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おたよりコーナー#13で読まれました。

マイクのノイズはサヨコの仕業?どうも、神山です。

 『さやわかのカルチャーお白洲』の大人気コーナー「おたよりコーナー」の第13回にて読まれたおたよりを公開します。以前書いた六番目の小夜子についての文章を改稿したものです。

ここから!

こんばんは、神山です。いつだったかの回で、青春の話になった際に、新型コロナウイルスの流行により、1年半ほどの中高生の青春は奪われてしまい、たとえば修学旅行がなくなってしまったのは大変なことではないか、という話をされていたかと思います。今回扱うコンテンツはズバリ『六番目の小夜子』について。青春評論の回を楽しみに待っているわけですが、冬が来る前に青春の話をしておきたいなと思いおたよりをお送りします。

サヨコはいつまで宿るのか

『六番目の小夜子』は、作家・恩田陸が1992年に発表したデビュー作であり、ミステリー、ホラー、ファンタジーの要素を含んでいる青春小説である。舞台となる高校には”サヨコ伝説”という奇妙なゲームが受け継がれており、3年に1度、サヨコに指定された生徒は、その年をサヨコと気づかれずにゲームを完遂する必要がある。ゲームのコンセプトは今でいうところの変わった人狼ゲームのようなものだろうか。その高校に津村沙世子(つむら さよこ)という謎めいた生徒が転校してくるところから、物語は始まる。1年間、多くの登場人物が登場し、青春の様々な場面が描写されるが、特に重要な役割をもったキャラクターは3名である。ひとりは沙世子であり、そのほかに主人公である関根秋(せきね しゅう)と古株のクラス担任である黒川である。

秋は探偵役として、ミステリーとしての『六番目の小夜子』にアプローチするキャラクターである。今年のゲームの正体について過去の”サヨコ伝説”や目の前で展開されていく事件・事象を調査、推理し、転校してきた津村沙世子がこのゲームを終わらせる為に行動している犯人だと結論を導き出す。確かに、津村は何者かの手引きによって”サヨコ伝説”を知り転校を決心し、当初のサヨコに成り代わり今回のゲームを引き受けた存在ではあったが、動機は秋が推理した「ゲームを終わらせること」ではなく、彼女が今回のゲームをより楽しむためだった。つまり、秋は探偵として物語に幕を下ろせていない。一方で、津村も単独犯ではなく、彼女をゲームに誘った者がいる。ここで前述の3人目、黒川がクローズアップされる。彼は生徒間でのサヨコ引継ぎ失敗などに対処し、キーアイテムやサヨコ伝説を次の世代へ伝える役割をもち、津村にサヨコの物語を送ったことが暗に示される。彼が”サヨコ伝説”の黒幕ともいえる存在だったのである。単年のサヨコのゲームにはそれぞれ犯人=サヨコが存在するが、その裏で複数の世代にまたがるサヨコのゲームが存在し、そこにはゲームマスター=黒川が介在するといえる。

生徒と学校の時間のスケールの違いを扱った物語は数多くある。たとえば綾辻行人『Another』や、はやみねかおる『亡霊(ゴースト)は夜歩く』、米澤穂信の古典部シリーズ(特に第一作である『氷菓』)が挙げられるだろう。それぞれの作品で学校という場において生徒は入れ替わり続ける刹那的な存在であり、校舎、校則、伝統、伝説や七不思議、あるいは教師といったものは生徒が在学する期間を超えて数年、十数年と学校のなかで継承、継続されていく永遠性をもつ存在であるという対比をテーマのひとつに置いている。『六番目の小夜子』を含め、これらの作品はそういった二つの時間の流れのなかで、登場人物が発生する事件や事象に対して調査・推理・解決に挑むミステリーである。この登場人物による解決が、作品によっては今後の学校の在り方に影響を与え、未来に同様の問題が発生しないということもあれば、その学年については事件が解決されるものの、未来において連続性をもった事件として継続してしまうものもある。そして『六番目の小夜子』はあらすじで述べたように、黒川は存在し続け、”サヨコ伝説”は解決されていない。

