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カリコの話

3月合宿の初日、こういう話がラファエルからあった。

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カリコは身体の病気(フットボール大の大きな腫瘍)を抱えていて、
身体を世話するための機材に囲まれた部屋で過ごしていたわけだけど、
否応なしに知覚に飛び込んでくるその病気のことや症状にフォーカスを当てるのではなく、
フォーカスはファクションやコラボレーション、
そして聖霊と奇跡にあてられていた。

そうして、カリコの経験は変わっていった。

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合宿が終わって、
自分の仕事のことについて考えているとき、この話を思い出していた。


カリコは肉体が病気だったけど、
オレの知覚も病気なんじゃないか。


今仕事をしてお金をつくる必要を感じて、それについて心配しているオレ・・・

「いのち」が、「お金」や「オレがつくるお金」にかかっている・・!
(そしてその心配をしてそこに心を向けてケアしようとしている)

という見方しかできんようになっとる、
この知覚そのものが病気なんじゃないか、、、

という感じがしてきた。


お金をつくることやその心配にフォーカスをしているとき、
オレはこの病気の症状にフォーカスしてるようなもんなんじゃな、、、、って。

カリコは病気の症状にフォーカスせずに、
真の自己のために、聖霊のために、
ファンクション・コラボレーションのためにフォーカスの力を使っていた。


だとしたら、
オレもこの知覚の病気の症状(お金の心配)にフォーカスをあてるのをやめて
(たとえカリコの部屋の身体を世話する機械のように、否応なく金にまつわるトリガーが知覚に飛び込んできたとしても)、

聖霊、真の自己を思い出すこと、
ファンクション・コラボレーションにフォーカスを向け続けることができるんじゃないか。


そうすることで、わいの「経験」が変わっていくことは可能なんじゃないか。


カリコの話からそのことを教えてもらえたように感じた。



お金に限らず、この老いて死にゆく身体について心配しているときも、
同じ。

知覚がそういう病気(「いのち」がお金や身体に左右されるように見える)にかかっとって、
その病気の症状にフォーカスしとる状態。


「いのち」とは、
stay aliveとは、
ほんまはそんなもん(金や身体に左右されるもの)じゃない。

その正気がわからんようになっとる病気。


その病気の症状にフォーカスを当て続けて、
その症状の方をケアしようとし続けるのをやめる。

真の自己のために、聖霊のためにフォーカスの力を向ける。



病院に行くときも症状をなおすために行くのではなく、
ミラクルワーカーとして行きなさい、とデイビッドは言った。


仕事するときもお金をつくるためにやるのではなく、
ミラクルワーカーとしてあるためにやる、か。


どうすればいいのかわからんけど、
これも合宿の話のなかででていた、

「病院に行くことも、
奇跡講座のための合宿のライブストリーミングを準備することも、
違いはない。
すべてが、聖霊にチューニングしてなさしめられるための機会でしかない」

ということを、私の毎瞬間に適用し続けたい。



あと、
これ(お金や身体の心配をすること)が
知覚の病気なんじゃということを自分に受け入れると、

自分自身は本当に八方塞がりで病気でしかなくて、
垂直方向からのたすけが必要不可欠なんだということを受け入れやすくなるような感じがする。



わたしはあらゆることについて見誤っています。
見誤ることしかできません。

わたしにはまったく違う視点からのたすけが必要です。

ありがとうございます🙏🙏🙏


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