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「写真が上手くなりたい」はなに欲?

写真が上手くなりたいんですよ。

去年1年で明らかに一段階深く写真にハマりました。写真上手くなりたい。

で、ふと思ったんですよ。「これってなに欲なんだろう?」って。

SNSを伸ばしたいとは明らかに違う。

この「写真が上手くなりたい」って気持ちは、YouTubeとかSNSを伸ばしたいって気持ちとは明らかに異質なんですよね。

僕がYouTubeやってたのって、最初はノウハウを仕事に活かしたかったからで、ある程度伸びてくると今度は「これでお金を稼ぎたい」とか「影響力を付けたい」とかの別の欲が出てきました。

このSNSを伸ばしたいって欲を分解すると…
・承認欲求
・物欲
・金欲
あたりが妥当かな?なんか、欲にまみれてますね。もちろん写真は楽しかったしカメラやレンズ大好きだけど、根本的にYouTubeやSNSを更新する原動力になったのはこのあたりな気がする。

だから「他の人に比べて自分はどうか?」とか「一番になれるのか?」みたいな部分もすごく気になっていたし、「どんなポジションを取れば一番になれるか」みたいなこともめっちゃ考えた。(ポジション取りについては、SNSを伸ばしていく上で必須なのでこれからも考えますが、以前はこれが最優先事項だった。)

それに比べて今の「写真が上手くなりたい」は、どっちかというと純粋に「楽しい」とか「先週の自分に比べていい感じの写真が撮れた」とかの、単純な「上達の喜び」的な感じなんですよね。ある意味自己満足的なやつ。これってなに欲なんだ?

(投稿する動画も、純粋に写真活動に関するものが随分増えました。)

生物としての原始的な反応かも

この感じって、育成型RPGをやっている時に近いかもしれないんですよね。

僕、ドラクエモンスターズがめっちゃ好きなんですよ。テリーのワンダーランドは子どもの頃に狂ったようにやったし、最新作も去年の年末年始にめっちゃやり込んだ。

で、僕があれをやる時って、別に対戦はしないんですよね。ただ「今よりもっと強いモンスターが作れます」ってゴールと「そのためのルートはこれです」って道順が示されると、ついついやっちゃう。

もしかしたら、僕は何か精神的な「欲求」によって写真を楽しんでるんじゃなくて、ただ「次のゴールを達成する快感」にハマっているだけなのかもしれない。ソシャゲにハマるのと同じ感じ。

自分の写真への取り組み度合いがレベルアップしたように感じていたけど、もしかしたらそれは逆というか、むしろもっと原始的な「生き物として元来備わっている反応」でテンションが上がっていただけなのかもしれない。写真という文化的なジャンルにハマっているのに、まさかの後退していたか?

生き物としての各が下がっていたのかもしれない。

あえて名前を付けるなら

自分が原始的な反射や反応によって写真にハマっているのだとしたらあまりにも霊長類として切ないので、名一杯ポジティブな方向に考えるようにしました。

僕は子どもが生まれて、めちゃくちゃ自分の承認欲求的な部分が満たされたんですよ。今までは「何者かにならないといけない」みたいな感覚がずっとどこかにあったんですが、子どもが生まれてからは「この子のお父さん以外の称号は別にいらない」ってなりました。

なので、マズローの5段階の欲求のうち、下4つはクリアしたはず。(きっとこれは本当。)

で、そうすると残りの一つは「自己実現の欲求」なんですよね。成長欲求ってやつ。きっと僕の一見原始的な反射にみえる「写真にハマった」も、きっと成長欲求なんだと思おう。そうしよう。

なので、写真が上手くなりたいって欲に名前を付けるなら「成長欲求」になる。そうに違いない。(オチがあまりにも普通すぎるので、読んでくださった方の「写真が上手くなりたい欲求」に名前を付けてコメント下さい。)

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