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ぴんふさんで学ぶ麻雀「フリテン」

麻雀ルール界のラマヌジャンこと「ぴんふさん」がよくする発言に

フリテンは不要

というのがあります。

フリテンの説明は面倒くさいので、Wikipediaと浅見了先生のサイトと福地先生のnoteを読んでください。これは前提知識なので必ず読んでください。

では、ぴんふさんの問答を見てみましょう。

FireShot Capture 358 - NKCぴんふ@麻雀初心者さんはTwitterを使っています_ 「フリテンも不要だと思ってる勢」 _ Twitter - twitter.com

ぴんふさんの主張をわかりやすく説明すると、「蓋然性」と「確実性」の問題です。フリテンルールを採用しなくても、現物やその他フリテン待ちに「ロンされない」という蓋然性は高いです。仮に確率を98%としましょう。

「100%ロンされない」と「98%ロンされない」

98%の蓋然性に対する2%の可能性をどう捉えるかですね。

実際には麻雀は2人ではなく4人で行うゲームで、かつ不完全情報ゲームなので、「確実性」のある安牌は相当の条件付けが必要です。簡単にいえば、リーチ者にはロンされずとも、他のプレイヤーにはロンされる可能性はあります。つまりたとえばフリテンルールを採用している場合でも、リーチ者の現物であろうとも、それは確実な安牌ではなく、蓋然性の中にあるということです。

また「リーチ者以外にはロンされてもよいという状況」でも、98%の蓋然性が保証されているので、それで十分だというのがぴんふさんの主張です。

ぴんふさんの意見に反論するなら、論点は2点あると思われます。

①麻雀プレイヤーのすべてが戦術書やセオリーを学んでいるわけではない。98%の蓋然性という数字は、実際には統計をとる必要があり、場況によっても上下する。またつまり「確実でない」という1点だけで、セオリーを拒む人間も予想される。現にフリテンがなければ「なんでもロンされる」という飛躍(実際には誤謬だが)を主張する勢力も存在する。

②現状のフリテンルールで、リーチ者の現物にロンされない「100%の確実性」が「98%の蓋然性」に変化することで、現代麻雀のセオリーが変化し、セオリーの蓄積に揺らぎが生じる可能性がある。またたとえば役なしの愚形待ちを和了せずに平和の多門待ちでフリテンリーチする戦術などが浸透した場合、「98%の蓋然性」が「92%の蓋然性」に変化する可能性もありそう。

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ぴんふさんの主張と予想される反論については、議論の余地があると思いますが、フリテンを採用することとしないことのそれぞれのメリットとデメリットを比べて、より「プレイヤーの目的」に適うルール制定が重要かと思われます。

フリテンありの特徴は「ルールの複雑化」「読みの単純化」

フリテンなしの特徴は「ルールの単純化」「読みの複雑化」

よくある「フリテンがないと読みがなくなる」というのは間違いです。現物を切るなんてサルにも出来ます。単に考える要素が増えるだけで、シンプルな思考はセオリーで学ぶことができます。

また「デバサイ」を狙いやすくなること、鳴き手の片和了がしやすくなることなどで戦略も広がると思います。

ぴんふさんの目的は「初心者が覚えやすい簡単でシンプルな麻雀」なので、「フリテンなし」がいいでしょう。

フリテンなしルールには「読みの複雑化」というデメリットはありますが、「リーチ者の現物はロンされない」のはルール的には間違いなものの、戦略的には蓋然性が高いので、そのままセオリーにしていいでしょう。

現物をロンされたらムカつくとかいうひとはそもそも麻雀に向いてないです。

浅見了先生福地先生の記事にあるように、フリテンの起源は感情的な理由が通説ですが、僕はちょっと疑問をもっています。多分昔にも「現物はロンされにくい」というセオリーに気付いたひとがいたのだと思います。そのひとが「現物はロンされない(ことが多い」と他人に教えていくうちに伝言ゲームのようになって「現物はロンできない」に変化していったのではないでしょうか。現在の「和了牌が1種類でも自分の捨て牌に含まれている状態」という定義も伝言ゲームの結果と思われます。

麻雀のルール制定、そろそろ伝言ゲームはやめて理論的に作ってみませんか?

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