【馬券に役立たない競馬話】天皇賞に触れて

はじめに

始めましての方が殆どかと思われますが、Misskeyで日々競馬のグダグダをTLに垂れ流すBotことPharoah(@Pharoah@misskey.io)です。

何でいきなりNoteやねん、と思われると想像しますが、今回の24年天皇賞秋を見るにつけ、それなりに語りたい事等がございまして。
まあ、いつも通りに思考をTLに垂れ流して壁打ちSNSを謳歌する生活も嫌いではないのですが、ことSNSというものをいざ「何を考えて」「何を思った」のかという「記憶容量の外部委託」と考えた時、

『そう言えばあの時にあんなことを言ったような…』

…というセルフ振り返りの際のタグ付けとして、やっぱり外部テキストサービスに記事として分離しておいて置く形式のほうが整理がつくなあ、と、至極当たり前の結論をSNSピー年目にしてようやく悟ったため、このような形で筆をしたためようと思いついた次第でございます。遅っそ…♡♡♡ざぁこ♡♡♡

いつもの殴り書き駄々洩れ思考とは違ってある程度整理をつけるつもりではありますが、何分このように長文をコツコツと書き留める経験は全くのゼロのため、乱筆乱文、お見苦しい点などございましたらご容赦願いたいです。

また、内容につきましても、私Pharoah本人の独断と偏見、ワタシケイバゼンゼンワカラナイが勝手に思ったたどたどしい思考の断片の集合であり、これは最初に明確にしておきたいのですが、間違いなく競馬予想に役立つ!とか、馬券が当たるようになる奇跡体験!札束風呂!女!みたいなアレではありません。

アレの有名な例
https://note.com/nanbu_kan_ei/n/n633447724d96

ではなにか?と言われれば、先にも述べた私Pharoah本人の「記憶容量の外部委託」ということがまず一つで
全然関係ない話ですがメモを取るというのは「覚えておかなくていい」という点で「脳内のメモリ容量」の削減に極めて有効に作用する、私のような頭100メガショック野郎には欠かせないライフハックであります故、ここぞとばかりに擦ってゆきたい所存であります。
そして2つ目、わざわざ人目に付くところでこう…思考を裸踊りのように開陳し、筆を執る理念として

『明日の競馬が楽しくなる文章』

という目標を掲げて、せっかく貴重な時間で見ていただくわけですから、ちょっとは楽しいものを皆様にお届けできたらな、と考えております。
挨拶として長くなりましたが、まずお付き合いいただければ。



24年天皇賞を考える

馬場とペースから見る天皇賞(秋)の変遷

まずは事実の確認から。以下が実際のレースラップになります。


12.8-11.5-11.6-12.0-12.0-11.9-11.8-11.1-11.1-11.5
59.9-57.4 決着タイム1:57:3

比較的スローの流れからの後半決め手勝負。特に後半はほぼほぼ緩んだところもなく、馬場も最内から1~2頭分を除けばしっかり伸びるBコース初週としては比較的内外フラットな出来であり、G1デーにふさわしい…



…というのが『普通の』回顧です。
ちなみになのですが、この競馬Noteを書くにあたっては某マスクマンの方のNoteを大変にリスペクトしており、僕のようなよわよわ競馬おじさんがあんなプロに歯向かおうとしたところで、ベジータにシャッガンで抵抗する農民程度の話をして終わりになるだけですので、もうちょっと変化球なお話として、過去を振り返りつつどうだったのかを探っていきたいと思います。


13.1- 11.8- 11.3- 11.7- 12.0- 11.5- 11.5- 11.7- 12.1-11.6
59.9-58.4 決着タイム1:58:3(85年サクラユタカオー)


調べたところ、最も古いラップタイム掲示のある天皇賞秋は85年サクラユタカオー(テスコボーイ!)のものでした。
2000m前後での淀み無く流れる持続力が特色であったユタカオーの特色が良く出ているレースと思います。
スタートしてからあまり乱れることなくラップを刻んでほぼほぼすべて11秒台、最後の直線の坂で12.1を刻むもそこから加速して勝つという、実に立派なラップ推移です。綺麗ですよねコレ。
調べていただくと分かるのですが、実はそこから、天皇賞秋はおおよそこの1:58~2:00程度で決着するレースを続けており、馬場や天候で遅い年はあれど明確に早!って声が出てしまうレースは08年のウオッカ(1:57:2)まで時が流れます。
その間約20年。
おじさんが老人にチェンジする程度の年月で、武豊がだいたい全盛期から全盛期になります。はて…?

