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死ぬまでに見たいシーン

私は老人にはならないまま死ぬと決めている。

今日なんとなく、
Face App というアプリで、
素敵な老化という加工を
いろんな写真にやってみた。

夫婦で撮った写真なんかもやってみた。
2人でドーナツ食べながら何回も笑った。

素敵に老化した私は、
なぜか義父に似ていて、
妻は逆にうんと若くして、
姪と瓜二つになって喜んでいた。

私は60歳になったら死ぬと決めている。
だから死ぬまでにこんなに老けない。
だけどタイムマシーンみたいな感覚で、
初めて会う自分がどこか懐かしい。

もはやサンタクロースみたいな
シワだらけの自分をたくさん見ていたら、
なぜかじわじわうれしくなってくる。

そして気がついたら、
現在の自分が否応なく若いのだ。


死ぬまでにまだ14年もあるのだ。
人生ってあほみたいに長い。

こんなにも若くて、
でも結構ベテランの自分が、
まだ14年もシーズンを過ごしていいのだ。


これは贅沢なギフトだ。
そう思うことにしたらいいのにと思う。

アンチエイジングを熱心に唱えるような
健康な人ほど、老人としての人生が長い。

歳を取りたくないと抗いながら、
長生きした先に目にする自分も立派な老人だ。

自分が年老いた姿を、
AIが加工して見せてくれたが案外悪くない。


楽しくてずっと見ているうちに、
現在のありのままの自分の若さを痛感した。

卒業アルバムを見て、
否応なく若くて幼い自分に
恥ずかしくなるような感じと同じだ。 

それでいてどこか誇らしげでもある。
私は死ぬまでに見たいシーンが思い浮かんだ。


ラストシーンは決まっている。

60歳になった自分の、
鏡に映った顔を見た途端に人生は終わる。


そのときに私はたぶん笑っているだろうし、
パッと見た感じ、高齢者でもないだろう。


人生最後の日はすぐにやってくる。
それなりに私も老成していたり疲れているが
その日も変わらず働いているのだ。

Red Hot Chili Peppers みたいに
全身全霊でバイブスに込めて仕事をする。
そしてみんなに感謝して一日を終える。


それが誰かの一日に灯りを点したり、
思い出すたびに泣きそうになるような、
かけがえのないようなあたりまえになる。 

生きていようがいまいが、
それはたいした問題ではない。

最後にギブルウェイギブルウェイと
歌える人生って素晴らしいことだと思う。

そう考えると、
アンチエイジングなんてもったいない。 

味わいや深みが経年変化して増すことを
ビンテージというのはなぜか?

レーザーでダメージ加工したデニムを
ヒアルロン酸に漬けても意味はない。

日々の手入れ以上の、
訳の分からない加工な添加は、
不細工で不憫で無駄な抵抗だ。

無駄な抵抗はやめて出てこいー、言うて、
ドモホルンリンクルを捨てよ、街に出よ!

寺山修司先生やったら、
そない言わはるのと違うのどすやろか言うて。



気持ちよく、清々しく、
正々堂々と、潔く老けていく人は
圧倒的に美しい。


ドブネズミみたいに、
美しくなりたいなら思い出せ。
人生が100年も、あるわけないだろ!

写真には写らない
タータータタター♪が
あー、るー、かー、らー。

リンダ、リンダ。
リンダ、リンダ、リンダ、グラッドン。



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