“歴史“に入りこむために
子どもの頃、歴史が苦手であった。歴史で起きたことを時間に沿って並べて覚えていなかった。説明もできなかった。問題文とそれに対する回答という名の単語の羅列しか自分のなかにはなかったのだ。大人になってもほとんど覚えていないのが、歴史だった。
しかし、ある物事には全て歴史が、存在する。例えば僕の専攻していた薬学にも当然ながら歴史が存在した。その成り立ちや起こってきたこと、変わってきたこと、重大な発見によって名前が残っていった人達。教養をつけたいと思いながら、教養ある人は全員が過去の歴史について知り、それを含めて現代を語ることに薄々気づいていた。歴史はある物事を見るための立体性を構築する。『社会学史』という本に、あらゆる学問は、二分され、歴史を学ばなくても研究ができる学問と、歴史を学ばなければ研究ができない学問があるということを語っていた。僕が学んだ薬学という学問にも当然歴史が存在するが、それを知らなくても、つまりは薬学史を知らなくても、研究を行うことができる。現代の最新の知見を知っていれば、新しいことを研究することは十分可能である。だからこそ、歴史ということの重大さに気づくことが遅れたなと感じている(もちろんそれは薬学に問題があるわけではなく、そのような特性が存在するということだ)。そうは思いながらもどうすればいいのかわからない。なぜなら僕は、歴史がすっぽりと抜け落ちており(学校で習ったことはほとんど何も覚えていなかった)、どういうふうに知ればいいのかの地図もないからだ。
そしてそうなってしまった理由が、アナール学派という存在を知ってからより鮮明はっきりと理解できるようになってきた。つまりは、学校で習うような歴史のほとんどが、「政治」と「戦争」の歴史であるという悲しき事実があるからである。政治と戦争に興味がないわけではないが、これらの歴史は強者であり、庶民ではない人間であり、私とは繋がりを感じない存在としてあったのだ。つまりは、学校で習ってきた歴史と言われるものは、現実感という部分がまるでなかったのだ。現実感がないものに対して、人間は記憶に残すことはできないだろう。僕にとってまるで現実として認知不能であった学校で習ったものは、単語の羅列というもので、脳内の引き出しのガラクタ入れにしまわれたままで、思い出すこともほとんどなく、なんの意味づけもされていない状態になっていた。さて、アナール学派は政治と戦争の歴史以外にも様々な歴史についてもっと研究しようということをした学派だと知った。ある種これだったら興味を持てると思った。戦争で人が殺し合った歴史を知ることは大切かもしれないが、やはりそこに弱肉強食の強きものが世を治める価値観を自分に刷り込みたくもないというのもあった。こういう考え方だったら現実感を感じながら、過去のことを知れるのではないかと。それから、日本には民俗学や生活史を研究する歴史家の存在も徐々に知るようになってきた。僕が救われた本は、渡辺京二さんの『逝きし世の面影』だった。ここには明治以前、文明開化前の日本の生活の姿が日本に訪れた外国の方の目を通して描かれていた。歴史とはこのような語られ方もされるという発見になったことにも加えてこのようなものを望む自分にも気づいたのだった。そこには今の現実ではない日本が描かれていたが、学校で感じた歴史の現実感のなさとはまた違う印象を持った。現実ではなくともノスタルジーを感じたのだ。経験してもいない過去のことにノスタルジーを感じるのは、なぜだろうか。ここにはいささか哲学的な問いが発生するように思う。
経験していないことに郷愁を感じる。それは自分のなかにあるこうだったらさらに良い世の中だったのかなという空白感を埋めてくれるものだったからなのだろう。例えば、『逝きし世の面影』では、日本人は歌を歌いながら仕事をしている、非効率極まりないと出てくる。もっとさっさとやればすぐ終わるのにと。のんびりと仕事をしている描写が出てくるシーンを思い出す。そのシーンをみると、僕は歌を歌いながら効率を考えずに仕事(今の仕事や大学生時代のバイトだが)をしたことはないが、そのようなある種のんびりと誰にも急かされず自分のペースで楽しみながら何かを行うということを仕事という場においてできる環境に羨ましさをもつ。過去の日本への羨ましさ。それは現在の仕事の仕方ということから、過去の生活史を見たときに感じる“感情“である。実はこの感情というものが、ノスタルジーと関係してくると思われる。それはおそらく小学生の頃にやることが決まっていることを特に時間も定められずいろんな友人たちと共に遊んだような、そんな記憶、それを今の仕事と重ね合わせているのかもしれない。きっと逆の立場だったなら、今の仕事を見て、効率的でテキパキしていていいねということを思われるかもしれないが、今の仕事がのんびりゆっくり自分のペースでできないからこそ、昔の日本の生活を知るときに、羨ましさという感情が出現する。時代のどの地点からどの時代を見るかによって、印象は全く変わってしまう。時代が向かっている先と自分が向かいたい先が違うとき、過去の出来事が、自分に強い親和力を持ってくる場合もある。そしてそれこそが、直接経験していない過去を懐かしむ、経験不在のノスタルジーなのだと思う(もちろん近似的には体験しているのだが)。そして歴史はそのことを教えてくれた。