この間、日本では輸入種牡馬3強が台頭して血統の勢力図は大きく入れ替わり、芝の高速化が進んでスターホースの怪我の増加問題が盛んに議論され、スペシャルウィークが主人公になったりオペラオーが魔王になったりディープインパクトが翼を授かったりと、それなりにエピックな出来事があったにも関わらず、こと天皇賞秋に於いてタイム感の変化というのは存在していません。

これって、なんか不思議だと思いませんか?

府中の長い直線を耐えうる持続性に特化した『府中の鬼、トニービン』や最早語るまでもないであろう『日本競馬を変えた馬、サンデーサイレンス』の産駒たちが次々とG1を勝ち、芝の高速化は盛んにメディアで騒がれ、速度の上昇と馬の怪我が結び付けられて語られていた時代でした。しかしどうでしょう、タイムという数字を取って見ると、日本の競馬における花形競技、芝中距離のど真ん中であるこの天皇賞秋に於いての決着タイムはそこまで変わっておらず、高速化、という言葉とは縁遠い気すらしてきます。

勿論ラップだけでレースが語れるなどと言う気はありませんが、あくまで数字的なインパクトとしては、この区間に特別なレースのコペルニクス的回転のような転換期は見受けられないというのが、日本の競馬がメキメキと力をつけていた印象が強い90年代の競馬としてはなかなかの違和感を覚えるな、というのが印象的。
競馬って、その時その時の一番強い馬を決めているだけで、競技として進歩していないのでしょうか?サラブレッドは走るとだいたいこんなもんってことなのでしょうか?


13.0- 10.9- 11.2- 11.4- 12.0- 12.1- 12.4- 12.4- 12.0-11.6
58.5-60.5 決着タイム1:59:0(97年エアグルーヴ)


さらに詳しく見ると、90年代はこういった感じのちょっと前傾なペース配分のレースが多めです。この年はサイレンススズカが前半を引っ張った形。
ゴール前での前年覇者バブルガムフェローとエアグルーヴの壮絶な叩き合い…今にも三宅アナの声が聞こえてきますね。
バブルか!エアか!?エアグルーヴゥゥゥゥ!!!!
超エキサイティン!!!!

でも今回はそっちではありません。

そうです、サイレンススズカ。
武豊はスズカで金鯱賞(中京芝2000m)を勝った後のインタビューで、のちに残る有名なコメントを残しています。

「夢みたいな数字だけど、58秒で逃げて58秒で上がってくる競馬もできそうな気がしてきました」

Number「理想のサラブレッドに見た夢」片山良三

このコメントから分かることが一つあります。

「当時の一流の競馬人からしても、芝の2000mを58.0-58.0で上がってくるのは一種夢物語として甘美な響きを持つほどに憧れの数字」だということです。
ユタカさんが言うんだから、そうなんでしょう。

前後半を58秒で纏めるとして、すると決着タイムは1:56:0になりますね。
先ほど述べたようにこの時代のタイムは58~00秒、その差は約2秒。たったそれだけ。でもでも、そんな夢の味がする素敵な2秒間を一体全体どうやってその懐に収め切ってしまうのか…?そんなことを日本中のホースマン、そして何より私達ファンが追い求めていた時代でした。

ファンからも、何よりも鞍上の武豊からもサイレンススズカにかけられたこの夢は、しかし実らずに府中の秋の空に決して消えない幻だけを残して消えゆくことになったのは、最早語らずとも皆様ご存じでしょう。

