「煙突掃除」がダメで、「うるさい」は良くて
21時に帰宅した。とても疲れた。
今年から配属になった部署は新設であり、日々経験したことのない業務が降ってくるため神経を張り詰める毎日だ。役職にもついたが、嬉しさややりがいを感じる余裕はない。
妻と子ども(0歳、2歳)はすでに寝ている。いや、寝かしつけたばかりなのだろう。2階から物音が聞こえる。
夕食が用意してあるので、ご飯をよそい、味噌汁を温め、おかずを皿に盛る。
2階から「うるさい」と気怠そうな声がする。階段を降りる音がする。
返事をしなかったからなのか、私に伝わっているのを確かめるように、怪訝な顔つきでまた「うるさい」と投げてくる。
最近、妻と子どもたちが実家へ遊びに行った時のことを思い出した。
自宅の煙突掃除(我が家は薪ストーブである)を業者に頼んでいたので、私はお留守番だった。掃除が終わり、妻子を迎えに行った。子どもたちをハグし、妻が車に乗ったことを確認し私は話した。
「業者さんに、煙突キレイですね、ちゃんと大事に使ってらっしゃるんですね、って言われたよ」
掃除の結果を報告したところもあるが、私は妻から、物を大切にしないというレッテルを貼られているため、それを覆したくて、認めて欲しくて話したところもある。
「最初に話す内容がなんで煙突なのさ。子どもたちどうだったが先じゃない?」
おそらく私が褒めて欲しそうにしていたのかもしれない。それがカンに触ったのかもしれない。ただ、それの何がいけないのか分からなかった。子どもたちの様子はハグしたときに十分感じたし、実家に迎えに行くことも何度もあり、毎回開口一番子どもたちの様子を伺ったりしていたわけでもない。なぜ煙突掃除の話を最初にしてはいけなかったのか。
些細な痴話喧嘩は日頃の鬱憤をはらすための喧嘩へと発展し、しまいには「実家に帰る。戻って!」という始末。私も意固地なため実家へ戻ろうとすると、「帰らないから自宅に行って」と想像通りの前言撤回をする妻。それを無視して、実家へ向かう私。最終的には妻の両親を巻き込む喧嘩へ。
いつからか、こんなくだらない喧嘩が絶えなくなっていた。子どもたちへの悪影響を十分認識しつつ、何年にも渡って堆積してしまった鬱憤を喧嘩でしかはらせなくなってしまっていた。
2日前に、私は妻の言うことに従うことを決意した。「奥さんの言うことを聞く旦那さんは大成するんだよ」という真剣で切実な妻の訴えを聞き入れたわけではない。聞き入れたわけでは決してないが、決意したのだ。そしてお互いに優しさと配慮を持った会話を心がけようと約束したのだ。
その矢先の「うるさい」だ。
「煙突掃除の話」がダメで、「うるさい」は許されるのか。
私は「おかえり」という第一声が欲しかった。
甘えたいのではない。優しくされたいのでもない。
子どもたちにこれ以上悪影響を及ぼさないように、お互いの両親に迷惑をかけないようにと固く結んだ約束が、いとも簡単に破られる。その虚しさが、私の決意を揺るがす。私は弱い。ただおかえりと言ってくれるだけで良かったのに。
その言葉を飲み込んで、「今日も一日(子育て)ありがとう」と言うのが精一杯であった。
妻の言うことを聞くこと(加えて反論しないこと)は始まったばかりだ。
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