麻雀の公式ルールとローカルルールの関係について
前回、このようなnoteを書きました。
リーチ麻雀の公式ルールを作る方法
これについて面白い反響がありました。
いや、ついつい「読解力ないひと」とか言ってdisりましたが、根本的なところで誤った見解が麻雀界に根強いので、ある意味この方は被害者かも知れません。
「リーチ麻雀には公式ルールが必要」
このような主張をすると以下のような否定的意見が現れます。
①麻雀の魅力は多様性。ルールを統一されるとつまらない
②プレイヤーそれぞれで好きなルールは違うし統一できるわけがない
③公式ルールを作ったところで、誰も新しいルールを新たに覚えようとはしない。普及は不可能
④ルールが変わると麻雀が別ゲーになる
結論だけ言うと、すべて誤った意見です。
ネマタさんのnote「麻雀はもっと自由に遊べる」をご覧ください。
・・・読みましたでしょうか?
でもこれを読んでもまだ理解の出来ない頭の悪・・・もとい、固定観念に縛られたひとたちはたくさんいます。僕やネマタさんやぴんふさんみたいに真面目に麻雀のことを考えるひとであれば
「公式ルールとローカルルールは両立する」
ということは当然の認識なので、まさか「公式ルールがローカルルールを駆逐する」という妄信を抱いたひとたちが存在することは理解の外なので忘れがちなんですよね。反省します。
だいたい「公式ルール」が存在すれば、巷の雀荘の長々とした説明なんて
「公式ルールとどこが違うか」
それだけを説明するだけでこと足りるので、単純にメリットしかないです。
前回のnoteでも書きましたが
麻雀プロはほとんどが巷のフリー雀荘出身です。つまりプロになる前はまったく別のゲームを打ってます。そして団体を選ぶ動機だって、「連盟しか知らなかった」、「尊敬するプロが所属していた」、「仲のいい先輩が所属していた」とかいう適当なものばかりで、各プロ団体のルールを精査して自分が遊びたいものを選んだとかいうマニアックな目的の人は少数派でしょう。
麻雀が好きで好きでたまらなくて麻雀プロになったひとたちですら
「麻雀のルールにこだわりがない」
ルールにこだわっているのなんて一部のマニアだけです。
公式ルールが普及すれば節操なくそれで遊び始めるに決まっています。
赤ドラだの裏ドラだのの有無なんて「公式ルールのオプション」に過ぎません。他店や他サークルとのルールの差別化は面白ければ広がるし、つまらなければ淘汰されるだけです。
また東天紅、ちゅんま(国際公式ルール)、ブー麻雀、アルシーアルなんかはそもそも一般的なリーチ麻雀と違い過ぎるので、競合すらしません。完全に独自路線です。ぴんふさんの「チップスジャン」もそうですね。
あと時代の変化についていけないお年寄りはともかく、若者は快適なプレイ環境、面白いコンテンツがあれば新しいものはどんどん吸収するので、旧来の麻雀のイメージなんて、勝手に置き換えられます。スマホだって年寄りは「昔はそんなものなかった」とかいって拒否しますが、子供は勝手に覚えて勝手に遊びだしますよね、それと同じです。
昔は「ネット麻雀なんて麻雀じゃない!」なんて言ってたひとが多かったでしょう?でも世代が下るごとにイメージが変化していってるじゃないですか。古い価値観のひとはどうせ先に死ぬのでどうでもいいです。
公式ルールという「枠組み」
麻雀で「自由」に遊ぶ
これはまったく矛盾しません。
「自由」の意味は「無秩序」ではありません。
「枠組み」を自覚し、「枠組み」を利用して考えるという行為そのものなんです。
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