じたレッドフラッシュの色と完全に一致します。したがって、上記の説明がフラッシュの原理として妥当な説明であると言えます。

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ちなみに先程の図、選択反射領域のところはフラッシュインクで書きました。せっかくなので。

冒頭の笹紅の老舗の説明「高純度ゆえに補色を反射する」は何となく惜しい感じでした。厳密には補色ではないので、言い足すと

「笹紅は(フラッシュする色素を多く含んでおり)高純度ゆえに、補色(に近い色)を反射する

といったあたりが妥当です。長い。お客さんが帰ってしまう。

ちなみに、シリコン(ケイ素、シリコンウエハなど)は非金属であるにも関わらず黒々とした外観と金属光沢を持っています。これは、シリコンが可視光全域に渡って吸収をもつため、可視光に対して高屈折率の材料であり、これに起因して可視光全域の強い反射が生じるためです。実はシリコンウエハの金属的光沢は、インクのフラッシュと本質的には類似の現象だったのです。
そういう目で見ると、上記のBB乾燥固体の裏側の微マット光沢は、シリコンウエハの裏側の、何とも言えないざらざらメタル感に近しいものを感じなくもないです。

結論:フラッシュとは

ある波長で強い吸収を示す色素において、屈折率の「異常分散」により特定の色だけを強く反射する「選択反射」が生じたもの、というのがフラッシュの科学的に妥当な説明です。

普段のインク筆記線の色は透過光(紙面からの反射光も色素に対する透過光成分として扱えます)と反射光を同時に知覚しているので、反射光のみが特に強調される条件、中でも特に、透過光成分が完全に遮断されるような条件において、最も強くフラッシュが見えるということになります。
そのような条件はつまり、
・強い光を当てること、光源と対称的な角度から見ること
・基材を黒くする(基材からの反射を無くす)
・基材で反射された光が遮断されるくらい観察対象物を厚くする
ということになります。
これらはいずれも、よく知られているインクのフラッシュ発生条件ともよく一致しますので、こういったことからもフラッシュが反射光の性質を持っていることが再確認できます。

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余談

●フラッシュという現象について、他の分野での扱い
このフラッシュという現象ですが、先のゲーテの色彩論にも見られるように、必ずしも筆記インク分野のみで認識されている現象ではないようです。
皮革・繊維の染色、また写真印刷に用いられるインクジェットインクの分野においても同様の現象が認識されており、「ブロンズ現象」「ブロンジング」などと呼ばれていることが分かりました。特に写真プリントにおいては、青色で印刷をかけた部分が赤く光ってしまうと色再現性が悪くなってしまうため忌避されており、オーバーコート等で対策を施すような特許もいくつか見られました。
この分野においても、やはりこのブロンジングは色素(顔料が多いようです)の選択反射によるものであることが原因として示唆されています。

総まとめ:フラッシュの発生原理と発生条件

フラッシュとは
●色素の吸収ピーク波長近傍で屈折率が変化し、反射率が増加することによる「選択反射」によるものである
→言い換えると「特定の色を強く吸収する性質を持った色素は、その色と相互作用する力が大きいため、反射光も強くなり、結果、補色っぽい色を強く反射する」
→更に短く表現すると「フラッシュとは色素の異常分散による選択反射」である
●これは色素に固有の現象である。分子構造できまるのでフラッシュを生じる色素は最初から決まっていることになる。
発生条件
●そのインク製品の中に、フラッシュを生じうる色素が、原料として一定濃度以上含まれている。
●紙面からの透過光を遮る条件(黒紙、and/or インク膜が厚い)で筆記する
インク膜が厚くなる条件とは、
①インクの濃度が高い、または、乾燥に伴ってコーヒーリング効果で析出した色素凝集物が筆記線周縁部に輸送される環境にある
②しみこみにくい下地(紙、フィルム等)に書く

