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本当に「昔はよかった」?

「昔はよかった」って、誰でも一度は耳にしたことがある言葉ですよね。映画やドラマ、あるいは親世代の何気ない会話の中で、
「あの頃は自由で良かった」
なんてフレーズを聞くと、ちょっとしたノスタルジーを感じることがあるかもしれません。
けれど、それって本当に正しいのでしょうか?
今回は、この「昔はよかった」という感覚がどこから来るのか、そしてそれが日本やアメリカ、さらには発展途上国でも同じように語られているのかなどを、掘り下げてみたいと思います。

あの頃の空気感

「三丁目の夕日」を思い浮かべてください。あの映画では、昭和30年代の東京の庶民的な暮らしが描かれています。
ご近所同士の助け合いや、家族の温かい絆、子どもたちの無邪気な遊び——どれをとっても「良き時代」の象徴のように見えますよね。
でも、当時の日本は戦後復興期にあり、それぞれが日々の生活を維持することに精一杯だったという現実もあります。

一方で、アメリカでも「良き昔」という感覚はよく語られます。
1950年代のアメリカは、第二次世界大戦の勝利とともに経済が大きく成長し、郊外の一軒家に住み、家族でダイナーに行く…そんな「アメリカンドリーム」の時代として描かれることが多いです。
でも、その陰には、人種差別や男女間の不平等といった、現代では公式にはタブーとされる問題が普通に横行していました。

なぜ昔が良く感じられるのか

人が「昔はよかった」と感じるのには、いくつかの理由があります。
一つは「思い出補正」です。
過去の記憶は、良い部分だけが強調されやすいという脳の特性があります。たとえば、子どもの頃の夏休みが長かったと感じるのも、楽しかった記憶が脳内で濃縮されています。
また、大人になってから受ける仕事の忙しさやストレスなどは、現在進行形で感じ続けているマイナスの部分なので、より一層このマイナス部分が強調され、「昔はよかった」感が相対的に強くなります。

また、社会全体が変化していく中で、「あの頃はもっとシンプルだった」という感覚もあります。例えば、昔はスマホもSNSもなかったため、現代のように情報過多に悩むことはありませんでした。
その代わりに、固定電話や手紙でのコミュニケーションが主流だったわけですが、スマホを知らない当時の人たちにとってはそれが当たり前で、不便だとは感じてはいませんでした。

発展途上国ではどうなの?

この「昔はよかった」という感覚は、発展途上国でも見られるのでしょうか?
興味深いことに、多くの発展途上国でも似たような現象が起こっています。
たとえば、急速に都市化が進むアフリカの国々では、
「昔の村社会のほうが助け合いがあって良かった」
という声が聞かれることがあります。家族や村のつながりが強かった時代には、子どもの面倒を共同で見たり、農作業を協力して行ったりする文化が根付いていました。
しかし、その一方で、昔は医療や教育のインフラが整っていなかったために、多くの命が失われたという現実もありました。

また、東南アジアの国々では、
「経済成長前の生活のほうが心が穏やかだった」
と語られることがあります。
急激な経済発展とともに競争が激化し、伝統的な価値観が失われたと感じる人々が増えています。特に、大都市では仕事のストレスや環境汚染、社会格差が問題視される中で、昔ののんびりとした生活を懐かしむ声があるのです。

ただし、それが本当に「良かった」のかは一概には言えません。例えば、昔の農村での農作業は過酷でしたし、教育や職業選択の自由が限られていたケースも多々あります。
「昔はよかった」という言葉には、過去が美化されるという「思い出補正」とともに、現実の良い点が見えにくくなるという「現実補正」の双方向の影響があります。

まとめ——過去を懐かしむことの意味

「昔はよかった」という感覚は、人間の本能的な性質なのです。
過去の良い部分を思い出すことは、現在の困難を一時的に和らげる効果があります。
でも、現代には現代の良さがあり、過去には過去の問題がありました。
ノスタルジーに浸るのも悪くありませんが、大切なのは、過去から学びつつ、今をどう生きるかを考えること。それこそが、「良き時代」を未来に作るための第一歩なのではないでしょうか。
「整っていくガイダンス」、「増えていくコンプライアンス」とともに今日も楽しく行きましょう!

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