黒幕が黒川という教師であることを記したが、ここに少しだけ留保がある。黒川は確かに”サヨコ伝説”の終了を防ぎ未来へ継承するゲームマスターとしての役割を担っている。では、転勤や退職により黒川が居なくなれば、サヨコ伝説は終わるのだろうか。そうではないことが、物語の頭と終わりに示唆される。ここで、真の黒幕につながる、物語の最初と最後に現れる文章を引用する。

彼らの見掛けの姿は、古びて色彩にも乏しい。もはや呼吸をしていないのではないかと思えるほどだ。しかし、そのしなびた皮膚の下には、いつも新しい、温かい血液が豊かに波打っているのだった。彼らの足元には、やや水量を増したそっけない川が流れている。そのせいか、彼らは空から見ると一本の細い橋につながれた島に見えた。彼らはいつもその場所にいて、永い夢を見続けている小さな要塞であり、帝国であった。彼らはその場所にうずくまり、『彼女』を待っているのだ。ずっと前から。そして今も。顔も知らず、名前も知らない、まだ見ぬ『彼女』を。

この文中の「彼ら」こそが真の黒幕であるということを示している。前半部のしなびた皮膚や血液、水といった喩えから、樹木のようである。舞台となる高校には樹齢100年を超える桜があることから、この桜こそが黒幕に思えるが、物語の最中にこの木は破壊されてしまう。引用文を意識して物語を読み進めると、後半部の島や要塞といったものが示しているのは、かつて城跡だった場所に建っており、四方を崖に囲まれた、この”校舎=学校”だったことが暗示される。翻って、前半の血液が生徒のことであることも見えてくる。

つまり、ゲームが永遠に続行されることを目的として、静かにうごめきキャラクターに影響を与え続けている真の黒幕は”学校”であった。犯人が人間ではなく、非生物の”学校”であること。これが『六番目の小夜子』のホラー的、ファンタジー的な雰囲気を理論的に支える真相である。"学校"はその磁場を維持するために、入学や進級した生徒の学園生活をドラマティックなものに味付けし、生徒がエネルギーを発しながら青春を送れるようにはたらきかけている存在だと強調される。終盤では”学校”の磁場から生徒が解き放たれ、憑き物が落ちていくような描写もある。生徒についてそうならば、教師である黒川というゲームマスターについても、同様にひとりがいなくなっても、誰か別の者が選出されるのだろう。そうして、いつまでも”サヨコ伝説”は継続していくと考えうる。

新型コロナウイルスの流行により、1年半ほどの学生たちの青春は奪われてしまった。修学旅行や文化祭、体育祭のようなイベントはもちろんのこと、単なる日常としての部活動や授業、登下校といったものも重要ではないとされてしまった。そういった時勢を踏まえ思い返すに、学校というものの変わらなさ、永続性というのは、かつて自身が所属していたからこそ陥ってしまう幻想だったのかもしれない。もしかすると、イベントや学校生活の制限を経験した中高生は、もはや『六番目の小夜子』にシンパシーを感じないのかもしれない。

それでも『六番目の小夜子』は学園生活の刹那性と学校の永遠性、その二つの時間の流れの違いを、単なる青春小説としてだけでなく、ホラーやファンタジー、ミステリーの諸要素によって引き立てている作品であることは間違いない。これらの要素について気付いていても、気付かなくても、この作品は面白く読めるだろう。現実ではかたちは変わっていくかもしれないが、単なる教育機関というだけではない、青春の触媒としての学校は残り続ける。

生徒たちの「いま、ここ」にしかない煌めきを浴びてもよいし、その生徒たちの煌めきを期待している"学校"のささやきに耳を澄ませてもよい。読者がページをめくる限り何度でも物語は繰り返されていくのだから。

お読みいただきありがとうございました。

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犯人が学校という考え、非生物の霊的な主体性=ホラーである以前に学校という社会が引き起こす物語であることは社会学の範疇でもある、という指摘はなるほどでした。ではでは。

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