支配からの卒業 〜何をしても責められるから、自分の信じる道を生きることに決めた〜 2
関係性は誰かの手によって壊されるものなのか?
自分の家庭や結婚生活に対して「このままだと、不意に何もかもを壊してしまいそうだ」という確信を抱き始めたとき、私にはある問いが浮かんでいた。それは問いというよりはある種の違和感とも言えるものだったと思う。
その頃の夫婦関係や家庭の状態はというと、それは酷いものだった。具体的にどんな酷さかはまた折に触れるとして、いわゆる夫婦関係と呼ばれるものは、誰がどうみても「終わっている・破綻している」という状態だった。セックスレスなど当たり前、両者子どもの親ではあるが他人同士と言わざるを得ない関係性だった。妻にとって私はATMであり何でも言う通りにしてくれる都合のいい存在でしかなく、私はといえば、妻に逆らうと攻撃されるのが怖くて何も言えなかったものの既に我慢の限界で、ほぼ精神は崩壊した状態だった。
つまり、当時私が「壊してしまいそうだ」と怯えていた家庭や結婚生活・夫婦関係というものは、そもそも【とうの昔に壊れてしまっていた】ということで、そして、私自身もまた、壊れていたのだ。
日本の婚姻制度は男性には不利でしかない気がする
すでに壊れてしまった(破綻している)夫婦関係から当時の私も妻も目を逸らしていただけのところに「もうこれ以上この結婚生活に耐えられないから離婚してほしい。我々の夫婦関係はすでに破綻しているのだから」と、私が離婚を申し出たところで、その壊れ具合が明らかになるに過ぎなかったはずだ。
しかし、当時の妻はセレブな専業主婦を気取れる都合の良い結婚生活への執着が激しかったため、そこからは書いて字の如く、泥沼だった。協議離婚などできるはずもなく、調停を申し立て、そこでも数々の嫌がらせや理不尽を味わい、瀕死の状態で離婚が成立した。日本の婚姻制度は男性には不利でしかないと思う。少なくとも私は、義務と責任を果たすだけの、いわば妻の金蔓・奴隷のような結婚生活で得たものなど何もなく、離婚という人生の自由と引き換えに、莫大なお金も仕事も大切な子どもも失った。
当時、妻は夫婦関係が破綻していたことなど認めるわけがなく、【自分は何も悪くない。悪いのはすべて夫だ】という論理を成立させるために、私が不倫をしているという妄想をでっち上げ、その嘘を私の親兄弟に吹聴した。ちなみに賢い両親はそんな嘘を信じるわけがなかったが、愚かな兄弟はその嘘を信じ込み、私は未だに兄弟とは絶縁状態である。
離婚の原因が自分たち夫婦にあるということを、元妻は離婚が成立した今も認めておらず、SNSでも「不倫女に家庭を壊された。夫のモラハラと不倫によって離婚したのに慰謝料も養育費ももらっていない」と嘯いているそうだ。私の名誉のために書いておくと、不倫の事実もなく、財産分与と養育費は一括で8桁支払い済である。
一番の被害者は子どもで、当然面会もさせてもらえないのだが、それどころか「お父さんは他に好きな人ができたからママと〇〇ちゃんを捨てたのよ」ととんでもない嘘を言い聞かされている。私は変わらず我が子を愛しているというのに「父親に捨てられた子ども」というラベルを母親から貼られる我が子の気持ちを思うとなんとも言えない気持ちになる。子どもにはなんの罪もないだけに、申し訳なさでいっぱいだ。
家にいて心が落ち着くという有り難さ
私自身、愛のない結婚生活と、そして、調停離婚というものを体験して、子どもの親権や養育のことも金銭面も、つくづく、男性には不利益しかないと痛感した。話に聞いてはいたが、実際に体験してみると、想像以上に酷かった。こんなに精神的にも追い詰められ、不利益しかないのであれば、離婚すら諦めて愛のない結婚生活を、死んだような人生を送ることにする人も多いだろうし、そもそも結婚に踏み切れない若者も多くて当然なんじゃないかと思う。
元妻からは、結婚生活中も責められてばかりだったが、どうやら離婚が成立した今も責められ続けているらしい。
とはいえ、離婚した今は、直接責められることは無くなったのだ。家にいて何も怖れることがなく心が落ち着くというのは、本当に有り難いと沁み沁み感じる。やっと「生きている」と感じられる。本当に大変だったけれども、子どものことはやはり辛いけれども、あの妻とは離婚できてよかった!!!