沈黙の日曜日は、実際体感しても悲痛としか言えないものでした。個々の部分に大きく振れることはしませんが、一応リアルタイムの雰囲気感を味わっている身としてはああいう事はないほうがいいよと真摯に思います、絶対ね。

…閑話休題。
90年からゼロ年代はそれほど強烈なラップ感の進歩が起こったわけではありませんでしたが、そんな、競馬の生きるレジェンドが夢見ごこちで語っていた「夢のラップ」の尻尾の端に私たちファンが実際的な感覚で触れることになったのは11年の天皇賞秋まで待つことになりました。


12.5 - 11.0 - 10.8 - 10.8 - 11.4 - 11.8 - 12.0 - 11.9 - 12.1 - 11.8
56.5-59.6 決着タイム1:56:1(11年トーセンジョーダン)


平成の暴走特急シルポートが序盤をありえん速度でスッ飛ばし、全く緩まないハイペースでも最後まで脚を延ばしたトーセンジョーダン&N.ピンナの大金星。
ジャングルポケットから受け継ぐトニービンに加え、母クラフティワイフ一族も府中を庭とする根っからの『シン・府中の鬼』が、レコードを約1秒一気に更新し、既に10年以上前の秋の府中の大欅の下で夢想した『夢のラップ』に一挙に現実味を加えたのがこのレース。
シルポートは沈みましたが、ある意味このタイムの立役者でもあります。ゼロ年代後半からにかけて、90年代のラップの特徴であった「やや前傾」は影を潜め始め、前後平均、ないしは後傾気味のラップが顔を出し始めます。そんな風潮に全力で冷や水を浴びせるシルポートもしっかし強烈な馬でしたね…

終い重点競馬…
わるいインターネッツの言葉を借りれば「ドスローからのヨーイドン」という、最終直線の瞬発力を高く求められる極限の切れ味勝負が台頭してくるのは、意外とこれぐらいの年代からになってきます。
とはいえその事が悪いわけではなく、90年代と比べると全体タイムは確かに早まり57秒台の決着がちらほらと見えてくるのもこの頃から。最も極端に後ろに偏ったのは05年のヘヴンリーロマンスでしょうか。天覧競馬で有名なあのレースです。なんと前半62.4秒。
冷静に考えて、流れたほうとはいえ一番最初に貼ったユタカオーの時代ですら59.9で流れているわけで…相当な我慢大会が発生したことは想像に難くないはずです…

こういった傾向に一石を投じることになったこの天皇賞秋とシルポートくんの過激すぎる前傾のラップは、今見ても実に滋養深く意義の深いものだったと思います。実際問題として、豊が語った「夢のラップ」からは遠いものであるにしろ、レース全体のタイム感では58-58にほぼ匹敵していますからね。
夢を捕まえるための準備が着々と整ってきました。

さて、芝の高速化、という話に戻ります。
結論から言えば、高速化自体はあったという風には思います。ただ、それはラップ構成の変化の中での話であり、昭和の競馬は「ある程度の速力で走り続ける」才能の勝負だったのに対し、平成の競馬は「一定の区間を犠牲にしたりして、ある区間に高いトップスピードを求める」競馬へとパラダイムシフトしたと言えます。それ自体は高速化というよりかは戦法の洗練化と呼ぶ方が正確なところなのかな、という気がしますが。

ただ、その結果出来上がる最高速区間は昔の速力と比べて確かに高速化したし、事実結果としてタイムは1秒ほど短くなっている…

と言った感じでしょうか。
多分それほど変化球な意見でもなく、ありふれた結論ではありますが…しかして現実問題として、この90年~10年ぐらいまでの20年間に於いて決着タイムにおける『1秒間のパラダイムタイム短縮』があったことは数字の示すところであり、間違いのない現実です。

