電気音響変換器と囁きについての試論、メルカディエとボールドウィンの発明とその創出の背景についての一仮説の検討(小此木記)
序論
前略、イヤホンあるいはヘッドフォンについて、考えていたことをここに記してみたいと思います。というのも、現代に生きている人々の、特に若者の多くが、ほぼ毎日の如く身に着けているものというところで、このイヤホンといった音響変換機と称される電子機器があります。街歩いていて、こんなにもそれを装着する人を見ない日は無いといって異論はないでしょう、今やすれ違う人の半数近くが耳に何かしらの電子器具をつけて歩いているという事態に気づいたときには、それが我々の子供時代に触れたSF作品の様相にも思えてくるのです、何やら不思議な機器を皆が皆携えている、それに強いこだわりを持っていたり、あるいは、なくしたり、壊れたり、絡まり散らかしたりすると酷く動揺する、これは異常です、知らず知らずのうちに、新しい文明がいつのまにか切り開かれている、ただそれが前衛的な見た目をしておらず、目立った形をしていないだけで。私はこの特殊な電子器具について、一つ思いついたことがあり、駄文をしたためている次第です。
イヤホンを耳にあてるとき、耳に触れる直前までは、羽虫のはばたたくが如き小さな音が、我が耳の穴を塞いだ途端、その音で以外の何物も聞こえなくなる、それだけで頭が満ちる、そして私が聞いている音は、ほかの人には聞かれることがない。これを思いついたものがいたとすれば、それがたとえ仕組みとしては理解に難くないとしても、優れた発明家であるように思われるのです。
本稿は、このイヤホンの発明者という、私たちにとっておそらく未知のままであるはずの人物についてを、まったくの専門外ながら追って知らべ綴っていこうとする試みになります。ただ、そんな素人の調べものをここに掲載しても面白いことは一つもないので、私は調べる前に思いついたアイデアを、仮説的にでも考えていることをここで示してそれを検討するべく、言い換えて、読み手の皆々様と一緒に答え合わせをするレクリエーションとするべく、恐縮も恐縮ですがここで一つ、私の予想を打ち立てさせていただこうと思います。
私は思うのです、この不思議な装置の発明者、そのインスピレーションは、その人に、耳元で誰かが小さな声で何かを囁いたこと、それが発明のきっかけじゃないのかしら、と。誰にも聞かせられない内緒話が、そのひとの頭にだけ響かせて、その人以外には聞かせない、そんな発想を与えたのじゃないかと思う。例えば、恋人の愛の囁き、それとも子供との秘密の内緒話。誰か彼を愛する者が、加齢臭のする彼の耳の近くにそっと唇を寄せて、彼だけに聞かせる唄、歌、詩、そんなようなこと、あったのじゃないかと思うのです。
さて、そんなロマンスや戯れがあったのか、ここから皆さんと一緒に、その顛末を見ていこうと思います。
本論
さて、イヤホンの歴史の根の部分には、電話の発明というものがあります。電話の完成は、1876年、偉大なる発明家アレクサンダー・グラハム・ベル(Alexander Graham Bell, 1847-1922) によるとされています。しかし、発明史研究の界隈では当然とされているようですが、これは当然彼一人による発明ではありませんでした、その前史には、実験哲学の祖といってもいいでしょう、かのフランシス・ベーコンによるユートピア小説「ニュー・アトランティス」(1627)での音声通信のアイデアがあり、同年代に登場した科学者ロバート・フックによるワイヤーを使用した糸電話の実験があり、そして1800年代に至ると、かのモールスによるモールス信号が開発され、そして1854年のイタリアでは、ほぼ電話と言ってよい代物が発明されていたといいます。
