仕事のこと_③ケータイ・スマホコンテンツ制作時代
○携帯電話(ガラケーコンテンツ)制作時代
僕は6年間銀行システムのPG・SEをした後、1年間の専門学校生時代を経て、携帯電話(当時)のコンテンツを制作する会社に入社しました。
最近の若い人には伝わらないかもしれませんが、当時の携帯電話(今でいうガラケー・フィーチャーフォン)は、電源を入れるとメニュー画面が表示され、端末についている1〜9,0,※ボタンを押すか、上下左右ボタンを押してメニューを選んで機能を実行する、というものでした。
て、そのメニュー画面を色々カスタマイズできる、というコンテンツを作ることになりました。
その他、その会社では待ち受け画面を動くコンテンツでカスタマイズする「待ち受けFlash」というものがあり、それも作っていました。
入社当時は待ち受けFlashが流行っていて、入社した会社でもヒット作品が多数あり、それに加えてメニュー画面もカスタマイズできるようになったので、それを制作するプログラマーを探していた、ということで、僕が入社できるようになった、という流れでした。
その会社はベンチャー企業のような小さな会社でしたが、経営者がキャリアのKDDIやDocomoやベンダーのSH社などと交流があった為、新技術の情報を提供してもらっており、その会社で新技術を利用したコンテンツを制作するという流れになっていました。
オフィスは原宿のど真ん中でしたが、そこの雑居ビルにある小さな一室が勤務地でした。でも、新しいことを作るのに適したお洒落な環境だったと思います。
そこは、オシャレだったりかっこいいFlash待ち受けを作っている、デザイン重視の会社でした。ただ、デザイナーさんが多いけどプログラムは苦手な人が多かったので、デザイナーさんが作ったデザインや動きをプログラミングで動かしてコンテンツつとして完成させる、という仕事でした。
また、キャリアやベンダーから提供してもらう新技術を読み込み、デザインと合わせて、コンテンツとして具現化する仕事でした。
この時に、デザインデータはAdobe社のフォトショップやイラストレーターで受け取っていたので、専門学校で学んだ技術が役に立ちました。
普通に基幹系の銀行システムの仕事をしているだけでは、フォトショやイラレを使うことは全くないので、専門学校に行っていてよかったと思いました。
ただ、実務として使う為には、解像度やピクセルやキャンバスサイズなど細かく理解しないといけないことも多く、そこは会社に入ってから改めて教えてもらいました。
そうしてコンテンツを作っているうちに、なんとキャリアの商品発表会で使う為の、新技術を使ったコンテンツ制作の依頼が来ました。
技術を理解し、デザイナーさんにデザインを作ってもらい、コンテンツを作るわけですが、まずは発表会向けのデモ用にコンテンツを作り、無事にでもでも使用され、好評で、とても嬉しく思いました。
ただ、キャリアが製品発表するのは6ベンダー(携帯電話発売会社)で、それぞれのベンダーにより画面サイズや細かなコマンドの仕様が異なっていた為、それぞれのベンダーの機種向けに6種類作る必要があり、苦労したのを覚えています。
ベンダーが発売するのは微妙に1日づつずれていて、その発売日にコンテンツとして発売開始することは必須だった為、今日発売の機種向けのコンテンツはギリギリ昨日に制作が終わり、明日発売の機種向けに今日完成させないといけない、ということを毎日していました。。
ただ、発表会で使用されていたこともあり、発売すると人気で、1コンテンツで1日だけで確か20万円売り上げたりしました。
そうこうしているうちに、プログラムができる人が増え、デザインができる人も増え、待ち受けFlashとメニューの着せ替えをセットで販売することも好調で、結構会社も規模的に成長したと思います。
○スマホコンテンツ(Android)制作時代
ただ、そんな時に、「スマートフォン(Android)」というものが聞こえ出して来ました。
当時の携帯電話としては、二つ折りで上が画面、下がボタン、というのがデファクトスタンダードになっていましたが、そんな時代にボタンではなく画面を直接タップする、というところがまず大きく違っていました。
僕的に、特にスマートフォンが良いなと思ったのは、Webの画面をそのまま表示できる、というものでした。
携帯電話にも確かブラウズ機能はありましたが、携帯電話でWebサイトを見る為には、そもそもWebサイト側のコードの書き方をかなり携帯電話用にしないといけなかったと思います。今もスマホ用にレイアウトを調整して作っていますが、もっと大きく異なっていたと思います。