『レーストラック』という理念の追求

今、Youtubeで昔のレース映像はかなり簡単に遡ることができます。
そうやって見る80年代後半の、特にスプリンターズSや有馬記念なんかを振り返ってみた時に、令和の競馬ファンが全員思うことがあります。

「…この芝、枯れてない?」

はい。ナニコレ馬場土かオイ?と思ったあなたは正しいでしょう。
一面のクソ茶色に染まったトラックを、土を跳ね上げて走る競走馬たち。昔はそれが普通でした。
当たり前ですが芝は冬は枯れるものなので、別に不思議でも何でもありません。むしろ現代において有馬記念の12月4週でも、競馬場の路盤と青々と伸びる芝の美しさは寧ろ全方位に誇り称えるべき概念です。これはJRAと馬場造園課の不断の努力によって息づいている結晶であり、強い信念でもあります。
これは、強火の思想であり、JRAの覚悟の形でもあると考えます。それはどういうことか?
自分のNoteを引用します。多分凱旋門賞かなんかの話をしている時のです

ただ、海外の造園に文句をつけるのもまた違う気がするんよな
これはサーキットが好きかラリーが好きかみたいな話で、グラベルの上を走れないF1カーに価値なんか無いと言ったら多分◯◯扱いされるけど、何でか馬だと「高速馬場専wwww」みたいな輩が許容されるらしい(ちょっと良く分からない)

レースとしての公平さを見るならJRA式かも知れないけど、これはそもそもJRAって組織の「国」ってところと「公正競馬」って標語にすべての思想が詰まってると思うし、一番イーブンなレーストラックはサーキットであるって結論なんじゃろ。国権が不公平さを許容するわけ無いしな

逆に貴族同士の「競争」が根底にある欧州競馬で過酷さに耐えうる馬が一番強い、って思想も欧州の馬場には反映されているわけだから、歴史も含めた文化の違いとして見る側が慣れるべきだと思うんよな

https://misskey.io/notes/9k5twl3ocm

…言葉が汚い(迫真)
思わずたまげそうになりましたが続けます。
トラックの理念を考えた時に、上を走る馬達に何を求めているのか?という思想の違いが、欧州競馬と日本競馬の路盤の質に表れているよね?ってことを言いたいんだと思います。

F1カーは車のジャンルでめっちゃ早いですが、サーキットに転がる石ころ一つでクラッシュ不可避です。アップダウンは越えられないし、ピッカピカに磨き上げられたサーキットの中でしか生きられないでしょう。でもそれは、見る人、作る人がそのスピードに魅せられているからそうなっているのであって、そもそも石だらけでアップダウンのある道に出すことなんて誰も考えてないんだから当然じゃないですか。という、ただそれだけの話です。

これは競走馬の質にも言えることで、JRAは「競走馬はピカピカに磨き上げられたコースの上で極限のスピードを競うべきだ」という理念の下で競馬を開催しているに過ぎない、ということでしかないわけです。
逆に欧州競馬各団体は「歴史と伝統のある艱難辛苦の道を踏み越えて先頭に立つ者こそを真の強者と称えるべき」という伝統的思想を有している。という違いの話でしかないよね?という例え話を、分りやすく書いたつもりでした、その、多分ね…おそらく。きっと…

そして最初に述べたように、冬には一面の茶色だった芝は技術の進歩により真冬まで青さを保つようになり、繰り返された路盤改修で10m以上掘り下げて改良された土壌と排水システムは、ちょっとやそっとの雨を撥ね退け馬場状態を維持し続ける…
日本の競馬場は世界でも有数のハイテックな『理想のレーストラック』です。それはル・マンでもモナコでもないのです。
エアレーション技術や芝の品種の工夫など、数多の試行錯誤を加えられた馬場は、各種のスタッツから見ても『馬場を維持しつつ、固すぎず』を現実に体現した(その辺の数字的な結果はJRAの公式で毎開催公開されている情報なので各自ググってどうぞ)正に「公正明大な競争を執り行える」場であり続けています。
具体的に言えばクッション値は近年は9前後で固定されており、よほどの大雨が降り続けでもしない限り8を切ることもないという感覚があります(欧州は雨降ると余裕で4.いくつとかになる)
JRAの指標に依れば、クッション値が10を超えると「やや硬め」で、12程度になると「硬め」ということで、2023年の6月に「5.4」の日があり無茶苦茶柔らかかったのですが逆に10を超える日をそこまで見たことがありません(たまにあるようですが…)

