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「アイドル÷黛冬優子」に係る考察

みなさまこんにちは。フィリアと申します。
シャニマスはいよいよ周年期間に突入ということで、各種施策が目白押しですね。
周年過ぎました。社畜万歳。

本記事は、【三文ノワール】黛冬優子のコミュに登場する、「アイドル÷黛冬優子」という問題について、あれこれ考えていくものになります。
※本記事は、特に【三文ノワール】黛冬優子及び【ノンセンス・プロンプ】黛冬優子のネタバレを含みます。

見ないで信頼度
見てフォイル化

登場シーン

この手前の選択肢が物議。リーダの長さが違うだけ。

「アイドル÷黛冬優子」は、【三文ノワール】の3コミュ目「きみはまだ何も聴いてない」に登場する、冬優子がシャニPに投げかけた問題です。
映画監督に、役者としての才能を見初められ、アイドルとして消費されることは耐えられない、と言われ、それでもなお、自分たちの世界で抵抗していくと宣言したのち、シャニPとの車内の会話で発された問いかけです。

式及び解が示すことについて

「アイドル÷黛冬優子」という式の解釈は、数学的な場合分けにより、いくつかに分けられます。
それに従って考察をしていきたいと思います。

0.黛冬優子≠0

まず、大前提として、「0で割る」は数学的に禁則のため、黛冬優子は0ではないと言えます。これは大した意味はないようにも思いますが、冬優子が存在しているということ、すなわち「今」冬優子が生きる存在であることを示しています。

1.解が1より大きい場合

このとき、「アイドル÷黛冬優子」が指し示すものは、「アイドルという世界における冬優子の大きさ」と言えると考えます。
ここでも1つの場合分けをしましょう。

1.1冬優子も他のすべてのアイドルも1といえる場合
この場合は、アイドル界の総体としてのサイズを知ることとなります。その大きさは冬優子にとって、大きいと言えるのか、それとも小さいと言えるのか。その解は時間軸に従って大きくなるのか、それとも小さくなるのか。その世界において、「1」に過ぎない黛冬優子が、「1」でなくなる時はいつなのか。そんなことに思いを巡らせることができます。

1.2アイドルそれぞれに大きさが異なるとき
このとき、「アイドル÷黛冬優子」が指し示す値が小さければ小さいほど、それだけアイドル界における冬優子の存在が占める割合は大きいということになります。
人気を極めるストレイライト。アイドル界で勝っていく存在のストレイライトの、黛冬優子のアイドル界での立ち位置を指し示すその数字は、今後もっと小さくなるでしょうか。それとも、逆に大きく振れてしまうでしょうか。
「ふゆたちの世界で抵抗していく」とは、ある意味この数字を二度と大きくしないことかもしれません。

2.解が1より小さい場合

このとき、「アイドル÷黛冬優子」が指し示すものは、「冬優子に占めるアイドルの大きさ」と言えると考えます。
黛冬優子という存在にとって、アイドルはどれだけの大きさを占めるのか。この問題は複雑です。
まず、19歳の冬優子は、専門学校生です。明確にアイドルではない要素があります。
それだけではなく、彼女には、「アイドルとしては見せない本性」があり、冬優子にとっての自己認識はどちらかと言えば此方にあります。
さらに言えば、「私」という要素。これは、冬優子の根源的な自我の部分だと考えています。
(たまに「私」と言ってしまう旨のコメントがスタイルブックにありましたね。これは、【三文ノワール】を受けてのことなのでしょうか…。)
「ふゆ」と「黛冬優子」をとっても、アイドルの要素とアイドルではない要素が対等に存在しているように思われます。

「私」

なれば、アイドル÷黛冬優子の解は、1/2よりも小さいものとなるのでしょうか。
アイドル黛冬優子を形成するのは、必ずしも「ふゆ」の側面だけではありません。冬優子は、その自我の持てる要領の良さや分析力、賢さを最大限活用し、「ふゆ」を形成しています。このため、「本性的な黛冬優子」の部分もまた、アイドルである部分、アイドルに内包される要素となります。
この解が1に近づけば近づくほど、彼女にとってアイドルというものがなくてはならないものであることをうかがわせます。
アイドルに「なれた」そして、これからも「なっていく」ということであると。

