もうひとつの生還

かねてより依頼されていた主賓挨拶に臨むにあたって、不安なことがあった。

17分間もの心停止で、脳細胞に僅かな影響をもきたしていないはずがない。本人も、主治医すらもわからぬ脳の奥底の、極めて特殊な部分が実は機能していないという可能性は多分にあるのだ。私が祝辞を朗々と語るその数分後、突然言葉に詰まり、頭になんら言葉が思い浮かばず、顔面が蒼白になった私が式場で立ち尽くしてしまう姿が幾度と脳裏に浮かび、私を苦しめた。

試しにと、自宅で裏覚えの祝辞を呟いてみても、やはり言葉が詰まって全くしゃべられない。10度、20度と繰り返し練習しても、最初の決まり文句すら、満足に言えないのだ。
私の懸念が現実のものとなり、披露宴本番で大恥をかくことになってしまったら、私は脳に決定的な欠陥を抱え込んでしまったと強固に信じ込み、以後の人生を、ただひたすら表舞台を避けながら生き続けるだろう。

だから、私が本当の意味で「生きる」ためには、なんとしてもこのイベントを成功させねばならない。そうでなければ、本当の意味で私はあの事故から生還したとは言えないのだ。

私は練習を重ねた。なぜなら、主賓挨拶の成功こそが、私が本当の意味で「生きる」ことになるからだ。100回繰り返した。しかし私の不安は消えなかった。200回繰り返した。しかし、私の不安は消えなかった。宮崎のホテルにチェックインしても練習した。湯船につかりながらも練習した。ベッドに入っても練習した。深夜に目覚めても練習した。私はたった800文字の祝辞を繰り返し繰り返し練習した。私が「生きる」ために。

披露宴当日、トイレに行くふりをして祝辞を口ずさんだ。披露宴がはじまっても、構わず口ずさんだ。数分後に私が立つであろう舞台の横から会場を見渡した。そして、口ずさんだ。

披露宴が始まった。司会が私を紹介した。私は主賓席を立ち、机の上に置かれたコップから水をひとくち飲んだ。マイクの前で来賓を見渡した。

そこで、私は自信に満ちあふれている自分自身を見た。ありとあらゆる事態を想定し、ありとあらゆるスピードで、ありとあらゆる表現をもって練習を繰り返したのだ。そこに立つ私は、自信に満ちあふれ、堂々としていた。

私は高砂の新郎新婦に顔を向けた。これから発する私の言葉は、暗記した原稿ではない。心からのお礼を、心からの応援を、そして、心からの祝福を。これから、ふたりに伝えよう。

そして、私は、再び生きるのだ。

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