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13年前のあの日、「人間関係の土台」を私は学んだ
自分の理想的な体格に照らして、あまりによろしくない体格になってきた今日この頃。。。
あまり好きじゃないのですが、筋トレと合わせてランニングを始めることにしました。また別の機会に書こうと思っているのですが、むしろ嫌いですね走るの笑
でも、クリスティアーノロナウドの肉体美を手に入れるまで精進します!
13年前のある日のこと
今日はずいぶんと昔の話をします。
もし、今の自分の仕事に意義が見いだせないと思う人がいたら、ぜひ読んでいただけたらと思っています。
今から13年前、とある大企業に入社しました。
選んだ基準とか、そういうのはまあ、今思えば安直ですが明確に言語化してなかったものの「安定」とか、そういうことを考えていました。
その中にあって、コミュニケーションにコンプレックスはあったものの、それをはねのけて「カリスマ営業に俺はなる!」的な野心は持っていて。
期待と不安入り混じる社会人生活を楽しみにしてたんです。
が、何ともびっくりしてしまうことに、最初に配属されたのは「総務部」という部署でした。
「ソウム…??なにそれおいしいの??」
以降、思考は停止。ちょっと現実を受け入れるまでに時間がかかりました。
だって、ちょっと冗談みたいに書きましたけど、どういう漢字を書くのかもわからないレベルですし、就活中も聞いたことありませんでしたからね。
いや、聞いていたのかもしれないけれど、アンテナにかかってなかったのかもしれません。
ちなみに、他の会社はわかりませんが、僕がいた会社は事業部制を敷いていて、各事業部ごとに総務部が置かれていて、「従業員が気持ちよく働ける環境を作る」のが、一言で言うと仕事でした。
人事的な機能も持っている部署で、まあ、色々と会社の裏側も見させてもらったのは良くも悪くも勉強になりました。
閑話休題
とにもかくにも、とにかく「聞いてないし希望してないし」という想いに支配されていた私は速攻で「リクナビNEXT」に登録するくらいには「いやだ」と思ってましたね。
とはいえ、当時の座右の銘は「人間万事、塞翁が馬」でしたし、給料ももらうし、プロになったわけですから感情はさておいても全力は尽くそうと、己に誓って頑張っていたわけです。
しかし、事件は起きた
あるとき、大学の友人たちと再開した時に、配属先を嗤われて、始まりとともにキャリアが終わったなくらいのことをまあ言われまして。
これが、結構長いこと引きずることになる「トラウマ」になってたんだなって気づいたのは本当に最近のことです。
信頼関係が崩れるのは一瞬と言いますが、それは本当ですね。
どんなに親しくても、そこにリスペクトが無いと気づけばどんなに長い年月を一緒に過ごそうが、同じ目標を真剣に追い求めた日々があろうがもろくも崩れ去る。
ガラガラ―って音、実際はしませんでしたけどしましたからね。私の中では。
そして、ただただ、怒りと悲しみと嫉妬に支配されてしまった私は、彼らから文字通り距離を取ることしかできませんでした。
今では昇華できてますが、当時はどうしてもダメで。
そこに従事している方々のことを思う余裕もなく「自分は無駄な仕事をしている」とどこか思ってしまってました。
この時のことがきっかけとなって、「またあの時のように笑われてしまうのでは…」というトラウマから、コーチングを含む自分がやることすべてを人に話すことが怖くなってしまったのですが、それはまた。
実に他責な捉え方ですが、まあ許してください。そう思うことでしか、自分を守ることができなかったんです。
でも、不思議なもので人間関係で悩むことになっても、その状況を救うのもまた人間関係なんですね。
当時、それでも自分を奮い立たせて頑張ってたのですが、それを見ている人は本当に見てくれています。
ある退職者とのやり取りで、今でも御守りにしている言葉をいただくことができました。
「最後に君と仕事ができてよかった。ありがとう。」
私からすれば、まっとうに仕事をしていただけにすぎなかったのですが、この方は最大級の敬意を私のようなひよっこ社員に示してくださったのです。
嬉しかったですね。嬉しかった。
人間関係は「敬意」で成立する
先日出版されたTCS代表の馬場啓介氏が書いた「キングダムで学ぶ最強のコミュニケーション力」の中で「敬意」について語られています。
詳しい話は割愛しますが、私が敬意が人間関係でいかに大事なのかを学んだのはこのときだったのだと思います。
敬意を欠いた言動により信頼関係が崩れ、最大級の敬意によって信頼関係が築かれたのですから。
人が誰かのために働こうと思うとき、そこに敬意の視点は欠かせないんですね。付き合った長さなど、軽々と超える力がそこにはあります。
ただ、ここで忘れちゃいけないなーと思うのが、私は一緒に働く仲間や部署、そして、自分自身に対しての敬意が足りてなかったんです。
なぜなら、
そこの従事している方々のことを思う余裕もなく「自分は無駄な仕事をしている」とどこか思ってしまってました。
こう思っていたわけですから。
どんなに簡単だったとしても、やればだれでもできると思われたとしても、それだけで安易に「無駄なこと」「キャリアの終わり」などとジャッジしていいはずがありません。
同じ部署で働く先輩方は優しく、時に厳しく指導をしてくれましたし、自分も傷つきながらも自分なりに懸命に取り組んでいた。
どんな仕事であれ、そこに敬意の視点を持っておくこと。
そうでなければ、いたずらに人を傷つけ、自分を責め続け、得体の知れない不安や焦りに支配されるだけの日々を過ごすことになります。
当然、いい仕事なんてできるはずもないでしょう。
どんな仕事にも、どんな人にも一片の敬意を
もし、これを読んでくれている方が、自身の仕事に意義を見出せないのだとしたら、まずは深呼吸をして、自分がする仕事によって誰が救われるのかに想いを馳せてみてほしいです。
本当に、誰もいないのでしょうか。
本当に、やっていることは無駄なんでしょうか。
このご時世、淘汰されていく仕事はそりゃああると思います。
でも、です。それでも今は仕事をしている。
で、あるならば、コピー1枚だろうが、ありがとうと、口にはせずとも思ってもらえることはあると思うのです。
そういう方々によって、あなたの仕事は「敬意」を示されているだろうし、示されて良いはずです。
やりがいを見出せないのもいい、
つまらないと思うことも構わない。
でも、そこで働いている同僚の皆さんや、
頼りにしてくれている人、
そして、それでも歯を食いしばって働いている自分に対して、
どうか敬意だけは忘れないで欲しい。
どんな仕事にも、どんな人にも一片の敬意を示すこと。
コーチとしてのリクエストであり、また、自分への戒めでもあります。
それが、仮にその仕事を離れるとしても、次に行く場所でいい仕事をするための土台になると思うからです。
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