最近は、意図的にフラッシュを生じさせるようなインクも多く出てくるようになりました。見たことのないような色合いのものも出てくることに期待したいと思います。

(余談)
本稿は、9/23万年筆の日に合わせて投稿するつもりでしたが全くもって間に合いませんでした。一応間に合ったような風でTwitterには投稿する予定です。

参考文献

Johann Wolfgang Von Goethe (木村直司訳)「色彩論」ちくま学芸文庫,(2001)

ポーラ化粧文化情報センター(4310007)管理番号POLA-2016-002 (レファレンス協同データベース)

伊勢半本店Webサイト内「紅とは」https://www.isehanhonten.co.jp

「ブリリアントブルーFCF」Wikipedia

富士フイルム和光純薬工業株式会社 SDS(安全データシート)「ブリリアントブルーFCF」

<異常分散に関する文献>
Eugene Hecht 『OPTICS』5th edition, PP.78-83, 305-306

光化学協会『光化学の辞典』㈱朝倉書店 P.17(2014) 

蓮 精『物体の色彩ー構造的見地から見たー』金属表面技術Vol.27, No.10, PP.66-67(1976) 

三宅静雄『異常分散と振動論』日本結晶学会誌 19,47 PP.47-50(1977)

黒田和男『光学材料と屈折率』精密工学会誌Vol.70, No.5, PP.(2004)

尾中龍猛『光と固体』光学 第17巻第2号 PP.90-93 (1998)

伊藤征司郎編『顔料の辞典(普及版)』PP.21-22, 100-102 (2010)

<ブロンズ現象に関する文献> 
鰐淵武雄『ブロンズ現象』色材, 38, PP231-235

DICグラフィックス株式会社HP, 色彩の扉『金赤ってどんな色?〜インキのブロンズ現象〜』

塩冶孜『印刷におけるインキと色彩効果』色材 36, PP. 486-487 

<その他の例外的な現象に関する文献:色素の会合による色変化>
宮野健次郎「色素単分子膜の量子現象:二次元励起子の典型として」光学 第24巻第9号(1995年9月)

谷忠昭 『銀塩写真感光材料におけるシアニン色素J会合体の形成と挙動』日本写真学会誌2007年70巻5号:287−294

水口仁『顔料結晶における励起子相互作用とJ会合体との関連性について』日本写真学会誌2007年70巻5号:268−277

瀬川浩司他『ポルフィリンJ会合体のナノ構造制御と機能設計』日本写真学会誌2007年70巻5号:260−267

森章、竹下齊「色素の会合性」色材, 64(1)23−28, 1991

中澄博行、福井博「トコトンやさしい染料・顔料の本」日刊工業新聞社

<その他の例外的な現象に関するもの:金属光沢のある有機物の例>
Akiko Matsumoto1, Maho Kawaharazuka1, Yutaka Takahashi1, Norio Yoshino1,
Takeshi Kawai1,2 and Yukishige Kondo1,2*
Gold-Colored Organic Crystals Formed from an Azobenzene Derivative
J. Oleo Sci. 59, (3) 151-156 (2010)

Hitoshi Yajima, Maiko Sasaki, Keiko Takahashi, Kazuyuki Hiraoka, Masato Oshima, Katsumi Yamada, "Green Metallic Luster on the Film of Safflower Red Pigment Extracted by a Traditional Method" J. Soc. Photogr. Sci. Technol. Jpn., Volume 81 Issue 1 (2018) 65-69

星野勝義『金属を使わない金属調光沢塗料』J. Jpn. Soc. Colour Mater., 88[4], 101-05(2015)

<コーヒーリング効果に関する追加論文>
土井正男『蒸発と乾燥の物理学:蒸発による液体の運動と構造形成』日本物理学会(2018)

