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アンチの言っていることは案外核心をついている。〜写真に向き合ったことないだろ〜
ネット上には僕のことを嫌いな方、所謂「アンチ」が存在するんだけど、「スタンスがアンチ=言っていることは間違い」って思い込みは危険だなって思いました。
写真に向き合ったことないだろ
昔アンチに「こいつ写真と向き合ったことがない」ってことを言われたんですよ。それも複数回。で、言い方があまりにもアンチの王道というか、「俺はこんなやつと違ってちゃんと写真のことわかっているぜ☆」みたいだったので、完全に僻みだと思ったんですよ。
こちとら2日に1回YouTube投稿していた時期で、毎日狂ったようにカメラを持って歩いていたので、「偉そうなこと言ってるけど、お前こそどんだけ写真と向き合ったんだよ」って感じでした。
ただね、最近衝撃的なことがあったんですよ。
昔買った写真集を久々に開いたら、めちゃくちゃ良くて。一枚一枚の写真見ながら「この写真はどんな意図で撮ったんだろう?」とか「自分はなんでこの写真に心動かされたんだろう?」とか「パット見わからなかったけど、実はこの写真こんなギミックあるじゃん!」とか、色々考えるの超楽しかったんです。
ちなみにこの写真集。色んなブログでおすすめされていて買ったやつ。
で、何が衝撃的だったかって、これを買った当時、僕は全く価値を感じなかったんですよ。いい写真だと思わなかった。思えなかった。今の感覚だと狂っているとしか思えない。
確かこれ買ったのが3年前くらいで、僕はYouTube始めて1年くらい。その当時の僕は「エモい〜」とか「映え〜」とかの、とにかくSNS受けしそうな写真にしか興味がなかった。もっというと「簡単に真似できてSNS映えしそうな写真」かな。(だとしてもこの写真集に価値を感じないのはイカれていると思うけど……)
今なら思うよ。あのアンチさん達が言おうとしたことが。
自分の見えていないものを見ている人がいる
アンチさん達の発言には、もしかしたら本当に僻み的な要素があったのかもしれない。伝え方もだいぶ失礼だったように感じる。
ただ、少なくともあの人達にはその時の僕に見えていなかったものが見えていたんだと思う。僕のダメなところが見えるから嫌いになったのか、それとも嫌いだからこそ僕のダメところがよく見えたのかそれは分からない。ただ、少なくともその視点は僕の「価値観の外側」から僕のことを見ていて、その視点はすごく核心をつくことがあると思った。
今、僕は以前よりは写真にのめり込んでいると思う。
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前よりも一枚一枚「なぜこの光景が良いと感じたのか?」を言語化する習慣がついてきたし、絵画の画集なんかに手を出すようにもなった。
でも、まだまだ見えていないものはたくさんある。僕の価値観の外側にある世界がある。
SNSをやっている本当の価値は、価値観の外側の世界を強制的にこじ開けてくれる「核心をついたアンチ」に出会えることかもしれない。
(ただ、言い方には気をつけろよ。価値があろうがなかろうが失礼は許されないぞ。)