ヤマモトの場合④
それでもレアに毎日電話をかけた。呼び出しもしなかったが、また電波が届かないのかもしれない。でも自分でもわかっていた。もうレアとはおしまいなのかもしれないと。
私と同じようにフィリピンパブで出会い、結婚した日本人男性は私の周りにも何人かはいた。みんなあまりうまくいっているようには見えなかった。子供を日本で産むのは不安だからと言って、フィリピンに帰ってそのまま戻ってこなかったなんて話も聞いた。フィリピン人妻のわがままに振り回されている人の話も聞いた。自分はちがうと少し前には思っていたが、この頃はまるで自信がなくなっていた。それでもレアが舞子を連れて日本に戻り、一緒に暮らせることを夢みていた。
しかしそうはならなかった。私もそのうちレアに電話をするのを止めた。フィリピンに行ってみようかと考えたがそれもやめておいた。短い間だったけど、楽しい夢をみせてもらったと思うことにした。舞子のことは気になっていたが、グレースの言った通り、私の子供ではないかもしれない。あれこれもっともらしい言い訳を自分自身にして納得をさせた。そしてせめてもの意地だったのだろうが、レアと離婚届けを提出した。
それから何年か経った頃、私は体を悪くした。長年の不摂生が原因だった。仕事もできなくなり、故郷の北海道に戻り、生活保護を受けながらただ死ぬのを待っていた。
そんな生活をしているときにレアと舞子が日本に来ているという知らせを受けたのだ。レアに対してはもう何も感じることはなかった。だから今更、連絡を取り合うことはないと思っていたが、舞子のことはずっと気になっていた。私の子供なのかどうか調べることも考えたことはあった。でも調べてどうするというのだ。私の子供ならば引き取るか、親としての責任を果たすか。結局、はっきりした答えを出さない方が自分でも楽だったのだと思う。
今更舞子に会っても何もしてあげることはできない。レアとのいきさつを話したところで舞子を傷つけるだけかもしれない。そう思うと連絡を取ることはしない方がいいのかもしれない。と、また自分に都合のいい言い訳をしていた。しかし私ももう長くはないと思う。一言、舞子に謝っておきたい。舞子を見捨てたのは事実だ。舞子が私の本当の子供であろうとなかろうと、私はあの子を捨てたのだ。
舞子と話をした。舞子もあまり幸せな暮らしぶりではないようだった。しかし今の私にはどうすることもできなかった。話をしたことが舞子にとってよかったのか悪かったのかはわからなかったが、少なくとも私は少しばかり気が晴れた。多分これが舞子と話すのは最後だろう。私が死んでも舞子には連絡がいかないようにしよう。これからの舞子の人生が明るいものになるよう陰ながら応援するしかない。(終)