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おたよりコーナー #22で読まれました

JASRACを避けながら。どうも、神山です。

今回は恒例のおたよりコーナー、いつもの評論系のトーンではなく自分語り的な叙情的な?おたよりになりました。そうだよ、こういうのがおたよりだよ!というわけで、どうぞ!


さやわかさん、カルチャーお白洲視聴者のみなさん、こんカルチャー。神山です。今回は、先日のカルチャーお白洲理論編「超初心者向け・ポピュラー音楽のわかり方⑧知っとくと便利!フォークって何」を聞きながら、自分の70年代フォークソングについての思い出話をお送りします。

実は中学生くらいのとき(15年前くらいが中1か?)から、ぼくはフォークソングが好きです。基本的に小学生の間は21時就寝で、テレビよりも小説を読む方が好きだったこともあって、あまりテレビドラマも見ないし、トークバラエティよりはクイズとかグルメ番組のほうが好きだったので、音楽バラエティなども見ず、要するにハッチポッチステーションと天てれとアニメくらいしか触れてこなかったので、Jpopなどが全然わからなかったんですね。もちろんアニメタイアップ曲は知っていますが、そこから歌手の曲を広げるという文化にもいませんでした。

その頃はピアノを習っていたこともあって、クラシック音楽は好きでした。ただ、音と身体と楽譜とを同じタイミングで処理することがうまくいかず、うまくいかないので練習も面白くなく、結果上達しないので中学生に上がるときにはやめてしまいましたが……。いまは音ゲーをチマチマやったり、楽譜を眺めたり、という感じです。ちょっと話がそれましたが、Jpopにほとんど接続しないまま中学生となり、中1の5月とか6月の頃、友人の部屋で「懐かしのフォーク&ロック全20巻」みたいなものが置いてあるのを知りました。ゲームも飽きていたタイミングで再生すると、ギターの音と若いっぽい男性の声が流れました。最初に聞いて思ったことは、「言ってることがわかる、音もうるさくない」ということでした。アニメソングこそ何度も聞くので歌詞やメロディーを覚えられたものの、Jpopについてはからっきし、初めて聞いて「こんな歌だ」とわかったためしがなく、何歌ってるのかわからないな、という理解で終わっていましたが、いわゆる四畳半フォークは「聞こえた」のです。

聞こえたことが面白く、とりあえず全20巻を友人と流すことにしました(友人も自分と似たタイプで、Jpopには疎かった)。言葉はわかるが、言ってることが少し変なことに気づきました。ある歌では「恋人好きなんだけど東京に行って新しい生活を送るわ」「だったらハンカチを送って」とうたっていたり、「22歳になったら恋人だったけど違う人と結婚するわ」とか、「髪が肩まで伸びたら結婚しよう」とか、突然「戦争はダメ、悲しい」という曲があったり。言ってることはわかるけれど、内容についてたった30年くらいまえのことなのに、全然わからんな、となりました。

いまでこそ「ああ、まだ自由恋愛よりお見合い的なモノが強かったんだ」「基本的に上京して就職するなり結婚したりする世界なんだ」「反戦的なことをうたうのが流行ってた理由は~」などと思い当たりますが、そこは中学生、Wikipediaを読んでみたりはしたものの、特段ちゃんと理解はしていませんでした。でも、フォークは聞きやすいし、中二病的な変わった奴にあこがれる年代でもあったので、中学、高校とそのままCDを聞いたり、コンサートに行ったりしました。ちょうど、2006年が吉田拓郎とかぐや姫によるつま恋コンサートの年で、北海道でも毎年岩見沢でフォークジャンボリーというコンサートが行われているタイミングだったことも、古いだけではなく、オンタイムで進んでいるコンテンツという気持ちになれたことで、聞き続けていたのもあります。

高校生となり、70年代以前を舞台にした小説などに触れるようになり、だんだんと聞いてきたフォークソングの世界観がわかってきました。特に、かぐや姫の「マキシーのために」という、実在した学生運動家をモデルに作詞された曲と、学生運動を舞台とした小説のつながりに気づいて震えたことも覚えています。尚、全共闘的な文化については、自分の通っていた札幌南高校もかかわりがあり、1970年3月10日の卒業式に、生徒40人が演壇を占拠、生徒会による安保反対決議やストライキ、学校側の生徒処分・ロックアウトなどで紛糾。同年8月には生徒たちのバリケード封鎖と機動隊が出動が資料として残っていました。高校と小説とフォークソング、全然違うタイミングのものにつながりを発見したというのも、いま批評に興味がある理由のひとつなのかもしれません。

今考えると自分の黒歴史・中二病発症例が「フォークソングを聞く中学生」だったのはどうかと思いますが、フォークソングが原体験にあるからこそ、あまりフォークソングとは何か、どういった文脈の上にあるのか、という批評を見つけられなかったことが、他の音楽批評などに手を伸ばせなかった一因かもしれないなと思いました。

長くなりましたが、こういったモヤモヤに光を当て、解放してくれるカルチャーお白洲の理論編や批評編に救われています、ありがとうございます。というおたよりでした。

お読みいただきありがとうございました。


フォーク歌えてよかったことは、二次会のカラオケとかで役職が上の人と歌えること………と思ってましたが、いまの60歳って1970年にはまだ10歳に届いてないんですよね。みなさんの青春ソングを知らない………

ではでは。

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