マイコの場合①
私は小学校2年生の時に日本に来た。そしてもうすぐ17歳になる。
ママはフィリピン人。パパは日本人だけど会ったことはあるのかもしれないけど覚えていない。
私の記憶の一番古いところはおじいちゃんとおばあちゃんと何にもない山の中で暮らしていて、おじいちゃんとおばあちゃんをパパとママだと思っていた。
小学校に入る少し前に突然ママが現れた。そのころのことはあまり覚えていないけど、普段怒ったことのないおじいちゃんがものすごい怖い顔でママと言い争いをしていたのは何となく覚えている。
だいぶ後になってママのいとこのアテ ミラから聞いた話だけど、ママは昔日本で働いていたんだって。その時パパと知り合って日本から帰る時には私がお腹の中にいて、パパと一緒におじいちゃんの家を訪れ結婚式を挙げたそうだ。
私たちは日本で暮らすはずだったんだけど、ママのビザが出なかったんだって。パパは何度か私たちのところに来ていたんだけど、そのうち連絡が取れなくなったんだってさ。それからママは私をおじいちゃんとおばあちゃんに預けマニラに働きに行ったんだけど、そこで新しい家族ができほとんど連絡もよこさなくなったんだって。
それがなぜ突然現れたかというと、日本人の子供である私と一緒ならば日本に働きにいけると誰かから聞いたからだ。そしてママはマニラに私を連れて行った。ママのパートナーのジェイソンは優しい人だったし、弟のジャンポールもかわいかったが、1年も経たずにママと私だけ日本に来た。
ママは弁当工場で働き始めた。私は近くの小学校に通うことになった。同じアパートにはアテ ジャネットとその子供のアテ アキコがいた。アテ ジャネットはママと同じ弁当工場で働いていて、どちらかが夜勤の時には同居する子供の面倒もみるということになっていて、2つ年上のアテ アキコは本当のお姉ちゃんみたいだった。
来たばっかり頃は、日本語もまったくわからなくてフィリピンに帰りたいと毎日泣いていた。でも学校には私のように日本語がわからない生徒がたくさんいた。フィリピン人や中国人、ブラジル人やネパール人もいた。フィリピン人のマリリン先生がそんな日本語のわからない生徒を別の教室に集めて日本語を教えてくれた。私は半年ほどこのクラスで日本語を勉強し、3年生から普通のクラスに入った。
4年生くらいには日本語もほとんどわかるようになったし、漢字もたくさん覚えた。週に一度教頭先生が放課後に勉強を教えてくれたし、アテ アキコも家で宿題を手伝ってくれた。友達もたくさんいて毎日、学校に行くのが楽しかったのにな。
何でこんなことになっちゃったんだろう?(続く)