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分断された遺跡を見る
全国各地に存在する遺跡の中には、線路や道路によって分断されているものがある。今回は、航空写真からそのような遺跡を観察してみよう。
まずは鉄道の線路が遺跡を分断している例を見ていこう。
しなの鉄道 上田駅〜信濃国分寺駅間 (長野県上田市)
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画像の中央付近に寺の伽藍跡が二つ並んでいるのがわかる。右が信濃国分寺で左が信濃国分尼寺だ。そこを左上から右下へと線路が横切っている。国分尼寺はかすっている程度だが、国分寺は中心を容赦なく突き抜けている。当時のお坊さんがこれを見たら、さぞびっくりすることだろう。
近鉄奈良線 大和西大寺駅〜新大宮駅間 (奈良県奈良市)
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遺跡の多い奈良には、世界遺産の遺跡を線路が横切っている場所がある。左上から右下に伸びる近鉄奈良線は平城宮跡の中を通っている。この線路は平城宮跡の詳細が解明される前の1914年に敷かれたもので、景観の向上などの理由から近年は移設に向けた議論もあるようだ。かつて日本の中心だった場所が現在では通勤電車が素通りする場所になっているというのは中々感慨深い。線路が遺跡の景観にそぐわないという意見は大いに納得できるが、一方で、過去と現代が交わるこの場所にしかない魅力もあると思う。
旧関東鉄道筑波線 常陸小田駅〜田土部駅間 (茨城県つくば市)
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関東鉄道筑波線はもう存在しない路線だが、かつて小田城という城跡を分断して走っていた。上の写真を見ると、堀によって四角く囲まれた本丸跡に対角線線を引くように斜めに線路が通っていることがわかる。小田城は鎌倉時代から戦国時代にかけて使用された城で、「戦国最弱の武将」と言われる小田氏治の居城でもあった。同じ場所の最新の写真も見てみよう。
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線路は廃線となったが、痕跡はまだ見て取れる。しかしそれ以上に、城の西と南の輪郭をなぞるように通っている白い道が目立っている。これは廃線の跡を活用したつくばりんりんロードというサイクリング用の道だ。小回りの効く自転車であれば、堀の形に沿って走ることができるのだ。
JR奈良線 棚倉駅〜上狛駅間 (京都府木津川市)
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一見わかりにくいかもしれないが、画像の真ん中に前方後円墳が写っている。左側に前方部を向け、後円部をちょうど線路が分断しているという形だ。前方部の北側の道路の曲がり具合などから、うっすらとその形が推測できる。この古墳は椿井大塚山古墳といい、多くの鏡が見つかったことで古墳時代の研究において非常に重要な遺跡とされている。
貴重な古墳を線路が破壊しているのは残念だが、奈良線の拡幅工事によって石室が見つかり、鏡の発見につながったという経緯があるようだ。鉄道が通っていなければ墳丘の姿は守られていたかもしれないが、鏡も古墳に埋まったままで誰にも存在を知られず、研究も今ほど進んでいなかったかもしれない。そう考えると、遺跡破壊が完全な悪だとも言い切れないような気がしてくる。
続いて、道路による分断の例を見てみよう。
群馬県 県道2号 (群馬県太田市)
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大きな前方後円墳の周りにきれいな盾形の堀が巡っている。しかし、後円部側の堀を道路が横切っている様子が確認できる。全体が美しい形に保たれているだけに道路が通っているのが惜しまれるが、ぎりぎり墳丘を壊さずに済んでよかったとみるべきだろうか。この古墳は群馬県太田市の太田天神山古墳で、東日本で最大の古墳として知られる。画面右側に写っている女体山古墳は、男体山古墳とも呼ばれる太田天神山古墳と同じ向きに造られている。二つの古墳は年代も近く、関係の深い古墳だと推測されている。
秋田県 県道66号 (秋田県鹿角市)
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丸い形をした二つの遺構の間を一本の道路が通っている。まるで「%」だ。道路の左側の円が万座環状列石、右側の円が野中堂環状列石と呼ばれる遺構で、周囲の遺構と合わせて大湯環状列石と呼ばれる遺跡を形作っている。二つの環状列石は、名前のとおり石を環状に並べた縄文時代の遺跡で、祭祀施設や墓地としての役割を持っていたと考えられている。2021年の世界遺産登録がきっかけとなって道路の移設作業が進められており、将来的に分断は解消されることになりそうだ。
最後に
遺跡保護の立場から見れば、できれば分断しないで欲しかったということになるが、線路や道路もその場所を通る必要があってつくられたのだろう。実際、日々多くの人や物の移動を支えている。それに、よく考えれば開発によって完全に姿を消した遺跡も多いのだから、分断されているとはいえ現代まで姿を残しているだけでもラッキーな方なのかもしれない。
毎日乗る電車の線路の下や、よく通る道路の下にも昔の人の生きた痕跡が残されているかもしれない。そう思うだけで日々の移動が少し楽しくなるような気がする。