一般に言われる『超高速馬場』というのは、あくまでスタッツキャスト的数字上ですが、JRAの競馬開催に於いて存在しない、というのが私の見解です。

ただ、クッション値の公開は比較的近年の出来事であり、90年代どころか10年代もあまりデータが無いのですが、関係者の口から「引き締まりすぎて固い馬場」という言葉が出るのは80年代~90年代初頭であり、馬場の高速化が問題になり始めた初期中の初期にだけ、たまに(特に乾きやすい冬季に)出る言葉だった…ということを覚えておくと「現代の競馬の馬場保全って滅茶苦茶頑張ってるんだな~」と思えるかもしれませんね。
余談ですが、ホーリックスの勝った89年JCとかガチガチだったらしいと何かで読みましたね…クッション値の上の方の数字は(実際にどの程度だったか知る手段が無いので想像になることをお断りしますが)その時代の名残であるのかもしれません。

クッション値の概要を説明し終えた辺りで既に7000字近いのですが、この目の滑る長文は何を伝えたいのかというと
「馬場は恐らく綺麗で整って言っているが、極端に反発係数の高い所謂高速馬場が極まった状態、というものが近年出現した形跡は存在しない」という前提の前置きがしたかったのです。
この手のスタッツの公開が始まったのは17年からで、実際の数字も追えます。めっちゃ見づらいけど。

今年度は9.6で発表があり、レコード決着だった23年イクイノックスの年は9.0でした。
あまり数字の多い情報ではない(というかまとまってるところが無く調べにくい)のですが、額面上、今年のほうが去年より馬場は早かったと言えるようです。

まとめ

ここまでを纏めると

・歴代の天皇賞のタイムは進歩に至る戦法のパラダイムシフトがある
・馬場のスタッツは、90年代と比べると明らかに洗練されてはいるが、高速になったという事実はなさそう

ということが挙げられます。
ようやく本題へと移りますが、実は1年前の天皇賞秋が終わった次の日にMisskey競馬部内でこのPharoahとかいうのは一つの怪文書【:kaibunsyo_itadakimasita:】を投稿しております。こちらです

天皇賞秋の2000mを前半58.0-後半58.0って、90年代から競馬見てる人間にとっては「サイレンススズカに見た夢」でもあるんですよね。
なんたって他ならぬ武豊自体がそれを「夢みたい」と言いながら語っていたこともあるわけで、サイレンススズカのあの日からの続きと同じく「叶わないからこその夢」であったとも言えるかもしれない

去年の天皇賞秋で、パンサラッサが1000mをあの日のサイレンススズカと同じ57.4で通過したことを「あの日の続きを見られた」と表する人間を何人も見たし、それぐらいあの「沈黙の日曜日」のショックってものすごくて、当時ゲームで初めて競馬を知った僕でもなんだか寒々しい空気を感じたりしたから、パンくんの去年の大快走は、こういうのが未来への雪解けなのだろうなと思った。あの日からの解き放たれて、今度は未来に夢を見る番だってね。

イクイノックス、23年天皇賞
57.7-57.5 1.55.2

多分ここにいるウマ娘から競馬に入ったりした皆さん、皆さんが昨日見たあのレースは、そんなサイレンススズカの夢に呪われた90年代の競馬ファン達が待ち望んでいた「あの日からずっと夢見ていたレース」だったこと、覚えておいてほしいなって思いますね

https://misskey.io/notes/9lftbu87tw

このレースは、本当にすごかったのです。
何といっても、98年に武豊が語った「夢のラップ」が、ここに結実しております。一頭の怪物によって成し遂げられたそれはまさに夢であり、理想でありました。
また、前年(22年)の天皇賞秋に於ける『令和の大逃亡者、パンサラッサ』への賛辞(というかやたらにおセンチな強火怪文書)も述べられており、当時の私と言えば

パンサラッサの前半57.4という因縁の数字から繰り出された大逃亡劇が、凍り付いたあの「沈黙の日曜日」の時計の針を動かして、これからの未来へと歩みを進める道標になってくれたんだ…!

