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【反論により自分が下がるという話】

家事分担を巡る考察。
明確に分担しようと決めたわけでもないが、
自分がやる事が多くていつの間にか自分の役割となっている家事ってあると思う。
うちでは朝の食器洗い。
在宅ワークか多いので妻の負担を軽減しようと率先して始めたが、いつの間にか、たまたま早朝の出社で食器の片付けが出来なかったり、単に忘れたりした時への批判を浴びるようになった。

こちらとしては、妻の負担を軽減しようと善意でやってるので、
食器洗いが出来た時はプラス、
出来なかった時はプラマイゼロ、くらいの感覚だ。
プラマイゼロで批判されるのは何事か、これなら最初からやらなければ良かった、という気持ちになってしまう。ルーチンワークとなってしまうと、褒められもしないのに、たまたまやれなかったり、中途半端な実施になっている際に批判を受けるだけで割に合わない。

今朝も家事についてのいざこざがあり、こう反論しようとしたものの、一旦脳内で思考を巡らせた。

そもそもこの食器洗いは「妻の仕事」なのか?
善意で始めた、と書いたが、これには「自分がやらなくても良いことだが…」というニュアンスが含まれているし、心の中ではそう思っていた。恩着せがましい感じがある。家事は当たり前に妻がやるもの、仕事で家族を支えている自分は家事から解放されて当然だ、とさえ思っていた。よく考えるとこれはおかしいのではないか。

出来なかったらプラマイゼロ?
家事は誰かがやらないといけない仕事で、この多くは妻がやっている。プラマイ理論で言うと妻は常にマイナスで、夫に家事が分担されることで初めてプラマイゼロとなる。私の考えているレイヤーよりも1段階ずつ低い。

最初からやらない方がよかった?
ここにも「妻がやるべきことを俺が手伝ってあげている」というニュアンスが含まれるし、実際にそう思っていた。が、妻はいつも多くの家事を当たり前にやってくれている。
この俺のマインドセットは危うい。人として終わっている。得意な家事や好きな家事はあるだろうが、絶対的に妻がやるべき家事などはない。

0.1秒でこれらの思考を巡らせ、今朝は反論をやめた。早朝から出社予定であったため、素直に食器片付けの引き継ぎをお願いし家を出た。
普段の感謝まで伝えられればよかったと今になって反省するが、それは帰宅してから伝えよう。

危うく、よくあるモラハラ夫ばりの反論をかましてしまう寸前で留まれてよかった。反論しても勝ち目や勝ち筋自体存在せず、ただただ自分を下げるだけだった。

妻に多くの家事を任せている時点で私に反論する資格は無かった。
今朝はちょっと反射的にイラッとしたが、それは自分のマインドセットが原因であった。

家事について、ラストマンシップを持っている夫は素晴らしいと思う。うちなんか、妻がいなくてはすぐに家の中は荒れ放題だ。

照れくさがらず、妻への感謝を言葉に出して生活してみようと思った満員電車の中であった。
仕事ではできるのに家ではやらないんですね、ととある漫画の主人公が言っていたな。
夜の男性よ、モラハラ夫になるなかれ。

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