見出し画像

出る杭を打つ日本、誉めるノルウェー

写真はNidaros大聖堂から。チラッとうちの工学部キャンパスの一番有名な建物が見えるよ。
今日は一瞬晴れたと思ったら、雨が降り始めた。
とってもトロンハイムな天気。

出る杭を打ちたい日本

僕はなにかで一番になったことはない。
大体上位者にはいたけれど、全然トップ層には入ったことがない。
とはいえ、なぜか目立ってしまう人だった。
これは面倒臭い。
日本で目立つ=叩かれるから。
更に自分のタチが悪かったのは、ディスカッションなしで頭ごなしに何かをやれと言われるのが嫌いだったこと。
そして言い返すし、納得しないなら従わない子供だった。
つくづく学校の先生からしたらタチが悪いんだと思う。
扱いにくいから、クラス全員の前で先生から平気で悪口を言われた思い出もあるし(もっとも僕だって彼の不足部分を指摘していたし、最終的には結果で見返していたが)、これは何度も起こっていたことだった。
みんなと同じことをするにも理由が欲しかった。
結果、コンフリクトしか産まなかった思い出。

部活に入れない

部活は無理だった。
中高、大学全てにおいて体育会系と呼ばれるものは一歳避けた。
何度も言おう、無理だった。
親からは上下関係や人間関係を学べるから行きなさいと何度か言われたが、結果はいらず。

スクールカーストも無理

大学の医学部にもスクールカーストがあった。
無論入れるわけもないし、入ろうともしなかった。
同世代のはずだが、話が一歳合わない。
自分は目立ってしまうので、なぜか知らない人からタメで話しかけられるが、自分はその人が同級生かわからない。

出る杭であり続けたが

いまだにコンプレックスだ。
僕はいわゆる日本の普通のことができなかった。
祖母からは健康に普通に生きてほしいと言われたが、健康に生きる努力はするものの、普通には生きることができなかった。
結果、僕のコンプレックスとしてあり続ける結果になった。
打たれ続けた結果なのか、自分の出来は悪いと思ってしまっている。

ハッと気がつく褒め言葉

研究プレゼンをスーパバイザー等にしている。
最初に、必ず短い時間でよくここまでまとめたとか、必ず誉める。
90人近く応募者がいたが君がベストなことは明白だったとか、君より才能のない人が成功していくのをみたから大丈夫とか、すごく褒められて泣きそうになる。
最初に褒めて、しっかりと建設的な意見を教えてくれるし、どうやってブラッシュアップするかを教えてくれる。
うちのチームがとても良いところであることも事実。

日本でも褒められていた

よくよく考えると研修先でも結構褒められていた。
なので環境によっては褒めて伸ばそうとしてくれる環境も日本にはあるし、僕を雇ってくれた先生や研究を教えてくれた先生方なんて僕の特殊才能を最大限に生かそうとしてくれた。
ただ、これはなんとなくそういう文化が染み込んでいるところじゃないだろうか。
僕のノルウェーの研究チームが特別そういう文化だと言われると反論できない。
しかし、なんとなくノルウェーの方が同調圧力が少ないから普通にこだわることはないと感じる。

同調圧力だ、日本の

問題は同調圧力なんじゃないだろうか。
マスクみたいに上手く動くこともある。
でも、日本人の生きにくさってこういう同調圧力じゃないのかな。
なかなか変化させにくいと思う。
だからディスカッションの文化もないのかもしれない。

普通なんてないはず

無茶でしょう、普通という概念は。
僕みたいに謎のキャリアを送っている人は少ないから、希少性があると思っている。
普通さは諦めたけど、出来なかったという思い出がやはりコンプレックス。
みんなが出来ないことをやっていくのが自分の仕事なのかもしれないと思っている。

幸いスキルがあった

僕はスキルを日本でつけさせてもらった。
幸運だった、色々な先生方に恵まれたし、職場の理解やサポートもあった。
だから今自分はここにいて、このようなことを感じられている。
でも、勘違いしてはいけない。
ノルウェーや海外に来たから、同調圧力がなくて活躍できるわけじゃない。
自分のスペックは変わらないか、むしろ下がるから。
決して海外にそういう無意味な憧れで来てはならない。
大変だから、住むの。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?