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大きいことを起こす、小さな一歩を:人間関係の限界とその超越

 私たち人間が持つ認知的な限界の一つとして、「ダンバー数」という概念が知られています。ダンバー数とは、私たちが維持できる安定した社会的関係の上限を示す数であり、一般的には約150人とされています。この数字は、親密な関係から疎遠な知人までを含んでおり、脳の容量や処理能力に基づいています。このダンバー数を理解することは、日常生活や社会的活動をより効果的に管理するための鍵となりますが、それ以上に、どのようにしてこの限界を超え、より広範囲に影響を与えられるかを考えることが重要です。

身近なところから始める:道徳的責任の拡張

 哲学的に考えると、まず私たちが関心を持つべきは「自分自身」です。アリストテレスが述べたように、徳は実際の行動を通じて発展します。つまり、自己の改善や自己理解が最初のステップとなり、その上に他者との関係を築くことが、持続的な道徳的行動につながります。身近な関係、家族や友人、職場の同僚との関係を深め、そこに責任を持つことが、次第に私たちの関心や行動を拡大させる基盤となります。
 例えば、いきなり「世界の飢餓を解決しよう」とする目標は、感情的には高尚かもしれませんが、現実的な行動に結びつかないことが多いです。これに対し、まず自分の生活や身近な人々の幸福を改善することから始め、それを次第に広げるアプローチは、より実行可能であり、結果的に広範囲の社会問題に取り組む準備を整えることになります。

ダンバー数をどう超えるか:現実と理想のバランス

 しかし、ここで問題になるのは、ダンバー数の限界です。どんなに努力しても、私たちが深く関わり合える人々の数は限られており、150人前後がその最大値とされています。この制約の中で、どのようにしてより多くの人々に影響を与えるかが課題です。
 カントは道徳的な義務を普遍的な法則とみなし、誰にでも適用できる行動を求めましたが、その実行には現実的な限界があります。ダンバー数のような認知的な制約を考慮すれば、すべての人に同等に関心を向けることは不可能です。そのため、まずは自分が直接関わることのできる範囲に集中し、その範囲内での道徳的実践を完遂することが現実的です。
 一方で、ロールズの「公正としての正義」もここで参考になります。彼は社会全体の公正を追求する際、個々の立場からの公平な判断を重視しました。この理論に従えば、私たちはまず自分の属するコミュニティ内で公正さを実践し、それが拡大して社会全体に良い影響を与えることが理想とされます。つまり、親密な関係を超えて社会に対する責任を感じるためには、まず自分の影響力が及ぶ範囲をしっかりと把握し、そこから少しずつ責任を拡張していくことが求められます。
 要は自分を起点とした150人とよりよい関係を築くことで、その150人の誰かがまたその人を起点とした150人とよい関係を築くことに繋がります。この150人同士はまったく同じ組み合わせではないため、どんどん輪が広がり、やがては大きな連帯となるでしょう。

SNSとダンバー数の挑戦

 さて、近年、SNSの普及により、私たちは物理的には会ったことがない多数の人々と関係を持つことが可能になりました。SNS上では、数百、数千人の「友達」やフォロワーと繋がることができますが、果たしてこれが真の意味での関係と言えるでしょうか。
 SNSがダンバー数を超えた人間関係を提供しているように見えても、実際にはそれらの関係は浅く、感情的なつながりが弱いことが多いです。実存主義哲学者サルトルは、他者との関係において、他者を「見る存在」ではなく「見られる存在」として経験することが、自分自身の実存を確認する重要な要素だと述べました。サルトルが言う「見られる存在」とは、他者の視点を通じて自己の存在を認識し、その中で自己の意味を深めるプロセスです。これは、対話や実際の交流を通じて、他者とのリアルな関わりの中で自分の存在を意識し、実感するものです。
 しかし、SNS上の「見られる存在」はこれとは異なります。SNSでは、多くの場合、自分をどのように他者に見せるか、つまり「演出された自分」が中心になります。他者からの評価や「いいね」などの反応を引き出すことが目的となり、自己の本質的な存在確認というよりも、表面的な承認欲求の満足にとどまることが多いのです。
 その結果、SNS上の関係は量に重きを置きがちで、真の対話や深いつながりが欠如しやすいのです。この浅い関係性が続くと、他者との実質的なつながりを感じにくくなり、逆に疎外感や孤独感を強めてしまう危険性があります。表面的な「見られること」への依存が、私たちの本当の自己認識や他者との実存的なつながりを阻害してしまうのです。
 この観点からすると、SNSの広がりはダンバー数の問題を解決するどころか、さらに悪化させている可能性があります。大切なのは、私たちがどれだけの人と繋がるかではなく、どれだけ深く関わり、相互に意味のある関係を築くかです。
 また、フィルターバブルという現象も警鐘を鳴らされています。フィルターバブルとは、インターネット上で検索エンジンやSNSがユーザーの過去の行動や好みに基づいて情報を選別・表示する仕組みのことです。その結果、ユーザーは自分の意見や興味に合った情報ばかりに触れ、異なる視点や反対意見に接する機会が減少し、自分の世界観が固定化される現象を指します。思考が凝り固まってしまうリスクがあるわけです。

対話の重要性:他者との関わりを深化させる方法

 それでは、ダンバー数の制約を前提にしても、私たちはどうやって深い関係を築き、責任を拡大していくべきでしょうか。一つの答えは「対話」にあります。哲学者マルティン・ブーバーは、人間関係を「我‐汝」の関係として捉え、他者を単なる対象としてではなく、相互に尊重し合う存在として対話することが、真の意味での関係を形成すると述べました。
 対話は、他者を理解し、共感し、責任を持つための最も基本的な手段です。親しい関係の中で、日常的に深い対話を持つことで、その関係は単なる社交的なものを超え、相互に支え合う道徳的な関係に発展します。ここで築かれた倫理的な関係性が、次第に外部へと拡張し、社会全体に対する責任感へとつながるのです。
 そのためには、1:1の親密な関係から徐々に関係性を広げていくことが正攻法となるでしょう。

結論:小さな範囲から世界へ

 ダンバー数が示す通り、私たちの脳には認知できる関係性の限界があります。しかし、それを受け入れつつ、少しずつ影響範囲を広げることは可能です。まずは自分自身、次に親密な関係、次に知人、そして職場や地域社会といった形で、現実的かつ持続可能な責任の範囲を拡張していくことで、最終的には世界規模の問題にも関わることができるかもしれません。
 このアプローチは、個々の責任感を強化しつつ、現実的な行動計画を立てるための指針となります。人類全体の問題に取り組むことは高尚な目標ですが、それを実現するためには、まず足元の小さな一歩から始めることが必要なのです。ダンバー数という限界を理解し、そこからどう影響を広げていくかを考えることで、より多くの人々に持続的な影響を与えることができるでしょう。


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