雑記:【ノンセンス・プロンプ】黛冬優子の所感(完全ネタバレ感想)

みなさまこんにちは。フィリアと申します。
2024年2月8日、新アイドルとして【ノンセンス・プロンプ】黛冬優子が登場しました。
【三文ノワール】のアンサーと言っていいような、強烈なコミュになっておりましたので、雑記として感想を手短に書き記そうと思います。

今回もモチーフやメタファーは多岐にわたっており、また【三文ノワール】との対応関係等丁寧に検証する必要がありますが、当方の事情により(主に、「継承率アップキャンペーン」(通称ド継承)のため)、落ち着いての検証は追って行いたいと考えており、雑記とさせていただく次第です。
もう時間がないんです!

今回のメインテーマは、「時間」「記憶」「嘘」の3つだと考えます。
これらに沿って、各コミュの感想を振り返ります。

1.我我何時

1コミュ目、「我我何時」では、冬優子にしては珍しく時間に遅れてしまいます。ただ、シャニPと冬優子が似たような行動をとっていたため、結局予定自体は冬優子が遅れてしまったどうかにかかわらず、予定よりは遅れて始まることになりました。
ここでいう、「我我何時」は、「我は汝」のことかと思われます。「我」が2つあるのは、2人の「汝」と冬優子を重ねているからではないでしょうか。
1つ目の「我」は、時計をなくして時間がわからなくなった中学生と、芸能界で時間軸を見失いつつある冬優子を重ねている。もう1つの「我」は、同様の行動をとっていたことで時間に遅れてしまったシャニPと冬優子を重ねている。
ここでは、結局シャニPとの時間のズレは修正されることになりますが、次の「異化憧憬」や「鏡像去来」まで、冬優子の「時間に対する感覚のズレ」は強調されることとなります。
シャニPも、「遅刻は記憶にない」と述べており、やはり三文ノワールを起点として、冬優子の中でのズレが生じていることを想起させます。

2.異化憧憬

「異化憧憬」で描かれたのは、「記憶の固執」を鑑賞する冬優子の姿になります(「知ってる」というぐらいですし、それで間違いないでしょう。)。
実際の絵では、3つの時計が示す、「現在-未来-過去」が溶けていくような世界、ひいては「現実と非現実」が混じり合うような世界(シュールレアリスム的表現)が表現されているとも言われています。
これを冬優子に当てはめれば、「現実=本当」の自分(黛冬優子)と「非現実=嘘」の自分(アイドル「黛冬優子」)が溶けるような状態を示していると考えられます。
ここで冬優子は時間を忘れてこの絵を鑑賞してしまいますが、自己に対する追求は時間と乖離してしまっていることを象徴させます。今は、アイドル黛冬優子として存在しているが、「記憶」として見られるとき、果たしてその像はどのように映るのか。「映画」であれば、フィルムに収まったままの姿が映りますが、偶像たるアイドルを懐かしむとき、その姿は現在の姿とは異なって映る可能性があります。
冬優子の3つの時計とは、何を示すでしょうか。ここは考察の余地があると思います(私は、三文ノワールに登場した「私」という一人称を含めた、「冬優子」「ふゆ」「黛冬優子(=私)」という説もあるかなと思いますが、だとすると上記の混ざり合う考察と合わない部分があります。)。

また、1コミュ目では狂っていただけの冬優子の時計が、今度は完全に止まってしまいます。上記のような自己追及が、完全に冬優子というアイドルの時間を止めてしまった(前に進めなくなってしまった)ということの顕れでしょうか。

ちなみにここでも冬優子とシャニPの、行動の類似性が描かれています。これが後々のフレーズに収束していきます。

3.鏡像去来

3コミュ目、「鏡像去来」では、冬優子の時間に対する感覚のズレが、園長との対話の中で表面化されます。
園長は時代にしがみついている、と現状を表現しますが、これは三文ノワールで示された「抵抗」の一つの在り方でしょう。娯楽がたくさんある中で、ずーっと変わらずやってきた、と。
一方で冬優子は、さびれた遊園地のアトラクションを「懐かしい」と言い、シャニPも全盛期を過ぎた遊園地を盛り上げるのが仕事だと認識しています。
現実に存在するものですら、浦島太郎の玉手箱を開けたような感覚にさせてしまった。これは、「抵抗」を掲げた張本人たる冬優子にとってはショッキングな出来事だと思います。自分の「抵抗」は、「懐かしさ」にしかならないのかもしれない、と。

そんな折、冬優子は自分が時計をなくしていることに気づきます。もはやこの時点において、冬優子の時間軸は完全に見失われてしまっています。アイドルとして、現在を生きているはずなのに、過去の存在となっているかもしれない、そんな状態で、未来へ進むことができるのか…。

