レアの場合④
両親は驚いたけど、すでに妊娠していることを告げると渋々結婚を認めてくれた。いろいろと手続きはたいへんだったけど、知り合いの知り合いのエージェントに頼み、在留資格まで取って50万円だと言われ、ヤマモトが払った。
ヤマモトは2週間ほど私の田舎に滞在し、日本に帰っていった。それから毎月、お金も送ってくれた。マイコが生まれると会いに来てくれた。マイコという名前はヤマモトがつけた。
早く3人で日本で暮らしたいね、といつも話していた。でも結局在留資格は取れなかった。これはマイコと来日する時にわかったことだけど、私が他人名義のパスポートを使っていたことが原因だろうとのことだった。
毎月送ってくれていたお金も滞るようになった。そして電話も通じなくなった。私たちは捨てられたのだ。
一番上の姉は町のお金持ちの家で住み込みのメイドをしていた。2番目の姉はここに戻って男の子を産んだが、すぐに恋人ができ、子供とどこかに行ってしまった。私は日本で働いて貯めたお金で養豚やサリサリストアをやったが、どれもうまくいかなかった。
マイコはよく泣く子だった。夜も昼も大きな声で泣く。その泣き声を聞いていると、こっちまで悲しくなった。そしてマイコが2歳の時に、町に買い物に行くと言って出かけ、そのまま家を出てマニラに行った。
また日本に行こうと思った。スタジオに顔を出したが、もう日本へ行くことは難しいと言われた。何でも入管が厳しくなったとのことだった。仕方がないので、私は以前アルバイトをしていたナイトクラブで働いた。
それから店を転々とした。そして店のガードマンをしていたジェイソンと知り合った。ジェイソンはとても優しかった。私はジェイソンとジェイソンのの家族の住む家に同居することにした。ナイトクラブの仕事を辞めろと言われたけど、高校も卒業していない私をまともなところが雇ってくれるはずはなかった。
マイコのことが気にならなかったわけではなかったけれど、連絡はしなかった。いつも思い出すのはあの大きくて悲しげな泣き声だ。あの泣き声を思い出す度に頭が痛くなった。
ジェイソンと暮らして1年くらいたった頃、妊娠した。そしてナイトクラブの仕事は辞めた。ジェイソンの稼ぎだけでは暮らしていくことは楽ではなかったけれど、ジェイソンの家族はたくさんいて、みんなで助け合いながらなんとか暮らしていた。そして私はジェイソンとの子、ジャンポールを産んだ。