そして1にたどり着かないとき、わずかに残る「私」とは、いったい何か。

3.解が0の場合

お察しのとおり、次が本題ですが、その前に一つ。解が0であるとすれば、どのような意味を持つでしょうか。
このとき、「アイドル=0」であるということになります。アイドルとは、虚無であり、消費されるにすぎない存在である。そんな恐れが最大化したとき、このような状態となります。

アイドルマスターシャイニーカラーズでは、このような状態は出現しえない。アイドルたちは、アイドルになった瞬間から世界に意味を与え、常に何かを生み出し、誰かに触れ続けてきました。
このため、解が0となることは、ないのだと信じています。

4.解が1の場合

ここが本題です。
「アイドル÷黛冬優子」という命題において、唯一定数を示すのがこの答えになります。
この時言えることは、「アイドル=黛冬優子」ということになります。
アイドルとは、黛冬優子のような人物のことを言うのであると。冬優子が【三文ノワール】で示した、「抵抗」こそが、アイドルとしての生き様であると。
そして同時に「黛冬優子=アイドル」であるといことも導かれます。未来のある時点から思い出される「幽霊」としての存在ではなく、黛冬優子という存在の「肉体」すべてが、現在においてアイドルであるという点が強調されます。

冬優子は、アイドルマスターシリーズにおいて、「最もアイドルらしからぬアイドル」の一人であり、一方で「最もアイドルであることを望む存在」の一人です。そうした存在を、イコールで「アイドル」と結べる状態というのは、大きな矛盾をはらみつつ、他方で最もその存在の特質を際立たせる状態ではないでしょうか。
ほかでもなく黛冬優子においてこの等式を成り立たせることに、大きな意義があると言えるでしょう。

立ち返って

冬優子はなぜプロデューサーに「アイドル÷黛冬優子」を問うたのか。
そもそも、答えを求めていたのか。
筆者は、冬優子が求めた答えは「1」という解ではないかと考えています。アイドルを象徴するような存在であれているか。冬優子こそアイドルと言える姿を、映画監督に俳優にならないか、と言われた後でもできているか。それを確かめようとしたのではないでしょうか。

【三文ノワール】の特徴として、冬優子が本心を隠します。これは【ノンセンス・プロンプ】の「鏡像去来」まで続きます。

しかし、シャニPは答えられませんでした。これは、【三文ノワール】が冬優子とシャニPのズレを表すコミュになっているからだと考えます。

そしてその問の答えは、【ノンセンス・プロンプ】のTrue End「不斉原子」に顕れます。
このコミュでは、シャニPが何らかの「課題」に悩んでいる様子が描かれます。そして、冬優子の「時間切れ」という言葉が【三文ノワール】の際の問いかけに重なります。

シャニPが「不斉原子」で取り組んでいるなんらかの課題は、「アイドル÷黛冬優子」のメタファーであると考えています。

シャニPはまたしても、時間切れになるまで課題を解くことができませんでした。しかし、それに対する冬優子の声色は大きく異なり、晴れやかなものとなっています。
「ノンセンス」な「プロンプ」を出すシャニPに、この問いを解くことはできませんが、その代わり、そんなシャニPが発する「嘘」があるからこそ、黛冬優子はアイドルでいられるという冬優子のモノローグが描かれています。
そして、冬優子はこの問いをバトンタッチで預かりました。これからの未来において、その解が「1」でなくなるなら、その答えも自分で見つける。コインの裏表のシャニPは、最後まで「1」であることを冬優子に信じさせてくれます。だからこそ、その解が「1」でなくなるとき、冬優子はその解を自分で認識する必要があるのです。

最後に

ここまでお読みいただきありがとうございました。
この式の指し示すところについては、もっともっと深堀りできるように思っております。引き続き、【三文ノワール】と【ノンセンス・プロンプ】を基軸に、黛冬優子コミュを味わいつくさなくてはならないという決意を新たにしました。






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