APPENDIX:Q&A

[Q]吸収があると屈折率が変化して選択反射を起こす、という原理なら、色素と言うのは全て何かの色を吸収するのだから、すべての色素や物体がフラッシュするのではないのか。(フラッシュしない色素があるのはなぜか)
[A]フラッシュが生じるのは、主に「鋭い」吸収ピークがある場合。吸収が単色ではなく多色に渡る(吸収がブロードである)場合や、そもそも吸収自体が弱い場合には、選択反射光が弱くなるand/or加法混色により色が無くなり、弱いツヤ程度にしか、視覚的に認識されなくなるでしょう。

[Q]市販インクの混合などの簡単な操作で新しいフラッシュ色・光沢をつくることは可能か
[A]フラッシュが発生するかどうかは、色素分子の吸収特性で決まってしまうので、フラッシュしないインクを混ぜ合わせても、意図的にフラッシュを発生させることは原理上できません。
意図的に発生させるには、フラッシュを起こすことが分かっている色素を高濃度に入れる必要があります。

[Q]フラッシュインク同士を混ぜ合わせたらどうなるか
[A]透過色は減法混色で黒に近づき、フラッシュ色は加法混色で白色に近づくと思わます。ただし、実際問題として紙面上に複数のフラッシュインクが分離しないよう均一に塗布するのがまず難しいです。予熱したガラスなどの上に高速で堆積・乾燥させれば可能かもしれません。油性マーカーみたいなぺったりしたツヤのある質感になるのではないかと予想されます。

[Q]レッド系、イエロー・ライトグリーン系のフラッシュインクはあるのに、なぜ “ブルーフラッシュ”インクだけ存在しないのか
[A]原理上は、青色のみを強く吸収する(すなわち青に最も強い屈折率ピークを持ち、青を選択反射する)色素が候補になり得ます。補色である橙色の色素が候補物質ですが、おそらく、工業的に利用可能な橙色色素の中に、青のみを強く吸収するものが無いか、あるいは赤と青など複数の吸収ピークの足し合わせで橙に認識される性質のものなのではないでしょうか。フラッシュ色は加法混色のため、複数の選択反射が生じる色素の場合には、必ずしも透過色の補色でのフラッシュが発生しません。
もしかしたら、工業色素を色々(色素だけに)探したら該当するものがあるかもしれませんが、色素には人体に安全でないものも多くあるので、インクとして民生利用できる範囲で見つかるかは分かりません。
ブルーフラッシュは、もしできたら、とても人気が出ると思いますが。

[Q]そもそも筆記線の色(フラッシュ部分ではない通常の筆記線は「反射」によって見えるものなのでは? 透過と反射の違いは??
[A]一般的に、色が見える仕組みは「物質が特定の色を吸収するとき、吸収されなかった色が反射されるため、その反射光の色が知覚される」とされています。この理屈に基づけば、そもそも、青インクで書いた線が青く見えるのは、「色素が赤色を吸収し、その補色の青色が反射されるため」となります。フラッシュでは吸収色の赤色を反射すると説明したので、どうもこの辺りがスッキリしないということがあるかもしれません。
まず、紙面上のインクのような遮蔽力に乏しい薄膜の場合、上記の説明で表現されるような"反射光"の視覚への寄与はそれほど大きくありません。紙に書いたインクの色として知覚されているのは「インク層を透過した光が紙面で反射し、もう一度インク層を透過して出てきた光」です。なので、紙の上に書いた線の色は、どちらかというと透過光による色をである、というのが実際に近いと言えます。
この前提があったので本稿では基本的にインクの色は(フラッシュの反射と厳密に区別する意味でも)透過色として扱いました。
ただし、どの可視光波長においても、屈折率を持つ以上は何らかの反射が生じ得るので、反射光が全くないという意味ではありません。
※もちろん、ペンキや油性ペイントマーカーのような遮蔽力のある厚膜が形成される色材の場合は、透過成分はほぼ減衰して無くなるので、純粋にインク膜と光の相互作用のみで色が説明できるとは思います。

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