おたよりコーナー#33で読まれました
「その先の、道へ。北海道」流行らんよな~。どうも、神山です。
さて、恒例のおたよりです。今回は北海道おたより連載だ!ついにフランチェスカとゴールデンカムイの話をするよ!ってやつ。いろいろ細かいところ重ねて論じるより、全体感について話した方がいいよね、っていうことでフィクションとか物語についての話になりました。このあたりちゃんと言語化できてないままに書いている感じはあるので、もっと詰めていきたいですね。
さやわかさん、おたより戦士のみなさん、こんばんは。神山です。いつの間にか、札幌にある和歌山のアンテナショップでもみかんを扱い始めました。食欲の秋もそこそこに、冬がやってきそうですね。今回はおたよりコーナー#31にて送ろうとしましたが、結果的に北海道おたよりになってしまった『ゴールデンカムイ』と『フランチェスカ』についてのおたよりをお送りします。前回のおたよりからもう1ヵ月経つんですね、時間の経過が早すぎる・・・。
2022年7月19日、北海道を舞台としたマンガ『ゴールデンカムイ』は単行本最終巻が発売された。北海道を舞台とする作品としては、アニメ作品中心の地域振興プロジェクト『フランチェスカ』がある。2つの作品を通して、北海道とフィクションの関係について考える。
『ゴールデンカムイ』は2014年から集英社ヤングジャンプにて連載されていた野田サトルによるマンガ作品である。日露戦争直後の北海道を舞台とし、アイヌ、第七師団、土方歳三など北海道に縁のある歴史上の存在と、主人公・杉元佐一や網走監獄の脱獄囚など架空の人物が、アイヌの遺した黄金を求めて北海道を右往左往する物語である。ジャンルは多岐に渡り、冒険・歴史・文化・狩猟グルメGAG&LOVE和風闇鍋ウエスタンという呼称が用いられていることからも、単に黄金をめぐる駆け引きを主題としているわけではなく、北海道各地を移動し文化や歴史に触れつつ、時にサバイバルを、時にグルメを、時に戦争を挟み込み、ギャグ漫画とシリアスな展開、スリリングな騙し合いやバイオレンスな殺し合いを往復するといった作風である。
『ゴールデンカムイ』の基本的な歴史は現実の北海道史に重ねられており、アイヌ史・文化についても積極的に取り入れている。その重ね方は徹底しており、巻末には道内のアイヌ研究者や博物館などの名前が列挙されるほどである。そういったエビデンスに基づいている作風にみえる一方で、大蛇や怪鳥の存在など、伝承や伝説、噂話を起点とした「物語」を根拠としている部分もある。たとえば、土方歳三について、遺骨が存在していないという史実から導かれるIFの物語を論拠とすることで、戊辰戦争での死から生還させている。つまり「史実・伝承・伝説・噂=物語」を混ぜ合わせ「人物、怪物=キャラクター」を登場させることで、作中における虚構と現実の並列を描いている。
また、キャラクターそれ自体も生ける伝説として語られる対象となることで、単なる人間ではなく、超常的な存在になるという構造をもっている。たとえば、「不死身」と名付けられることで杉元は不死身となり、「脱獄王」と名付けられることで白石は脱獄において万能となり、「不敗」と名付けられることで牛山は敗けなくなる。彼らは語り継がれることで超人的な活躍をする。作中世界に限り、様々な史実、伝説といった物語は並列のものとして扱われているのだ。アイヌが遺したとされる黄金すら、噂として存在する部分が基点となって作中現実に存在していく。第一話でアイヌの黄金について言及するキャラクターがいなければ、この物語は始まりすらしないのだ。最終話においては、虚構と現実の並列化の究極形として、現在の現実の北海道やアイヌを取り巻く自然・言説が『ゴールデンカムイ』で語られたフィクションによって支えられているかのように描いている。この終幕について、実在のアイヌは弾圧されており、遺骨の返還問題などは現在も続いているのだから、アイヌ民族・文化との関係を綺麗な物語としてほしくないという声も散見された。又、単行本で追加された第二次世界大戦を巡る短い物語でも、同様の手法が用いられている。
一方、『フランチェスカ』は北海道発のアンデッド系ご当地アイドルキャラクターとして、サブカルチャー的表現を通して北海道ブランドを広めるというコンセプトのもとで2012年に生まれた地域振興プロジェクトである。プロジェクトの一環として2014年にテレビアニメ全24話が制作された。アニメ作品としては、現代の(アンデッドがよく出る土地としての)北海道を舞台とし、北海道庁職員のエクソシストと美少女アンデッド・フランチェスカが、アンデッドとして蘇った石川啄木、新選組、クラーク、新渡戸稲造などと戦ったり仲良くしたりしながら、北海道に降りかかる未曾有の危機を防ぐというもの。地域振興プロジェクトとしては、多くの企業とコラボしオリジナル商品を展開したり、道内各所のイベントでフランチェスカブースやトークショーなどを拡げていたものの、北海道のカルチャーとして定着しなかった。アニメ終了後もラジオドラマなどで続編を匂わせていたが、結果として、元々の制作会社である株式会社ハートビットが倒産したことから、2期以降の展開は絶望的となっている。