ぐらいは思っていたような気がします。お前結構いい感じにお脳焼けてんな

でも本当にそれぐらい価値のあるラップであり、シンザン宜しく今後の競馬界は「夢のラップ以後」の世界観へと突入する新たなステップへと移行したんだな、と強く認識されられるものでした。まさにこれこそが新時代の扉ですね(今年のダービージョッキーから目を背けながら)

そこからの23年天皇賞のラップがこれです


12.4 - 11.0 - 11.5 - 11.4 - 11.4 - 11.4 - 11.4 - 11.6 - 11.4 - 11.7
57.7-57.5 決着タイム1.55.2


美しすぎるラップです。前後半はフラットから息を入れられない直線と、最後ルメールが緩めた分の最終1Fの減速ラップ、最後まで追っていたらどうなっていたのでしょうか?人間の脳を焦がすに相応しい、芸術性すら感じる数字の羅列ではないかと思います。

では、もういちど今年のラップを見ましょう


12.8-11.5-11.6-12.0-12.0-11.9-11.8-11.1-11.1-11.5
59.9-57.4 決着タイム1:57:3


明らかな違いとして約二秒遅れているのは基本的には前半の数字であることが分かります。
これは11年度シルポート、22年度パンサラッサ、23年度ジャックドールのような強烈な逃げ馬が不在であったことで前半をスローで折り返しているからに他なりません。というかラスト3Fは完全に今年のほうが早く、去年は序中盤でそれほど緩まずに進行したレースがラストまで脚を使えたか?を試されていたことがはっきりと見て取れ、今年は逆に中盤まで溜めた脚をどこまで伸ばせるか?という内容を問われています。
よく「後ろが32秒で走らんと物理的に届かないだろ!後ろ何しとんねん!」とレース後に野次が飛んだりX(旧twitter)(笑)で愚痴ったりする姿が散見される「競馬あるある」ですが、本当に32秒台で差し切る奴があるか!(阪神川藤かなにか????)と叫びたくなく爽快感MAXの上がり3Fです。

個別感想と今後について

(さて、私事ですが既に書き始めて4日経過しており流石に心が折れそうなのと、どうしても今日に間に合わせたかったのでもうちょっと書くことあったのですがとりあえず纏めて公開する方向で行きます…もう9000文字超えてんのよ)

これはホウオウビスケッツの絶妙なペース配分が作ったラップであり、鞍上岩田望来の手腕含めて「腕で持ってきた」3着だと言えるでしょう。今回の騎手枠でMVPを決めるなら、私は望来を推したい。
また、レース前に「基本穴のないレースだとは思うけども、あるとしたらスロー展開からの先行勢の前残りで、マテンロウスカイ、ホウオウビスケッツ、ノースブリッジのどれかが3着に残れば上出来」と言っていたのでまあまあ読めていた展開ではありました。
実際マテンロウスカイもノリさんがほぼほぼ出来ることはやり切った5着であり(枠的にマテンロウスカイはインベタ3~4番手で死んだフリするだろうなって感じでしたね…)、この二頭の掲示板を見る限り基本的には前決着のレースだったとみて間違いないかと思われます。

ドウデュースに関しても、一応◎を打っており、おそらく直線が長くて道中のペースが上がらない2000はベスト条件だと考えていたため、この差し切りは爽快ではあっても驚くというほどの結果とは思っていません。
これくらいできる子だよおドウくんはさ…

