目的のシフト、知覚してる世界の意味あいのシフト
3月の合宿で見た「ミッション8ミニッツ(原題Source Code)」について、もうひとつ心に響いていること。
コメンタリーで、
「映画の最初では、
主人公のスティーブンスは完全に自分を見失っていて、
自分が誰かについて混乱していて、
関係性についても混乱していて、
自分の感情にも思考にも関係性にも注意を払っていなくて、
自分の知覚を、自分が感じている不快感を正当化するために使っている」
「こんな状態の彼だけど、
映画をとおして、
彼のこころの中で、目的が変化していくの見ていくことになる」
という話があった。
映画が始まって、↑最初のスティーブンスの様子を見ながら、
ああああーーーーー、まさにオレこんな感じやんけ!!!!!!!!
となっていた。
気づいたときには、この世界に生まれでていたように見えるオレ。
でもなんもわからんくて、混乱している。
混乱して叫ぶように生きている。
今度の桜旅でも、
収入減っとるのに、こんなことしとったらどんどんお金がなくなってしまうやんけーーーーー!!!!!!
って叫んどる。
何もわかってない混乱のなかで。
なんでわいがこの世界に生まれでたんかもわかってないような混乱のなかで。
そしてそういう知覚(旅でお金が減っていくような知覚)を、
わしの内側で常にこっそり感じとる不快感の正当化のために使っとるんじゃな。
うわーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーって感じ。
この前の映画セッションが救いに感じたのは、
スティーブンスがこういう混乱の状態から、
彼のこころのなかの「目的」が変化することで
すべてのもつ意味あいが変化していくということを見せてもらったように感じられたこと。
わいの目的、わいが知覚しとる世界の意味あいも、
スティーブンスのんと同じように変化していくことが可能なんじゃと見せてもらえたこと。
こんな、何もわかっとらん混乱状態からでも、それが可能なんじゃと見せてもらえたこと。
「目的」のシフト。
自分がこっそり感じてる不快感の、真の原因に立ち戻って、そこで癒やしを受け入れること。
神との関係性が癒されること。
そのためにガイダンスに開くこと。
開いていきたいです。
自分の知らない世界に。