『フランチェスカ』もまた『ゴールデンカムイ』と同様に伝説・伝承の存在を根拠としたキャラクターやストーリーの展開をすることがあった。第一話の導入では、アンデッドの多い土地であるということあわせて、北海道にまつわる伝説なども流れている。たとえば第13話「伝説の武者、見参デスカ?」は、源義経が北海道へ逃げ延びていたという義経北方伝説を用いている。「義経試し切りの岩」という観光名所がある稚内を舞台に、義経=チンギスハン説を組み合わせ、フランチェスカと源義経アンデッドが出会うストーリーである。第16話「洞爺湖には、いるんデスカ?」も洞爺湖に潜むと言われる首長竜トッシーが登場する。その他『札幌ラーメンからスープカレーへの変遷』『幸せの黄色いハンカチ』など、グルメブームやドラマコンテンツといった物語をも取り込んでいる。しかし、官民一体となり地域振興としてアニメなどのコンテンツを進行させていたプロジェクトであったにもかかわらず、北海道以前のアイヌ、先住民族や文化について深く考えていなかった。前述のように、語られる伝説は近代以降、開拓以降における物語である。
2作品に共通する事柄は、名物グルメ、新選組、戦争、伝説、伝承、不死身……など多々挙げられる。両作品ともに伝説や噂といった、事実かどうか不明確な情報=物語を作中の事実としてキャラクター化し表現しているという部分も似通っている。
逆に、共通しないものとして明確なものはアイヌに関係する事象だ。北海道を扱っていることは同じだが、『ゴールデンカムイ』はアイヌ描写を積極的に取り入れ、『フランチェスカ』はアイヌの描写を避けた。『ゴールデンカムイ』は前述した通り、研究者や博物館などが協力し、アイヌ史や北海道史、その他の専門事項に裏打ちがあると明示されているが、『フランチェスカ』にはそういった後ろ盾がほとんどない。『フランチェスカ』では戊辰戦争における箱館での戦いは描かれるものの、本来存在するはずのアイヌ民族や文化については描かれない。そもそも、アイヌ施策推進法が施行されたのは2019年5月のこと、それ以前の作品である『フランチェスカ』がアイヌを重要視していないということは、単に北海道におけるアイヌの扱いがその程度だったということでもある。プロジェクトのリソースの限界の為に切り捨てられた可能性もあが、アイヌと和人・過去と現代の功罪を取り入れる民族共生的な視点は無い。あくまで『フランチェスカ』は名産地や景勝、偉人を扱った観光的な需要に応えるためイメージを操作するためのプロジェクトだったのだ。
『ゴールデンカムイ』は実際の地名、人物、歴史や文化と密接に関わりながら展開されるフィクションであり、実在する資料館や史跡が舞台として描かれていることからも、現実とのつながりが強く感じられる部分が多々ある。結果として、現実の北海道やアイヌ、それらを取り扱う資料館や博物館、はたまた道内銘菓などといった商品は作品を通して注目を集めた。『フランチェスカ』もまた(アイヌが存在しないものの)北海道に実在する名所や名産品、人物を扱う作品であり、企業コラボした商品も複数あった。商業的に全国に知らしめる効果はなかったかもしれないが、目指したものは現在の『ゴールデンカムイ』のような広告効果だろう。
そういった広告の中では、『ゴールデンカムイ』における変態的行為や『フランチェスカ』におけるクラークや新渡戸稲造がカッコ悪さは省略される。カッコいい、カワイイ、売れている、といった都合のいい部分だけが切り取られ、宣伝に用いられてしまう。両作品が行っている物語と虚構の接続とは真逆の、作品の切り貼りによる、断片化した北海道のイメージに紐づけられていくだけなのだ。文脈を破断する都合のいい切り貼りによる暴力に抗いながら、改めて北海道の歴史や文化を考える必要があるだろう。
お読みいただきありがとうございました。
パーフェクトに宣伝です!ぼくが参加した『劇場版 少女☆歌劇レヴュースタァライト』についての卒論集という設定の評論同人誌が10月10日に発行予定です。500ページくらいで3500円というヘビー級な本となるようです。ぼくはお白洲に送ったおたよりを基に、松下さんチャンネルのスタァライト番組などを混ぜ込んだ、シラスやお白洲がなければ書けなかった”卒業論文”を掲載しています。よろしくお願いします。
では!
北海道おたより第二弾というか、これでようやく前半2部が終わったという感じですね。noteで書くって言ってた夜景回はどうした!!という声がしますが……いずれ書きます……。
北海道が内地に比べて少なくとも1000年分くらい歴史というか物語が少ないので、どうしても明治維新以降の話になってしまうんですよね。アイヌについての手つきも生半可では難しいので、ウポポイができる流れになるまでは忌避の対象だったし、ぶっちゃけ道内でもグラデーションがあるとはいえ、遠い存在なんですよね。それを日露戦争上がりの軍人や江戸時代の置き土産と組み合わせることによって、内地の歴史や北海道の歴史が断絶したものではないという風に示したのが金カムという印象。もちろん、その途中でやっている変態行為はド変態ですが。
フランチェスカは北乃カムイ(ざっくり言うとデジキャラットみたいなやつ、違うかな)と対比されることが多かったはず。ネタ以外で金カムと比較する人もいなかったと思います。一応新選組や石川啄木、クラーク新渡戸を生き返らせたというのは、金カムと同様に北海道の今の文化を江戸時代・明治時代からの接続を見せたかったのかな、その接合をフランチェスカに担わせるのは変だけど…。江戸時代、明治時代、第3の時代という金カムにおける二者択一を超えるオルタナティブな選択についても、フランチェスカも同様のことをしていると思ってはいます。
では!