インターネット上におけるシグネチャー性について
昨日からのTwitterのAPI仕様変更、及びそれに伴う他SNSでの急激な負荷によるゴタゴタでこれはアカウント登録しておくサービスは2個や3個じゃ足りんな・・・と思ったのでとりあえずブログ形式(?)のnoteに登録してみました。
今回の騒動を通して思ったこととして、やはりSNS上の人間関係というのはかなり脆いというか緩やかなものなんだなぁと感じました。やろうと思えばTwitterでのフォロイーフォロワーの別サービス垢を探し出してそっちでもフォローってのも可能でしょうけど、なーんかそれは違うような気がしたんですよね。また「別サービスでの自分のアカウントはこれだからよろしくね〜!」って無産オタクが喧伝するのもまた変かなって思ったのでbio欄に書く程度に。
他の人の新しいツイートは見えないけど投稿は出来るというなんとも不思議な体験ができたのはちょっと面白かったですね、一昔前にちょびっと流行ったひとりぼっち惑星を思い出しました。
で、タイトルにあるインターネット(複数webサービス)におけるシグネチャー性について、なんですけど。僕は今までは割とサービスごとに名前変えるタイプだったんですけど、今回ばっかしは揃えてた方がいいなぁって思ったんですよね。インターネットでの関係性ってのはあんまり強すぎるというかベタつきすぎない方がいいんじゃないかなぁという持論があって、それはまぁ一期一会性というかインターネットで出会いがあるのなら別れもまたインターネットだよねみたいな気持ちがあって、他サービスにまで関係性が続くと面倒というか大変だよねって思ってたんですよね。
ただ今回に関してはほとんど災害(人災ですが)があっての散り散りに避難したような感があって、こんなことが原因で一生あの人たちの投稿見れなくなっちゃうのはなんか悔しいなって思ったんですよね。まぁ向こうが別サービスでもつるんでくれるかどうかは全くわからないのですがそれはおいといて。んでまぁいきなり知らん名前の人が「俺だよ俺!」なんてフォローして絡んでくるより名前に見覚えのある奴がフォローしてきた方が安心ですよね。俺だよ俺!なんてウザい絡み方もせずに済みますし。
逸れつつあるので再びシグネチャー性についての話に戻りますが、まぁそうして良くも悪くもデジタルタトゥーというかあのサービスで知り合ったあの人ね〜みたいな同一性を保持するのも悪くないのかもなぁって思ったんですよね。というか新規移住したサービスでイチからタイムライン再構築するの大変すぎます、不便。
そんなわけでユーザー名は危機的利き手のままmisskey.ioやらpawooやらでボソボソ喋ってますんで、Twitterから引き続き絡んでやってもいいぜって人はフォローなりしていただけると幸いです。多分これでまとまりましたよね、おしまい。
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