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《植物電子の本》について

 先日、ギターアルバムの新譜の案内がオフィシャルからされた。愚かにもGreen Nerveに入団している私は、先行予約をせんと意気込み特設サイトを開いた後、驚愕した。私は『新・平沢進は無害か』の終章にて、平沢のギターアルバムを買うと公言したが、どうやらそれは叶わなくなりそうである。

 その問題のギターアルバム収録の各曲のタイトルが以下である。

01: 記憶草の万象歴
The History of Omnificence in Memory Grass

02: 植物電子の本
The Book of Phytoelectron

03: 浮揚花の野辺で
In the Field of Floating Flowers

04: 登山する植物
Mountaineering Plants

05: 連峰の雪の赤い花の領域
Area of Red Flowers on the Snowy Mountain Range

06: 放浪種子 電離層へ向かう
Wandering Seeds Head for the Ionosphere

07: 遠征する青い花が光に根を張る谷
The Valley Where the Blue Flowers on Expedition Take Root in the Light

08: 受粉電荷 未来へ帰る蔓
Pollination Charge: Vines That Go Back to the Future

09: 見えるのは光ですか?はい 光です
Is It Light that You See? Yes, It Is Light

10: 思い出してください やって来ます
Remember, It Will Come

https://www.susumuhirasawa.online/thebookofphytoelectron

 お気づきだろうか?そう。タイトルが異常なまでに冗長なのである。すべてが説明されきったタイトル。聴衆に自由な発想の余地を与えないタイトル。聴衆を演者と同じ方向に向かせ、右へ倣えさせるタイトル。平沢の見せたい景色をはっきりとさせたタイトル(こういえば聞こえはいいだろう)。平沢はBig Brotherを体現しようとしているのだろうか。過去に「連呼せよさあ 思慮は今罪と知るべし」という歌詞を書いた人物と同一とは思えないほどである。

 どうやら平沢の中では「『針孔の光芒』に見る『これから来るもの』の世界」が絶対的に善(光)であり、そこに皆で旅立たなければいけないらしい。「光」と「闇」は平沢の中で今一番アツいトレンドだろう。
 私は『新・平沢進は無害か」の中で、「『BEACON』では命令形の動詞が増えたことも大きな特徴である(「見よ」や「聴け」、「立て」など)。もともと平沢氏は「私はこのように考えた。オマエタチは好きにしろ」と言ったスタンスをとっていたが、そのスタンスは「私はこのように考えた。オマエタチも同じように考えろ」というスタンスに変わったのだろうか。」と指摘したが、どうやらこれは本当だったみたいだ。

 元馬骨の方がこのアルバムに対して「そんなに孤独なのか?」という感想を投稿していた(このような視点を持った方が”元”馬骨であることは非常に惜しいことである)。平沢はP-MODELのアルバム《Potpourri》あたりからコミュ障による孤独を感じ、鬱を発症していると思われる。あの頃の「さみしさ」という感情が、今は「理解されない」という意識としてぶり返している。人から理解されない孤高のミュージシャンというイメージ像はやはり辛いものなのであろうか。

*なおサンプル「記憶草の万象歴」の洗練された浄化されるような音作りは好きです。ECHO-233みたいな。


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