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2度目の思春期

「やばい、私、本当に男の子じゃん!」

初めて鏡に映る自分の顔を見てショックを受けたのは4、5歳の頃。

「そんなこと言ったって現実に私の身体は男性で、それを変えることなんて不可能なんだから、運命を受け入れ、頑張って男性として生きていこう。」

とても保守的で厳しい親のもとで生まれ育った私はいつしか、そういう風に生きてきた。私が子供だった1980〜90年代の当時はテレビで「おかま」とか「ニューハーフ」という存在がイロモノ的に面白おかしく扱われていた時代。当然母はそんな存在を嫌悪していた。そんな中、私が5歳の時に、性別に違和感を抱えている兆候を露呈してしまった事件があり、母親は当然激怒。血が出るまで何度も何度も殴られるという暴力を受けた。その後もたびたび母から心理的、身体的な虐待を受け続けた結果、一生懸命「男の子」を演じることで無事平穏に過ごそうと努力してきた。

時は経ち、42年間生きてきてなお、男性的な身体に対しての強い違和感は鎮まる気配が全く感じられない。本当に、全く、治らない。トランスジェンダーに懐疑的な精神科の某医師が書き残した古いブログには「中年になれば性の違和感は治る」と断言しており、この言葉を信じて頑張ってきたけど、身体に対する違和感は治る兆候すらない。

そんな中、気がつけば世の中は多様性の時代。いつの間にかLGBTQという存在が認知され、昔ほど社会の隅に追いやられた特殊な存在でもなくなってきた。私の勤める割と堅めの会社でもLGBTQ社員の会合やイベントがあるほどだ。

医療も昔の「ニューハーフ」の時代よりも少しは進歩したようで、ホルモン療法もかなり安全になったと聞く。だからこの身体の違和感から来る苦しみを少しでも軽減できるのなら、ホルモン治療を受けてみたいと思ってる。

今まで42年間も男性として生きてきたから、たとえ治療を開始しても女性として社会で生きることは考えていない。この身体の違和感が辛くて、なんとかしたいだけ。それに今の生活もできるだけ変えたくはない。名前も、服装も、何もかも今まで通りでいい。男性として扱ってもらって全く構わない。だって42年間も男性として生きてきて、今さら「心は女性」なんて主張するのは全く現実的じゃないでしょう?

だけど、確実に私の中に存在する身体の違和感をなんとかしないと、この先まともに残りの生きていくことはできない気がする。人とは少しだけ異なる性の認知のズレに関して親から暴力を受けたことが、人生のありとあらゆる場面で問題を引き起こし、生きることそのものに暗い影を落としていることは明らかだからだ。

だからホルモンで身体を女性化することが目的でない。正確に言うと、男性らしい身体の特徴を緩和することで、少しでも心理的な負担を軽減して、他人に対して思いやりを持って接することができるようになりたい。人が苦しんでいたり困っていたりしてたら、躊躇せずに手を差し伸べることができる人になりたい。

そのためには、まず私自身が自分の存在を好きになり、大切にできることがより良い人生を送る上で重要なことだと気付いたから。

毎日のスキンケアをはじめ、ヒゲと全身の毛をレーザー脱毛で除去し、髪を伸ばし、服装を中性的なものに変え、そして軽くメイクをすることで、男性らしい特徴を減らし始めたのは3年前。それ以来、徐々に私の頭が認識する自分自身の姿と実際の姿の差が少しづづ縮まってきたのを明らかに実感した。4歳の時に自分の顔を見てショックを受けて以来、鏡で自分の姿を見るのが嫌だったことも徐々に緩和され、驚いたことに自分の存在を好きになり始めた。それ以来、気持ちに少しだけ余裕が生まれ、人に対する思いやりや感謝の念が芽生え始めた。そして自分がいかに自己中心的な人間だということも気づき始めた。だから、あと一歩だけ進めて、ホルモン治療の男性らしい身体の特徴を緩和する効果で頭と身体のバランスを取れるのなら、少しでもより良い人生を送ることができ、なおかつ私の妻や身近な人たちを幸せにできるのではないか、という淡い期待をしている。

最後に、ここでハッキリさせておきたいことは…

  • 人生をより良いものにし、妻を幸せにすること。それが最優先であることを決して忘れない。

  • ホルモンや外科手術で身体を完全に女性化しない。

  • 他人や社会から女性扱いしてもらうことは一切不要。今まで通り男性として暮らす。

  • 女装して外を出歩く勇気はないから、やらない。

  • 戸籍や身分証明書の性別欄の変更はしない。

  • 間違っても女性のトイレは利用しない。

アイデンティティが揺らいでいる今の私はまるで2度目の思春期、いえ、もしかしたら42歳にしてようやく思春期を迎えたのかもしれない。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

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