レアの場合①
朝方、仕事から帰ると、マイコはいなかった。どこかに遊び行ったのかと気にもしなかったけれど、それからもマイコは家に帰って来なかった。
マイコが働いているという喫茶店の名前も場所も知らなかった。スマホも高いから持たせていなかった。ようやくマイコと仲のよかった前田真理子という女性に連絡がついたのは、マイコがいなくなって一週間後のことだった。
前田という女性は、マイコは自分自身の意思でここを出て行った。行先は私には教えないと言った。そんなことが許されるのか?これは誘拐ではないかと言ったら、警察でもどこへでも行けばいい、と言われた。そしてその後は何度電話をしても前田につながることはなかった。
マイコが家出をした?私に黙って?何が気に入らないというのだ?腹が立ってどうしようもなかった。フィリピンの知り合いや親戚にもメッセンジャーでマイコの行く先を知っていたら連絡をして、と伝えたが、誰一人返信はしてこなかった。自分たちが困った時ばっかり連絡してくるくせに、私が困ったときには誰も助けてくれはしないのか。タバコを吸おうとライターを取り出したがなかなか火がつかない。ライターを窓に向かって投げつけた。
私の家は貧しかった。両親には決まった収入のある仕事はなく、たまに大工の助手などの仕事を父親は引き受けていた。空き地でカボチャやとうもろこしなどを植えていたが、売るほどの収穫はなかった。私は4人きょうだいの3番目だった。上には姉が二人いて、私の下には3歳離れた弟がいたが、まだ赤ん坊の時に病気で死んでしまった。
私たちは本当に貧しかった。一日二食、食べれられればいい方だった。電気はなく、夜になると油の入ったランプを灯すが、家の中は煤だらけだった。小学校は何とか卒業できたけど、ハイスクールは途中で辞めてしまった。学校までは歩いて行ける距離ではなかったが、トライシクルに乗るお金もなかったし、時々課せられる宿題をこなすにもすべてお金が必要だった。
二人の姉もそんな感じでハイスクールを途中で辞めて、近所で子守りをしたり、洗濯を請け負ったり、サリサリの店番をしたりしていた。ある時、すぐ上の姉が、日本に働きに行きたい人を募っているという話を聞いてきた。ふもとの小さな町で面接をするというので、二人で行ってみようということになった。日本に働きに行った人はこの辺ではまだいなかったけれど、いとこたちが話をしているのを聞いたことがあった。半年行けば、家が建つくらい稼げると。