どんな繋がりでも
誰かと繋がっている。
そう感じるだけで、
私は外界から切り離されてはいない
そう思える。
その繋がりがSNSだろうと
クラスメイトと言うくくりだろうと
写真に一緒に写っているだけだろうと
何か、
自分が認識している内界とは異なる所で自分を見つけると
自分は、外界と繋がってはいるんだ
孤立はしていないんだと
思える。
ただ思えるだけ
それでも孤立してる
すぐに連絡取れないの?
会ったことないの?
顔分からないのに
そんなこと
どうでもいいんだ。
今必要なのは、
自分が何かしら外界と繋がりがあるという
目に見えるものがあること。
たったそれだけで、
心が
精神が安定するときがある。
真の繋がりでないとか
真の安定でないとか
そう言われてしまうと
その通りかもしれない‥としか言えない。
でも、
少しでも、
この不安定で
臆病で
小心で
ネガティブな部分を
少しでも、
一時的に見えなくすることができるのなら、
それで十分、苦しみから削られる体力と気力は減る。
その減った分で、他の何かが出来るなら、
縋ってもいい。
縋ることは悪いことなんかじゃない
一生変わらないのは、
自分自身の為に、
避けなければならないけど、
直接、会い話し、
新たな世界を見ることができるようになったとき、
それまで繋がっていたものが
更に強固なものになると思うんだ。
時に、
その繋がりで、
互いを他者を傷付けてしまうことがあるかもしれない。
でも、それは一時的に過ぎない。
気付けば過去になる。
ずっと心の中に住み着いたとしても、
自身の選んだ道に必要な苦しみだったのだと思おう。
とても苦しくて辛くて、
何で自分がこんな目に遭わなきゃいけないのか、
そう疑問に感じる事も多いかもしれない。
でも、
顔を知らない
声を知らない
素性を知らない
会ったことのない
存在で
SNSだけ
写真だけ
同じ空間にいただけ
ただ、
それだけの繋がりは、
たった一つしかないわけじゃない。
探せば沢山ある。
人は、
たくさん存在して
直接的に
間接的に
一瞬でも繋がる。
それはどんな意味でも
確かにつながるんだ。
だから
忘れないで。
記録
記憶
思い出
いつか、
あなたを
君を
手助けしてくれるから。
それは、紛れもない真実だから。