また、『逝きし世の面影』でもう一つ強烈な羨ましさを感じたシーンもあった。若い女性が外で全裸になって水浴びをしているシーンが出てくる。海外からきた人はその光景を見るに日本はなんと破廉恥な国なのだとモラルや常識を問う場面がある。今の日本でこそ、セクハラやら性加害/被害の問題、痴漢の問題など性にまつわる様々な問題が出ており、ある種女性の身体は“アンタッチャブル“なものとして、神聖なのか危険なものなのか、扱いはわからないが、とにかく触れ得ぬものになってしまっている。もちろん過剰に見てもいけないことになっている。見るとは触れる行為を視覚によって行なっていることと同じであるためだ。しかし過去の日本は、女性が外で全裸になることなど珍しくなかったのだ。そしてこれも、今の常識と全く異なっている。こんなおおらかな国だったのにも関わらず、なぜ今はこんなにきついしばりのある世の中になってしまったのだろうと感じてしまう。そのようなおおらかさのなかでは女性の身体は当然だが今のような、男性にとっての“触れてはいけない存在“になるはずがない。例えば、ものを受け渡すときですら、今の日本では、異性の場合、手がなるべく触れないように渡そうとする。お釣りを渡すとき、手に持っていた不要なものを回収してもらうとき、ハサミや筆記具を渡すときなど、様々に手が触れる可能性のある場面は生活上出現するが、無意識のうちに触れないように渡しているし渡してしまう。海外の人と関わればわかるが、日本に比べてあまりそういう意識は少ないように思う。皮膚への触れは存在の確認でもある。もっといえば触れは存在の承認でもある。皮膚は身体の内外を隔てる器官であるからこそ、触れを必要とするとも言える。しかし、破廉恥だと揶揄された国はいつの間にか触れを危険なものとして、特に異性との触れを危険なものとして認識する社会となってしまったように思う。悲しい。自分の記憶を思い起こす。これまた子ども時代の、異性同性という過剰な区別なく触れが存在した過去を思い出す。水泳の授業の前に男女で着替える場所を変えるという配慮なく着替えていたあの場は、大人になって絶対に訪れることがない。雑魚寝すらない。あらゆる集まりでは、睡眠、入浴など、身体が大きく関わる場面は大人は必ず男女を分けなければならないことにさせられる。そして、公然の場で水浴びする若い全裸の女性など、もう見ることは絶対になく、法律で取り締まられる。今や匿名の若い全裸の女性は、ネットのポルノ動画としてだけ、ヴァーチャルな形で出現する。そしてそれはある種異常ではないかと感じる。人間の身体の極めて限定的な意味づけである。もう若い全裸の女性は異性にとって性的対象以外の意味を持ち得なくなったのかもしれない。過去の日本は違った。そしてそれは、性というものが、存在の承認や意味と、もっとなだらかに地続きだったはずの社会を期待させる。ゆるやかでなだらかだった身体の触れや存在の承認を。女性たちはおそらくそんなキツいしばりを求めていなかったはずだ。自身たちの身体をアンタッチャブル領域に進んで組み替えた社会の風潮が正しいとは思っていないのではないか。以前このような話を中年の男性から聞いた、「若い女性に近づくと、痴漢とかセクハラとかで社会的に危険なことになる可能性があるから、若い女性というだけで避けるようにしているんです、危ないから。」それを聞いた女性のなんとも言えない微妙な表情。危険物として扱われる女性の身体。こんな扱いを望んでいるのか?一方裏では女性の身体は高くつく。性の商品として。本当にそのように自分の身体を扱っていいのか?
そのような形で、過去の生活史のありさまを知ることの、“直接経験不在のノスタルジー“は、極めて重要である。『逝きし世の面影』は歴史ということに関わる書物であるが、この書物からそのようなことを教わった気がする。そしてそれは、これから創り上げる未来へのヒントとなる。ノスタルジーへの渇望は未来の生活をどこにチューニングしていくのが豊かさにつながるかというヒントになるのだ。今回は「仕事」と「女性の身体」ということについて見てきたが、この歴史から私が望んだ未来は、無駄に効率を求めず自分のペースでできる仕事を望み、女性の身体がアンタッチャブルにならない世を求めていたことがわかったのだ。歴史の事実と、現代の在り方、そこに自己の感情を乗せること、それが歴史を知ることによって次に向かうための大事なものであると学んだのだった。このような歴史の学び方であれば、きっともっと歴史に入り込めたのかもしれないのに。
さて、、今までは生活史の話をしていた。生活史はかなり等身大というか、我々庶民と同じ視点で語られるものである。先ほど政治や戦争の歴史は嫌だったという語り方をしたが、それは語り方や切り口を変えることで、全く違った関心を持てるという話をしたい。