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【分割4】ゲームとしてのぱちんこ(あまりにも中途半端ですが…)

不完全なものでお金を取るのは…と思っていましたが、既に全文版はアップされており、かつ今後もマガジン内で追加・修正されることを考えると、バラ読みできない方が不便、という判断でアップします。

カジノにおけるギャンブルゲーム、ルーレットやサイコロ、あるいはスロットマシーンのように確率に従って試行の結果が出力される、完全に運によるものが「遊戯」と表記され、技術介入(たとえばパチスロにおける目押し、パチンコにおける打ち出す力のコントロール)を必要とし、プレイヤーの技術によって結果に変動があるものは「遊技」と表記される。すなわち、ぱちんこをプレイする際に用いられる「遊技」という表記は確率のみによって制御されていないことを意味する。但し、ぱちんこにおける技術介入性は、実際にプレイしている中ではほとんど出番がない。何かしらが当たった時、当たりそうな時に遊技台される指示に応える程度の技術である。

では、遊技とはゲームなのか。

『ゲンロン8 ゲームの時代』に掲載されている「[共同討議]メディアミックスからパチンコへ―日本ゲーム盛衰史1991-2018 井上明人+黒瀬陽平+さやわか+東浩紀」(以下、「ゲンロン8共同討議」)は、タイトルにズバリある通り、ゲームの産業形態がコンテンツを育てるという出版=メディアミックス文化と共に進んできたが、近年はコンテンツでなくコミュニケーションの活性化を目論むパチンコ的文化が合流した、というかたちで時代の趨勢を述べた内容になっている。東浩紀は次のように共同討議をまとめた。

東 メディアミックスからパチンコへ、というのが今日の話の柱でしたが、なぜこのような移動が起きてしまったかについて考えました。
メディアミックスは本来はコンテンツからの収益を最大化するためのビジネススキームです。そのためにユーザーのコミュ ニケーションを利用しようとした。[中略]日本ではある時期から、コンテンツそのものからあがる収益とコミュニケーションからあがる収益のバランスがおかしくなってしまった。[中略]コミュニケーションからの収益がコンテンツの収益よりもあまりに大きくなってしまうと、業界が腐っていく。 [中略]コミュニケーションで儲けようとするあまり、ギャンブルのような戦略に出ることになり、コンテンツをまじめに作らなくなっていくからです。

ゲンロン8共同討議

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4,593字
元々1本の有料記事とする予定でしたが、論点が広がり過ぎてわかりにくいと書いていても感じたので、1本にまとめた記事のほか、各章を単体で読めるようにリライトしたものとを掲載します。今後の追加記事があればここに入れます。実践記録はあんまり載せたくないですね。

ぱちんこ文化について、いくつかの視点から評論的に述べたテキスト集。攻略情報や実戦情報などは特にないです。

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