パンダカーは、哀しく「バイバイ、マタネ バイバイ、マタネ」と機械的に「未来」を描きますが、もはや過去の存在のアトラクションが、「またね」を生み出すことができる可能性は、著しく低いように見えます。
このパンダカーの表現は特に強烈です。「終わったもの」がどうなるのか、その淵にまで冬優子は立っているのかもしれないとすら思わされます。
この遊園地やパンダカーこそ、冬優子の鏡像として描かれています。

4.周縁回帰

そして「周縁回帰」。
ここでの観覧車は間違いなく「時計」をモチーフにしています。
時計をなくして、時間を失った冬優子が、回り続ける(=ループする)観覧車という時計にシャニPと共に乗り込みます。

今の冬優子のすべてをつぎ込んでも、過去となった遊園地の時間を現在まで引き上げることはできないかもしれない、すなわち、抵抗はかなわないのかもしれないと悲観したとき、観覧車のゴンドラは完全に停止します。
冬優子の、時間が止まりました。

冬優子は、ノワール以来抱えていた、ノワールではシャニPに吐き出さなかった、アイドルとしての寿命、流行りと廃りの話を、シャニPにぶつけます。
(三文ノワールでは、これを「こっちにくれば?」の一言に込めていましたが、うまく伝わらず、その結果ずれを抱え込むことになります。)

それに対するシャニPの答えは、力強いものでした。
今じゃないものに価値はない、お客さんは流れていくと断ずる冬優子の発言を強く否定します(冬優子のコミュでは珍しく、冬優子の発言を制するような構図になっています。ノワールでは、こういったシャニPは見られませんでした。)。

「最初の客には、最初の客である権利と義務がある」

アイドル黛冬優子の最初のファンであるシャニPは、冬優子がアイドルである限り、プロデューサーである、と。その営みは、永遠よりも長い長い今である、と。
ノワールでは、冬優子はシャニPのこの答えを答えになっていないと断じました。今回も同じですが、明らかに冬優子の反応は異なっています。
その理由としては、ノワールでは「将来」の話をしていたからで、今回シャニPはその営みを「今」であると断じたからではないでしょうか。
記憶としての過去も、将来としての未来も不定であるが、今現在は、そのまま存在します。
そして、観覧車と整備士の関係、すなわちはアイドルとプロデューサーの関係をコインの裏表だと表現します。同じ側(=フィルムの中)には存在しないが、同時に存在し、現在を生き、ともに抵抗する存在。時間において、プロデューサーはアイドルが始まった瞬間から、ずっと「同時」の存在なのです。

「…………ねぇ」
「…………遊園地の話よね?」
「…………ああ」

その言葉に合わせて、観覧車と冬優子のアイドルとしての時計が再び動き出します。観覧車を降り、閉じ込められた時間のループからも抜け出します。そのとき、冬優子の表情はきわめて晴れやかなものとなっており、三文ノワールの時の寂しげな表情との対比が印象的です。

True End.不斉原子

「不斉原子」とは、キラリティを有する原子のことであり、キラリティとは、鏡に映した場合に同一の性質とならないことである。代表例として「時計の文字盤」や掌があげられるそうです。
冬優子とシャニPは、まさにそんな性質を持つもの。似た行動原理を持っているが、決して同一ではなく、向かいあったり、背中合わせだったりする。

そして冬優子から語られる「嘘」の話。
「嘘」は大切な酸素である。
そしてシャニPに、その「嘘」を託しています。騙されている限りは、玉手箱が開くことはない。「ずっと長い今」が嘘であったとしても、冬優子がアイドルであり、シャニPがプロデューサーである以上は、「過去」になってしまうことは、ない。
そして、冬優子はシャニPからずっと探していた「時計」を渡されます。壊れていた時計は、シャニPの手で直されていました。このカードコミュ全体を、象徴する事象になっています。

シャニPと冬優子は、完全に同一の時間を生きることができるようになった。同じ時間を生きる限り、遅刻することもない。

「見つけた」
「何を」
「永遠を」
「それは」

「嘘」

こう続いているのではないかと思います。
「嘘」こそが「永遠」なら、騙くらかされる限り、永遠である。しかし、「永遠に」は「嘘」である。なら、騙くらかされる限り「今」をずっと生き続ける。
アイドル黛冬優子は、そんな矛盾をはらみながら、「今」を生き続ける存在となるのだと思います。

まとめ感想

時間に対する冬優子の感覚やズレに、シャニPが直接触れることで戻っていく、そんな様を「時計」「観覧車」「パンダカー」などのモチーフを用いて見事に表現したコミュだと思いました。
「アイドル」と「時間」に対する葛藤は三文ノワールでも描かれましたが、シャニPがうまく対応できなかった(冬優子とズレが生じた)ことで、大きな波紋を呼びましたが、それらをうまく回収したコミュになったと思います。
個人的には、もう少し引っ張ってもよかったのかなと思いましたが、一つの決着を見届けられたことがうれしいです。
各コミュのタイトルやTrueについては、まだまだ考察のしがいがあるように思われます。今後の課題としたいと思います。

ここまで乱文にお付き合いいただきありがとうございました。





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