決断の全貌を見る。
昨日書いた内容のキモと思える一節が、今見てたコースの一文にあった。
たんにテキストの内容としてこのことを覚えておくとかではなく、
「積極的におこなった自分の間違った決断」の全貌を、
中心の願望・決断からこの知覚まで一直線に貫かれた全体として、
そこに含まれた感情なども含めまるごと、そのどうしようもない不可能さ、苦しみなど含めまるごと、
認識することがキモだと感じる。
その「間違った決断の全貌」を認識して初めて、「いや、自分が望むのはこれじゃない」という別の決断ができることに、自然と気づけるように感じる。
だからこそ、自分が感じるどんな小さな感情も、認めるのがイヤな感情も、抑圧することなく浮上させることは絶対に必要不可欠。
さもないと、自分がどんな決断をしてしまっているのかに気づけない、その決断の場所まで到達できない。
「このことに関しては、自分自身に対して断固とした態度で臨みなさい」
というのは、本当にそうだなという感じがする。
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