質問:なぜ薬と関係ないことをするの?
これは仮想的な質問者を想定して答えているだけなのだが、今後役に立つかもしれないのでやってみる。
質問者「あなたはなぜ薬剤師なのに薬とは関係のないことをしているのですか?哲学カフェや哲学カウンセリングなどは直接薬とは関係ないので、薬剤師ではない人がやったほうがいいのではと思ったりします。」
私「確かに、薬剤師は薬の専門家ですので、薬のことをすればいいというのは確かにその通りのようにも思います。例えば薬剤師法第一条には、このように書いてあります。
つまりは薬のことをやっていればいいわけです。そのことは僕も別に違和感はありません。しかしながら薬剤師は薬の専門家以前に医療従事者ということになっています。医療全体のことが書かれた医療法第一条の二にはこのように書かれています。
おそらく医療法に書いてあることは、薬剤師法に書いてある薬の専門家としての薬剤師のみならず、医療従事者としての薬剤師の振る舞いが書かれているというふうに受け止めるならば、薬剤師は、薬という治療メインのことだけに携わるのみならず、私がおこなっているような哲学を用いてそれ以外のことも行いつつ、医療を十全に機能させるための活動に取り組むことも重要であると受け取れるわけです。そうすると哲学を医療に入れるという取り組み自体は医師でも歯科医師でも看護師でも、もちろん薬剤師でも、理学療法士、作業療法士、言語聴覚士、放射線技師、臨床検査技師、臨床工学技師などなど様々な医療従事者がいますが、どんな医療従事者でもいいということになると思います。
それから、医療とはそもそも何か?という問いも同時に必要になってきます。徐々に範囲が広がっていきますね。さて、医療とは、社会的共通資本の重要な一つの柱であると言えると思います。この社会的共通資本という考え方は経済学者宇沢弘文先生が提唱された概念で、社会を維持するためになくてはならない共通財、例えば森林、水、電気、ガス、道路交通などのインフラストラクチャー、それから医療、教育、宗教、法律などの人に関わること。この共通財がなくなってしまうと人は集団として生きていけなくなります。共同体を維持するために必要なものがこの「社会的共通資本」と言われるものです。そしてそのうちの一つとして医療従事者というのは存在しているのです。つまり一定数いないと社会が成り立たなくなる仕事なのですね。
そういうふうに考えると社会的共通資本を成り立たせ、維持するとはどういう振る舞いなのか?というのが問われる必要があることになります。つまりそれは、邪悪なものや秩序の乱れから共同体を守るということになるわけです。共同体には絶えずいろんな秩序を乱すことが生じます。そのこと自体は、物理学的にエントロピー増大の法則があるように、容易に理解可能なことかと思います。それだけだとわかりにくいと思いますので具体的に説明をします。例えば、法律という面で言えば、交通違反、盗難、暴力行為、金銭的な不正行為、など起きます。これは警察や司法が対処をすることで、共同体の秩序を守る。医療で言えば、感染症が疑われるとか、心筋梗塞を起こして命の危機が迫るとか、慢性的な運動不足で生活習慣病が疑われるとか、加齢の影響で認知機能が落ちてきているとか、不慮の事故で身体に障害を負ってしまうとか、さまざまな問題が人間が生きていると生じるわけです。問題が起きること自体は問題ではありません。問題が起きても対処する仕組みがないことの方が大きな問題です。そして医療というのは共同体の維持のために、特に心身に問題が生じること全般について、社会の秩序をうまく維持するために必要な仕事なのです。
そして社会的共通資本としての医療を十全に機能させるために哲学を使うときが必ずある、というのが僕の考えなんです。例えば、がんという病気を患うと、治療だけでなく治療以外の様々なことが浮き彫りになって、非常に生活に困難をきたします。それだけでなく、自分の命のことや、今まで生きてきたこと、これからどんなふうに生きていくかを考えざるを得なくなります。そこには、医療現場における特有の哲学が何かヒントや考えるための手がかりをくれるでしょう。そしてそれは、共同体の維持にとても重要です。なぜなら誰もがそうなる可能性があるということ、そしてそうなったときにも社会的な受け皿がきちんと備わっているということ。それは、人間が生きていて、ときに病を得るという経験をするという、当たり前に起きていくことではあるが辛くしんどいことに寄り添う場所を設けるということです。それは共同体の中で生きていくための希望となります。医療はそのような立場を担うことが求められる。その意味において、薬剤師である私は哲学という道具も使って、医療という社会的共通資本の役割を全うしたいとも思っているわけです。だいぶん長くなったのですが、それが僕が哲学を使っている意味になります。」
質問者「それは宗教的なことも医療が担うということなのでしょうか?」
私「それについてはまた今度話しましょう。」