ベルの発明から数年後の1881年、電話の実用化に次ぐ実用化に伴い、ここでもう、さっそくヘッドホンが登場します。当時は交換台という場においてオペレーターの方たちが電話線をつなぐことで、離れている人々の音声を繋いでいたのですが、この時オペレーターの方々が耳に当てていたのがヘッドホンとなります。形状は、現在のそれとは大きく違い、レシーバーを耳に当てているようなものとのことでした。
そして1891年、フランスのエルネスト・ジュール・ピエール・メルカディエ(Ernest Jules Pierre Mercadier, 1836-1911)が、はじめてイヤホンというものを開発し、特許を取得しています。その形状は、以下の写真の通りです。
これこそ、我々の知るイヤホンといって差し支えないでしょう。ヘッドホンについても1910年にアメリカで、ナサニエル・ボールドウィン(Nathaniel Baldwin, 1878-1961)が、現在のものと遜色ないものをこの時に開発しています。頭部に沿う棒に、二つのレシーバー、これを自宅のキッチンで作り上げて、そして現行のヘッドフォンに至るわけです。特にこのボールドウィンのヘッドホンは遮音性に優れ、米海軍は戦場の喧騒のなかで通信を可能とする氏の発明品を買い取ったという逸話があります。ちなみに、彼はキッチンで作り上げたこの偉大な発明品を「とるに足らないもの」とし、特許をとるつもりもなかったそうです。
さて、これでもう十分でしょう。知りたいこと、確かめたいことに必要な前情報はこれくらいでいいと思います。ただしかし、私が知りたかったのは、彼らの、その発明の瞬間の心情だったのです、が、それらについて得られる情報はほとんどありませんでした。発明史に、創出の動機は不可欠だと素人ながらに思っていたのですが、このメルカディエとボールドウィンの情報、ひととなりを知ることは現状難しいというのが正直な処です。ここまで調べてきたことはまるで、出来そうだから出来た、ということ以上のものはない。
私の想うところであった、誰かの囁きがインスピレーションを与えたというのは、どうやら的を得なかったのだという事は周知のことと思います。ボールドウィンの、「とるに足らない」発明だから特許はとらなかったという言葉が、どこまでも私の失望を後押しするものだったのは、いうまでもありません。
囁きの概念は、ロバート・フックにまで遡り、糸電話の段階であればその可能性があったのかもしれません。しかしフックの、あの血も涙もない科学主義を思えば、その希望も潰えます。糸電話、あの、子供の戯れに試し、離れている誰かの小さな小さな声が聞こえてくる、不思議でいて、それだけが楽しくて、夢中になっていた科学者もいたのだろうか、今はそんなことばかりに思いを馳せています。負けた科学者、真理を掴み切れなかった科学者だけが、私の愛せる科学者です。音を振動の波であると発見されるまでは、遠くの小さな囁きが届くことの神秘を、突き詰めたいと思っていた人もいたのだろうかと、それくらいが美しい科学だと、それくらいのことに私はロマンスの可能性を残すばかりです。
正直に打ち明けると、今回、本稿の表題を敢えて仰々しくしたのは、まったくの皮肉です。馬鹿馬鹿しいものを、馬鹿馬鹿しいままにしておくのは悔しいので、私の思い通りにならない科学のやり方で振る舞ってやりました。
何もかもうまくいかない今日この頃です。何も救われない今日この頃です。負けることも、間違えることも、そして、負けて間違えてすっころび、あぁ私は負けましたよ負けましたともと、敢えて見苦しく振る舞い、引かれ者の小唄を謳うのにも、いささか疲れました。そんな見苦しさ、だれにも求められていないと、その悲哀を振りかざす悲哀自体にも限界を感じました。負けて、負けたときに負けたと振る舞う逃げ方にも負けました。科学者になりたかったのです、美しい科学者になりたかったのです、が、美しい科学者はすでに死んだ科学者で、死んだ科学者を目指しては、はなから科学者にはなりえないのでした。どこまでもどこまでも科学に負けます。負けたさきには、なにもかもに負けます。明日も負けにいきます。
令和六年度、6月初旬、小此木