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医学部時代の振り返り(医学部って人気らしい)

ノルウェーやPhDの話を中心にしているので、たまには日本時代の話をしようと思う。

なんか偶然入学した

現役で入学できたのはなんかの縁だろうか。
自己紹介でも書いたけど、前期工学部落ちて後期医学部に入った。
なんかよく分からんってみんなに言われるけどうちの医学部はそういう人が時折いた気がする。
興味はあんまりなかったけど、バイオサイエンスがやれるかなと漠然と思っていた。エンジニア志望でGAFAに行って働きたい、修士からCalTechに進みたかった。目指せシリコンバレーとか思っていた。

当時の医学部受験

医学部バブルだった気がする。
高校の時、理系で半分くらいが医学部志望だった。うちはそこまで進学できる学校じゃないから、なぜそこまで人気かよく分からなかったし、今もよく分からん。
人助けをしたいなら他の職業でもできるんじゃなかろうか。
当時、僕が医学部に浪人せず入学したことに皆驚いていた思い出がある。

医学部入ってから

バイオサイエンスっていうか地方国公立のメインの目的はその県の医師を増やすこと。無知すぎてばかでした。
みんな医者になりたくて入ったような子達ばかりだし、目がキラキラしていた気がする。僕の居場所はなかった。
暗記勝負の勉強ばかりで面食らった思い出。僕は特に暗記が苦手で物理と英語で稼いでいた人だったのでこれまた辛かった。
海外から留学生が来るからその相手していて居場所があったような気がする。
医学部特有の部活には馴染めなかったし、帰宅部を中学高校から引き継ぎました。
飲み会も苦手だったし、行くのやめた。
つくづく合っていないところにいたと思う。

医学部辞めたくて

やりたいことは、やはりエンジニアかジャーナリズムとかだったんだろう。
試験が辛いわ、周りは臨床の授業になるにつれ、僕は精神的にだいぶ追い込まれた。
四年生の時はずっと辞めたかった思い出。3年の夏にトロントに二ヶ月留学させてもらって、そこで自分も出来ると思った。
帰国したら、暗記中心の苦手なことばかりで追試も引っかかるし、全然内容を理論的に理解できず大変苦しんだ。
トロント大学に編入したくてしょうがなかった。
辞める直前だったが、いろいろな先生に相談して頑張って乗り越えた。
ついでに、居候先の研究室も見つけた。医学部出身者がおらず、旧帝出身の先生たちのラボで非常に安心感があった。
相変わらず、臨床実習は全く暗記も勉強もしないから、先生たちには呆れられていた。
それでも英語論文を読むのは好きだった。

国試

なんとか乗り切ってギリギリの線をずっと行っていた。
国試と卒業試験が来ると僕は考えた。
”勉強したくない”から、いかに頭を良い状態にして暗記量を減らすか。
アルコールとカフェインを断ち(元々アルコールもそんな好きじゃなかったけど)、睡眠時間を8時間は絶対とって朝型の生活にする。
趣味のボルダリングは必ず教授と週一で行く。オフは絶対とる。
メンタルも病まずにこの方法で行けました。
ちなみに、勉強法は過去問を解いて分からないことが出たら、英語のレビュー論文を探して読みまくる。仕組みや治療法の理由がわからなければ基礎論文を読む。ラボの先生とディスカッションする。
これでよく合格したと思う。
国試直前の模試は確か偏差値30だったと思う。
でも過去問では軽く合格超えてたから笑っていた。
まあ最悪落ちたら、ニートできるし。

なんか国試も受かった

全然緊張しなかった。
別にどうでも良かったんだと思う。
特に点数的にもむっちゃいいわけじゃないけど、別にギリギリでも全然なかった。
ヨーロッパの製薬企業のヨーロッパ本社でインターンを取っていたけど、時期が合わず行けず。
これでインターン行けていたら、多分研修医もしなかったかも。

最後

卒業式くらいの日に国試の結果発表で周囲は皆採点してたらしい。
僕は終わった瞬間に犬と遊ぶのとライブに行くことしか頭になかったからせず。
教育担当の先生に怒られた思い出。
卒業式はスーツを忘れビジネスカジュアルでいきました。
謝恩会とやらの教授たちにありがとうを言うものがあった。
卒業式の後かな。結構な先生たちによく来たねって言われた。
人付き合い最悪だったから。自分もよく出席したと思う。

医学部行って良かった?

未だに出身校の医学部は嫌い。
出身校は好き。
医師としての仕事はあんまり真面目にやってこなかったけど、入る価値がそこまであるかなと思う。
所詮は仕事に過ぎないんだと思うよ。そう言ったら怒る人もいるけどさ。

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