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性的指向が複雑すぎて

初恋らしきものを経験したのは中学3年生の時。相手の方は短髪で肌は日焼けして浅黒く、スポーツの得意な、まるで男子のような見た目の女子でした。その外見的な特徴どおり、とてもサッパリとした性格の持ち主で、あまり女性を感じさせない方でした。

そして、私の妻は日焼けこそしていないものの、最初に出会った時から、短髪でメイクなどしたことがなく、女性らしい服装が嫌いで、西洋人的な顔の特徴も手伝い、ある角度から見れば男性に見間違うくらいのボーイッシュな女性です。体格も全体的にガッチリしていて、特に肩幅と胸板は男の私よりも広くて大きいです。

以前の記事で、アメリカに移住した経緯を記事にしましたが、高校生の時のある時点で私は日本人女性とは縁がないだろうな、と薄々感じていました。

というのも、平均的な日本人女性は、女性性全開の可愛いらしい雰囲気の方が多いですよね。とても魅力的で素敵だと思います。だけど、私が若かった頃(自分が恋愛市場にいた頃)は、そういう女性に対してモヤモヤとした何とも言えない感情が湧き出てくることがあったのです。今思えば、美しい女性に対して女性として惹かれることはなく、彼女たちに対して羨ましいという感情が生まれ、「どうせ自分は男だからあんな風には絶対になれない」と、やさぐれていました。

余談ですが、私がもしZ世代だったら、間違いなく早い段階で『男の娘』になっていたと思います。

話を戻すと、私が海外に目を向け始めてから、女性たちの多様性に目が向き、決して『カワイイ』だけが唯一の魅力的な女性の条件ではないことに気づき始めたのです。

丸坊主の女性、肩幅が広く体格のがっしりした女性、筋肉ムキムキのアスリート女性、ニューヨークのウォール街でスーツをカッコよく着こなす高身長の女性、などなど。どの方にも共通するのが、自分自身の魅力をよく理解していて、その人自身の価値観や生き様を世の中に向かって表現していることにカッコ良さを感じます。

私の妻も同様です。誰かからメイクをしろだとか、もっと女性らしい服装をしろだとか言わても、『そんな規範には従わない』という確固たる信念を持った一本芯が通った人物です。世間からどう思われようが、勝手に押し付けられた『女性らしさ』に従うのではなく『自分らしさ』を貫き通しています。私はそんな彼女に惹かれて結婚しました。

一方で私は真逆のアプローチを取ってきました。妥協に妥協を重ねて今まで生きてきました。規範に従わなければ社会的に不利な立場になる、という暗黙の脅しに屈し、心の声を無視して、自分を殺しながら頑張って体の性に一致した行動を取ってきました。それもこれも、経済的に苦労をしたくなかったからです。そんな努力(というより幸運に恵まれた)の結果、おかげさまで経済的には豊かになったと言っても差し支えない程度の結果を得ることができました。

そんな中、ある時気づいたのです。これじゃあいい死に方ができないって。いくら経済的に余裕が生まれたとしても、自分を殺して他人が望むような生き方をしていたら、一体この命に何の意味があるのだろうって。死ぬ時に後悔するような生き方をしたくない。

だから、私は自分が本当は何者なのか知りたいと、強く思うようになりました。

物心ついた幼い時から性別違和を抱えている私の正体って一体なに?
私はきっと同性愛者じゃない。
だけど男性寄りな女性に強く惹かれる。
だけど完全なヘテロセクシャルでもない。
私は女性?
きっと、違う。

もう、全くわけわかんない、私の性的指向。

性って人の基礎となる土台の部分だと思っています。それは人の存在の根源に関わる大切なもので、人生のあらゆる側面で深く影響を与えるのではないかと、様々な人との関わりから感じ取れます。だから、残りの余生で実現したいことは、自分よく理解し、自分を好きになること。世間の目ばかり気にせず、自分のカラーを出すこと。私は諦めません。経済的、社会的に不利な立場に置かれようとも、死ぬ時になって後悔するよりは全然マシだと思うからです。

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