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[忍たまにハマって調べた] "戦"や"忍び"のメモ
自分用忘備録メモです。
参考書籍についてまとめたのはコチラ。どの書籍も激しくオススメ。
◆[忍たまにハマって調べた] 室町時代の概要メモ
そもそも室町時代についてノー記憶・ノーイメージだったので、ざっくりまとめた概要メモはコチラ。
◆忍たまに出てくる『風魔忍者』の事が気になりすぎて、室町時代の相模の国について調べてまとめた
風魔忍者(相模地方)のことは、コチラ。
◆室町時代(1336年~1573年)のおもな戦
南北朝の戦い(1336年~1392年)
足利尊氏と後醍醐天皇の対立によって、日本は南朝(吉野)と北朝(京都)に分裂。戦乱は約60年続いたが、1392年に南朝が北朝に統合される。観応の擾乱(1350年~1352年)
室町幕府内部での権力争い。足利尊氏と弟の足利直義が対立し、尊氏側が勝利。これにより、幕府の主導権が確立される。
*この辺から戦国時代へ*応仁の乱(1467年~1477年)
8代将軍・足利義政の後継問題をきっかけに、細川勝元(東軍)と山名宗全(西軍)が激突。京都が焼け野原となり、戦国時代の引き金となる。明応の政変(1493年)
管領・細川政元が将軍・足利義材(義稙)を廃し、新たに足利義澄を擁立。これにより、将軍の権力が大きく衰え、守護大名の力が強まる。加賀一向一揆(1488年)
一向宗の門徒が加賀国で大名・富樫政親を討ち取り、約100年にわたり自治を行う。「百姓の持ちたる国」とも呼ばれた。山城国一揆(1485年)
山城(京都南部)の国人や農民が畠山氏の抗争に介入し、武士と農民が共同で自治を行う。約8年間続いた。戦国時代の戦乱(1490年~)
応仁の乱以降、大名同士の争いが激化。代表的な戦いとして、川中島の戦い(武田信玄 vs 上杉謙信)、桶狭間の戦い(織田信長 vs 今川義元)などがある。
◆”忍び”について
忍者という言葉は昭和30年ころに誕生。
中世当時は、『乱波(らっぱ)』『透波(すっぱ)』『草』『かまり』『野臥』などと呼ばれ、文書では『忍び』『夜わざ鍛錬之者』『紋無き者』と呼ばれてている。ただ、この時代は『忍び』も『草』も忍者の存在というよりも戦術・戦い方を指すこと多かった様子。
忍びは間諜・間者・諜者。敵地に潜行して形勢を把握したり、敵中に忍び込んで放火や刺客の役割をこなす。
出自は、庶民、足軽、乱波、透波の類の者が多い。
『太平記』『北条五代記』などの軍記に登場する。
<参考図書>
戦国の忍び
平山優 角川新書
戦国の城攻めと忍び 北条・上杉・豊臣の攻防
戦国の忍びを考える実行委員会
埼玉県嵐山史跡の博物館
吉川弘文館
◆伊賀・甲賀・風魔
忍者の郡派についてはボリュームが多くなるので、いつか別エントリでまとめるかも。
伊賀:傭兵集団。
甲賀:滋賀県。六角氏に仕えた。武将のために働く勢。暗号で記された毒薬レシピがある。
*伊賀と甲賀はわりと近い場所にある。風魔:賊寄り。結構荒っぽい。有名なのは合い言葉で敵をあぶりだす”立ちすぐり・居すぐり”。北条氏に仕えた。小田原などで活躍。
(おまけ)黒脛巾:くろはばき。名前がかっこよすぎだろ。伊達政宗の忍び集団。
<参考図書>
戦国の忍び
平山優 角川新書
歴史の愉しみ方
忍者・合戦・幕末史に学ぶ
磯田道史 中公新書
◆中世の情報伝達
メッセンジャー:京丈夫
情報伝達を安定させるために、いなかと都を往復する使者。
『京丈夫』『京上人夫』と呼ばれる。百姓などに課せられた役目。京丈夫は京都の領主に年貢や公事物を届ける。ほか、荘園領主の注進状や書き下し文書も運んだ。
地元と京都を定期的に往復する『京上人夫』。領主のもとで長い間雑務を務める『長日人夫(長夫)』の2つがある。
応仁の乱中に使者が足軽に襲われた事件があるなど、緊迫した状況のなかでも活躍した。
文書の運搬日数
現岡山県(新見庄)➡京都(東寺)の距離は、使者の足で7~9日間程度と推測されている。10日以上かかっていることもあり、これは、お返事を書くのに時間がかかったからかな…?とか思いました。文書の種類と文書名(例)
偉い人の意思を伝えるとき、秘書などお付きの者の名前で送ると『奉書』、偉い人(天皇や将軍など)本人が書くと『直状』となる。
政所の将軍から御家人に送った文書『政所下文(まんどころくだしぶみ)』
執権から御家人に送った文書『関東下知状(かんとうげちじょう)』
足利直義から『足利直義下知状』
足利尊氏から島津忠親に軍勢催促『足利尊氏御判御教書(あしかがたかうじごはんのみぎょうしょ) 軍勢催促状』 などなど
古文書の形式
一枚の紙を折って上部だけに文書を書いているものが多く、これは折紙という。下半分の白紙は二枚目の代わりの役割。なぜこのようなことをするかというと、紙は二枚重ねで使う慣習だったため。マナーだった。
九州の戦国大名大友氏の文書(大友宗麟感状)では、文書と、それを包む包紙が残っている。文書自体に『切封』という切れ込みがあって、文書を綴じられるようになっているおもしろい仕組み。
古文書の構成
『本文』
『年月日』
本文が終わったら一文字下げて書かれている。『花押』
日付の下に書かれるサイン。『宛先』
いちばん最後、年月日から一文字下げて書かれる。
制札
文書ではなく、木に書かれた文書。
<参考図書>
戦乱の中の情報伝達
使者がつなぐ中世教徒と在地
酒井紀美 吉川弘文館
中世の古文書入門
小島道裕 河出書房新社
参考書籍についてまとめたのはコチラ。どの書籍も激しくオススメ。
◆[忍たまにハマって調べた] 室町時代の概要メモ
そもそも室町時代についてノー記憶・ノーイメージだったので、ざっくりまとめた概要メモはコチラ。
◆忍たまに出てくる『風魔忍者』の事が気になりすぎて、室町時代の相模の国について調べてまとめた
風魔忍者(相模地方)のことは、コチラ。