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アメリカのジェンダークリニックに行ってきた

数日前、家から近いジェンダー・クリニックへ妻と一緒に行ってきました。いわゆる『ジェンダー外来』というものです。LGBTQに深い理解のある内科医と看護師が常駐している点を除けば、普通の内科と特に変わりのない、大きな総合病院の中の小さな一部門といった感じでした。

(余談:そういえば、私が日本にいた頃はまだ『看護師』という呼称はそれほど一般的ではなく『看護婦』と呼ばれていた時代でした。こういった微妙な言葉の変化に時の流れを感じます。)

診察は、まず看護師が個室に案内し、体重と血圧を測るところから始まります。現在服用している薬や持病の確認を済ませると、看護師は部屋を出ていきます。数分待った後に、医師が来て診察を開始する、といった流れになります。今まで内科、消化器科、皮膚科、泌尿器科、循環器科にかかったことがありますが、全て同じパターンでした。

医師はとても明るく気さくな男性の先生で、最初に挨拶を交わした時の話し方や態度でゲイの方だと感じました。きっと、性的マイノリティの患者が安心できるように、あえて『オネエ』っぽい雰囲気を出していたのだと思います。そして問診。最初に軽い雑談を交えながらお互いに自己紹介をし、私がこのクリニックを訪れた理由を尋ねられました。前日にこのnoteで話す内容をまとめておいたので、準備したメモを基に説明しました。また、以前の記事を英訳したものを印刷して提出しました。

こういった自分史の準備は特に指示されていませんでしたが、問診を効率よく進める上で非常に役立つと感謝され、以降の問診もこのメモを中心に進められました。

問診の内容は、幼少期に性別違和を認識したきっかけと具体例、私の性自認、カミングアウトの有無、親子や兄弟関係、自◯願望を抱いたことがあるか、などなど約1時間にわたり会話を進めていきました。

「いつ妻にカミングアウトしたのか」という質問に対して、私は「今年の初め」と答えました、妻はこのように補足しました。

「付き合い始めた頃(約20年前)は性別違和を匂わすような言動がありました。私自身ジェンダー・ノンコンフォーミング (Gender Non-Conforming) で、当時こそ今のような言葉はありませんでしたが、お互いのジェンダーに関する話をした記憶があります。そのため、今年初めに改めてカミングアウトされた時は特に驚きはしませんでした。ただ、結婚してからはそういった言動が全くなくなり、不思議には思っていましたが、深く追及する必要はないだろうと考えていました。」

この妻の言葉にハッとさせられました。確かに付き合っていた頃、私は自分の抱える性別違和に少しだけオープンだったことをすっかり忘れていました。これには理由があります。私はこのように回答しました。

「結婚してから私は結婚生活に関して責任が生じたことをはっきりと自覚しました。つまり経済的な責任です。ちゃんとした仕事について2人で生活をしていかなきゃいけないから、ちゃんと社会に適応するために性別違和のことは『無かったこと』にし、完全に『男性』を演じることに徹しました。30代は特に仕事中毒になっていて、その傾向がより強くなっていた時期だったと思います。おまけに子供時代に虐待を受けていたので、性別違和を認めることに対する恐怖心があり、気がつけばこんな年齢になっていた、というのが正直なところです。」

問診の間、先生は大変親身になって話を聞いてくれて、それが本当に嬉しくて、何度も泣きそうになるのをグッと堪えるのが大変でした。

半では、ホルモン治療を始める前提で治療内容について詳細な説明を受けました。私たちからの質問にも丁寧に答えていただきました。その後、血液検査を受けて病院を後にしました。

次回の予約は1月中旬です。その時の経過について、またこちらに記事をアップしたいと思います。

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