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テレビ朝日とTBSテレビ

教育放送「NETテレビ(New Education Televison)」を源流とするテレビ朝日。

ラジオ東京、その後「ラジオ東京テレビ」とテレビの放送が開始された「TBS(東京放送)テレビ」。

関東広域圏において「5ch」「6ch」とチャンネルは接しているが、社風は接してなさそうなこの2局。実は密接な関係、違う言葉で言えば「今のテレビ朝日はTBSの影響を大きく受けている」と言っても過言ではないお話を長くなるが、記録しておきたいので、お時間のある方々はお付き合い頂きたく。

「ミュージックステーション」「サンデーステーション」とやたら「ステーション」の名前が付く番組が多いテレビ朝日。ご存知の通り「報道ステーション(2004.4.5〜)」から取っているのは間違いところであるが、報道ステーションの前は「ニュースステーション(以下「Nステ」)」という番組があった。

ニュースステーション』(英語: NEWS STATION)は、1985年昭和60年)10月7日から2004年平成16年)3月26日まで、テレビ朝日系列(ANN)で平日祝日も含む)22時台に生放送されていた報道番組である。
テレビ朝日オフィス・トゥー・ワン(形としては企画・制作協力扱い)の共同制作。全4,795回の平均視聴率は、14.4%(ビデオリサーチ調べ、関東地区・世帯・リアルタイム)[1]。通称「Nステ(エヌステ)」、「NS(エヌエス)」、「Nステーション(エヌステーション、テレビ欄)」。

https://ja.wikipedia.org/wiki/ニュースステーション

このNステの司会をされていたのが「久米宏(以下「久米さん」)」アナウンサーである。

久米 宏(くめ ひろし、1944年〈昭和19年〉7月14日 - )は、日本のフリーアナウンサー、タレント、総合司会者、ラジオパーソナリティ、ニュースキャスター。ドイツ親善大使も務める。オフィス・トゥー・ワン所属。

https://ja.wikipedia.org/wiki/久米宏

TBSには(1967年 - 1979年)に在籍され、その後フリーになって番組を司会をされたのが前述の「Nステ」である。

当時としては、この時間帯のニュース番組は、独立U局である近畿放送(現在のKBS・京都放送)がローカル番組として1980年に開始した『タイムリー10[注 4]程度であり、全国ネットの番組では初の試みであったことから、番組の先行きに対して不安を持つ者も多かった。

令和の今となっては、22時前になったら「報道ステーションだからチャンネルはテレビ朝日(系)に」という視聴者がかなり多いが、番組開始当時は、希少なものであったとのことである。

そんなNステ。何年か経つうちに高視聴率番組となった。視聴者は22時になったら「Nステ」を視聴。同時間帯のドラマの視聴率にも影響があったと想像する。

一番大きな事件は「米国多発テロ事件」。ちょうど起こった時間がNステの放送時間帯となったのであるが、冷静にニュースを伝える久米さんと渡辺真理さんは話題になった。

さて、そんな高視聴率なNステも、2000年に入り

番組の終焉(2003年8月 - 2004年3月)
2003年8月25日、翌年春を以って本番組の放送を終了する事が発表された。久米はこの年の夏季休暇を始めたばかりだったが、この日移転前のテレビ朝日六本木6丁目本社ビル(六本木ヒルズ)で番組終了発表会見(公式には「来年(2004年)3月で降板」と発表)を開き、「十分にやった、スタミナ切れ」「2000年復帰後3年という話だったこと」ということを終了理由に挙げていた。
テレビ朝日・広瀬道貞社長は2003年9月30日の定例会見で、久米が3年ほど前から降板の意向を度々申し出ており、これ以上の慰留は出来ないと判断したため出演契約を2004年春で満了とする事で合意したことを明らかにした[17]

ということで、元テレビ朝日アナウンサーである古舘伊知郎アナウンサーに引き継がれ「報道ステーション(以下「報ステ」)」となった。

そんな経緯なので、「報道のテレ朝」なイメージは、実は「元東京放送(TBS)の久米さん」が作ったような印象である。

今のテレビ朝日はTBSの影響を大きく受けている」と言っても過言ではないお話

という理由は前述の通りである。

久米さんの影響を大きく受けたのが、現在TBSテレビアナウンサーの安住紳一郎さんなのかな?は以前、記事にしたことがある。

「表情で語る」には今もされているような印象を受けるのは、述べた通りである。

そんな影響を大きく与えた久米さん。番組最終回に以下のように話されていた。

「スポンサーは、社員の方が働いて得た利潤から宣伝費が捻出され、番組スポンサーになる。いわばスポンサー企業の社員の皆さんも、番組スタッフの一員です」

というようなことを話されて番組が終了。そんなことを話しているアナウンサーは、元TBSという事実があったことだけは、マスコミ業界を志望している人は知っておきたいことではないのかな?と思う。

さて、民間放送では大切な「スポンサー」。昨今ではこんなニュースが連日のように伝えられている。

今後どうなるのか?は予断を許さないところでるが、民放はスポンサーあってのものなので、民放で働かれている方々は、この気概を持って仕事・・・・ということなのかな?と思う。

ところで自身の感銘を受けた言葉は、前述のNステ最終回で久米宏さんが話された言葉

「日本の民間放送は原則として戦後全て生まれました。民間放送、民放は戦争を知りません。国民を戦争に向かってミスリードした過去は、民間放送にはありません」

であることを記して締めたいと思う。(了)


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