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航空写真で古墳を鑑賞する(珍しい現状編)
前回に引き続き、航空写真から古墳を観察していきたい。今回は現在の様子が少し変わった古墳を取り上げる。
場所が面白い古墳
まずは、古墳の立地に注目してみよう。下の画像には住宅街の中に円形のロータリーが写っている。中央には緑に覆われた丸い区画が見えるが、実はこれは古墳なのだ。蕃所山古墳といい、大阪府藤井寺市に位置している。周囲の住宅街がつくられた際に、このような形で保存された。古墳に合わせて街がつくられているのだ。
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京都府綾部市の私市丸山古墳は舞鶴若狭自動車道のトンネルの上に位置している。この古墳は道路建設に伴う調査により発見されたもので、当初は山を切り開いて道路を通す予定だった。しかし保存協議の末、古墳を避けるためにトンネルをつくることになり、現在も墳丘が保護されている。
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墳丘が面白い古墳
次に、墳丘の様子自体が少し変わった古墳を紹介しよう。奈良県河合町にある前方後円墳のナガレ山古墳は墳丘の東半分と西半分が異なる方法で整備されている。東側は築造時の姿に復元されており、西側は芝で覆われているのだ。航空写真で見ると、きれいに二分割されているのがよくわかる。
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静岡県掛川市の吉岡大塚古墳でも似たような整備方法が見られる。墳丘の北側は現状のまま保存され、南側は古墳が造られた当時の形に整えられている。さらに、南東の部分には墳丘の表面に石が復元されており、上から見ると三分割されている。
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栃木県宇都宮市の塚山古墳は、上空から見ると前方後円墳の墳丘の形に沿ったきれいな模様がついている。これは、所有者が古墳の形が分かりやすくなるようにとツツジなどを植えているためだ。花の時期にはとてもカラフルな姿になるらしい。この古墳は所有者による誇りと愛着によって守られてきたとして、過去に宇都宮市のまちなみ景観賞を受賞している。
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変化する古墳
最後は当ブログではおなじみのビフォーアフターに注目したい。まずは前回の記事でも触れた埼玉県行田市の稲荷山古墳を見てみよう。(まだ読んでいない方は下のリンクからどうぞ)
前回は日本最大級の円墳である丸墓山古墳に注目したが、改めて稲荷山古墳を中心にしたのが次の画像である。
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2015年の段階では稲荷山古墳の前方後円墳の形がよく見えていることがわかる。一方、同じ場所を1970年代に撮影したのが次の画像だ。
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隣の丸墓山古墳の墳丘の形は現在と概ね変わらない一方で、稲荷山古墳は前方部がすっかり失われているのがわかる。実は稲荷山古墳は昭和12年に土取り工事によって前方部が削られてしまい、現在見られる墳丘の前方部は平成になってから復元されたものなのだ。
「獲加多支鹵大王」と書かれていたことで有名な国宝の金錯銘鉄剣は、後円部から発見されたために工事によって失われずに済んだ。しかし、開発によって破壊されていった古墳は稲荷山古墳の他にも数多く存在する。
大阪府堺市にかつて存在していた百舌鳥大塚山古墳は、日本最大の古墳を含む百舌鳥古墳群で5番目に大きかった古墳だ。
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同じ場所の現在の様子を写したものが次の画像である。
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古墳が跡形もなく消え去っているのが一目でわかる。千数百年の時をくぐり抜けてきた百舌鳥大塚山古墳は、現在まであともう数十年というところで姿を消してしまった。もし今でも残っていれば百舌鳥古墳群の他の古墳のように世界遺産に登録されていたかもしれないし、歴史を動かす大発見があったかもしれない。
しかし、かつて古墳があった場所をよく見てみると、特に後円部あたりの道路の曲がり具合にうっすら墳丘の形を留めていることがわかる。百舌鳥大塚山古墳は存在が失われてもなお、住宅街の地割りにその痕跡を留めているのだ。
同じ百舌鳥古墳群の中にあるいたすけ古墳も開発の危機にさらされたことがある。昭和30年頃に土取り工事を行うために橋がかけられたが、市民による保存運動によって開発が中止され、保護されることになった。
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前方部の南側から堤防のような細い構造物が飛び出ているのがわかるが、これが工事のための橋の痕跡である。ぎりぎりのところで守られたいたすけ古墳は、今では世界遺産になっている。
長い年月をくぐり抜けてきた古墳は、後世の人の手によって消し去られたり守られたり整備されたりしてきた。さまざまな過去を乗り越えた結果として今の古墳があるのだ。今後、古墳たちはどのような運命をたどるのか。古墳の未来を左右するのは今を生きる我々である。