それが、スマートフォン用には、基本的にはコードの書き分けをしなくて良い、スマートフォンはすべてのWebページをそのまま表示できる、ということで、これはすごい、と思いました。
ただ、スマートフォンには動く待ち受けの機能は当初はなく、メニュー画面も容易に作れるものはなかったので、それまでの技術を活かしたり、会社のデザイン力を活かして、何か新しい事を作る必要がありました。
そこで僕と上司は、Androidについて研究して新たなコンテンツを開発する業務を命じられました。
技術を学び、面白そうだったり役に立ちそうなものを考え、企画を立てる、企画を実現する、というものでした。
この時、上司はスマートフォンで必要な、ヒットするコンテンツはメッセンジャー(チャット)ツールだ、と考え、自社のデザイン力を合わせて、スタイリッシュまたは可愛いメッセンジャー(チャット)ツール(アプリ)を作ろう、ということになりました。
実際に、可愛らしいデザインやアイコンをデザイナーさんが考え、企画から数えて確か1年後くらいにはリリースしました。
ただ、結果的には、残念ながら一般的な普及には至りませんでした。ただ、後のLineのヒット・普及を考えると、この考えは完全に合っていたと思います。スタンプでやり取りする、というアイデアは思いつきませんでしたが・・・。
その他、Androidスマートフォンでライブ壁紙というコンテンツが作れることになり、こちらはFlash壁紙に近いものということで、得意なデザイン力を使って作りました。
ただ、このライブ壁紙が電力を食い、スマホは電池の持ちがずっと問題だったこともあり、こちらも広まることはありませんでした。
その当時は、メーカーとの繋がりは依然としてあった為、メーカーがメーカーのユーザー向けに提供する小さな便利アプリなどを受注生産することが売り上げの柱になっていったと思います。
また、その他、ミュージシャンを多数抱えている企業の依頼を受けて、個々のミュージシャンの情報を紹介するアプリの制作も行いました。結構好きなミュージシャンもいて、会えるかと楽しみにしていましたが、素材の画像の提供はありましたが、会うことはできませんでした。。。
その後、とても人気のキャラクターを多数保持している、某巨大企業のアプリやコンテンツを制作することになりました。
この会社はユーザーに夢を売ることを本業にしている為、表現するもののクオリティにはとても高いものが求められました。ただ、そこは技術力があった為、そこに気に入って頂け、何年も続けて、何コンテンツも制作に携わられてもらえました。
そうこうしているうちに、だんだんと会社の状況が苦しくなってきました。
スマホ向けには、アプリでなんでも作れる分ヒットするポイントを絞りにくかった点、競合他社がとても多かった点、そもそもゲームの課金以外は利益を上げることが難しかった点が主な原因と考えています。
自社でも独自技術を使って新たなサービスを生み出そうとしましたが、それも成功しませんでした。
そうこうしているうちに、僕のいる部署は、上に書いた巨大企業との取引がずっと続いていた為、部署ごと他の会社に移ることになりました。
給与などの条件面は全く同じ条件が引き継がれた為、チームメンバーも同じで移り、勤務場所が変わっただけというような感じで、大きな弊害はなく移れたので良かったと思います。
ただ、移った先の会社で同じ巨大企業の案件をしていましたが、そもそも移る前から、勤務の生活リズム的に始業は遅めながらも毎日ほぼ終電近くという生活が何年も続いていて、このままでは嫌だという思いが募っていて、また、上司の見え隠れする見下ろした言動も契機となって、そこの会社を辞めることにしました。
ただ、今回はもう新たに学ぶような時間的・金銭的余裕はなく、また現在持っているスマートフォンの技術をこのまま使う意思はあったので、今の自分の能力を活かせる会社で、ライフワークバランスが取れて、さらに人とのコミュニケーションがより取れたり、より成長ができそうな会社を探し、数社の面接の後に今の会社に入ることになりました。
今の会社での現状については、また別で書こうと思います。
最後までお読み頂き、貴重なお時間を使って頂き、ありがとうございます。
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