タスティエーラは驚きの二着でした。
父サトノクラウン(父父Marju)は「芝中距離以上で重馬場歓迎なタイプ、似たところだとBagoあたり、良馬場の時計勝負ではなく府中の2000で57秒台まであり得る想定では苦しい」として切った身としては完全にしてやられたやつなのですが、レース後に『母クラフティワイフ系はトーセンジョーダンやカンパニーを輩出した天皇賞秋特攻の母系』といわれ「たーしーかーにー!!!!」と一人部屋で悶絶したため私めの完全な敗北であったとして翌日ベンチで冷たくなった村田と戸崎が発見される運びとなりました…
どう考えても晩成傾向が否めなさそうなND直系のサトノクラウン(Marjuって、98年JCでMontjewやスペシャルウィークと一緒に走っていたインディジェナスの父なんですよね…時代バグってないか君????)も、8歳でG1に手が届いたカンパニーも晩成傾向が見え隠れするところを見ると、なんというかとても今後が楽しみな一頭であります。
あと、飼い葉食いの関係で輸送でない方が良績なので関東の場で買うべきでしょうね。JCも一考の余地があります。

見直したい枠としてはダノンベルーガでしょうか。
私はこの馬のことを3歳から「歩様が…超怖いよ…今にも怪我しそう…」と言い続けていましたが、幼駒の時の怪我が原因であり改善しないままここまで走ってしまっています。特に府中では抜群に良く、もう後肢の歩様の悪さとは付き合いながらどうするか?という段に入っています。むしろこのレベルの馬を競走馬として保ち続けている現代の調教技術と堀厩舎に最大の賛辞を贈りたい。
今回は明らかに調整が上手くいっておらず(足が難しいので休み明け初戦から仕上げられないのは当然の帰結)明確に叩きだという感じがしました。パドックでの落ち着きのなさも「ガス抜きが出来ていない」という感じであり、一走叩いて色々抜けた次が買うタイミングでしょう。JCに行くのであれば恐らく人気しませんし、先に言ったとおりに府中適性は抜群です。妙味は大きそう。

最後に、また夢を見せてくれたおドウくんのJCですが…

大変個人的には馬券は買わないと思っています、紐まで。
強烈にピッチの早い馬で、非根幹のトリッキーさが求められる中山などであれば距離が持つのでしょうが、府中では2000以上で積極的に買いたくない、というのが正直なところです。
タイプとしてはグラスワンダーが近いところ。
あの馬もピッチで、1400まで重賞実績があり、コーナーの多い有馬記念は連覇しており、府中は最後のほう止まりそうになる馬でした(エアジハードに負けている辺り)

まあそれが馬券的結論なのですが、秋古馬3冠が見たくないかと言われたら見たいに決まっていて、武豊で、イクイノックスが到達したサイレンススズカの夢のラップの先に追いつくことがあるならばこれほど華やかでドラマティックな馬はそうそう居ないはずです。ましてや今年のJCのメンツの華々しさたるや…!英独日ダービー馬の競演するJCなんて生きてる間に二度目があるか怪しいレベルの豪華メンバーです。見られるだけで幸せですよそりゃ。

去年、98年のあの夢の続きが開かれたと思ったときに、風景はいったいどうなるのかと考えたりもしました。夢想の先のことを考えることはあるのでしょうか?それ自体が夢なのに、言うなれば「夢の夢」を考えるような行為であり、それは当然未知であり、期待もあれば一抹の不安もあるものだったことを否定しません。
おじさんですから「昔は良かった~」なんて絡み酒に走っても良いご身分ですしね(変換でゴミ分と出て今「You喧嘩売ってんのかメ~ン????」となっています、おっさんは社会のゴミ、ってコト…????)

しかしいざ一年経って、ドウデュースくんが見せてくれている夢に真剣に興奮して、日本の威信をかけたJCが控えており、来年はコントレイルの子も、ましてやイクイノックスの子も見なければならず、どうでしょうか…

まあしかし、競馬って素敵なものだな…と真摯に思うのでした。

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