古の海神 - かじぃのポータル再訪紀10 宗像大社辺津宮
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宗像大社。
2017年に「神宿る島-宗像・沖ノ島と関連遺産群」としてUNESCOの世界遺産に登録されて話題になりました。
耳にした事があるよ、という人も結構いるのではないかと思います。
「何がそんなに凄いの?」と聞かれるかもしれませんが、オレはこう答えることにしています。
「日本神代の『神を祀った形式』がそのまま残っているのが凄い」と。
神社で神を祀るという形式は、時代によって変化してきました。
例えばの話。
前回紹介した東郷神社なんてのは、近代になってからできた神社です。
神仏習合なんていう時代もありました。
神道に仏教を合体させて一緒に拝むという形が一般的だった時代です。
現代の神道というのはこの仏教と合体した後、神仏分離して再整備されたものです。
従って、とても「古代から伝わってきた神道の形式」が残っているとはいい難いわけです。
まぁ、東郷神社なんかは特別だとして、神社の主祭神のほとんどが記紀に記されている神々なわけですが、一番最初に記紀で鎮座地と神名が明確に出てくるのがここ「宗像大社」と「宗像三女神」なわけです。
「宗像三女神」というのは、古代より宗像氏が祀ってきた海神(わだつみ)でして、市杵島姫神(イチキシマヒメ)、湍津姫神(タギツヒメ)、田心姫神(タリキビメ)の三柱です。
しかも、この宗像大社は「神を祀っている形式」も最古なのではないかと言われていて、実はMAPで明記した場所だけが「宗像大社」と呼ばれているわけではありません。
正確には、福岡県宗像市田島という陸続きの場所にあるのは「宗像大社辺津宮」といいます。
玄界灘の沖合、6kmくらいの場所にある筑前大島に建てられた「宗像大社中津宮」、そして九州本土から60kmくらい離れた場所にある沖ノ島に建てられた「宗像大社沖津宮」。
これらの三つを以て正確な「宗像大社」とされています。
でかい。とにかく規模がでかい。
沖ノ島なんて、福岡と対馬の真ん中あたりですよ。
そんくらい離れた場所も含めて宗像大社なわけです。
沖ノ島には古代祭祀遺構が埋蔵文化化されず、露天のまま手つかずの状態で残っています。
この沖津宮の祭祀場は4世紀末から9世紀にかけての遺構のようです。
いわゆる考古学でいうところの「失われた4世紀」。
古代神道が成立した古墳時代から、律令国家として日本が成立し、仏教が広がるまでの期間。
この期間というのは、当然宗教と政治は密接に結びついていますし、なにより律令国家成立と仏教の普及により日本が新しく生まれ変わったため、それ以前は古く悪しき時代として(都合の悪いこともあったでしょう)抹消されてしまったのではないかっていうくらい資料が残っていない時代なわけです(残っているのはほぼ記紀-古事記と日本書紀くらいなもの)。
古代神道、しかも国家規模の祭祀、しかも露天のまま、ほぼ手つかずで残っている。
歴史上、宗教上ともにものすごく貴重な遺構なわけですね。
おまけに、辺津宮にも古代祭祀の原型とも言われる神域が残っています。
社もなにも一切なし。
ただ石造りの柵に囲われただけの露天の聖域「高宮祭場」。
これらが最古の古代祭祀遺構として残っており、「最古の古代祭祀形式」と呼ばれているわけです。
2020年8月15日、朝にこんなTweetをしていました。
Ingressのポータルとして、この宗像大社沖津宮が登録されているわけです。
これは2017年頃にはもう分かっていた事なのですが、すっかりその存在を忘れておりました(;´Д`)
沖津宮がある沖ノ島、実は「禁足地」でして島全体がご神体とされています。
もともと、祭祀関係者以外(つまり一般人)は5月に行われる年に一回の大祭の日に限定200名しか上陸を許されていませんでした。
また、沖ノ島は「沖ノ島原生林」として国定の天然記念物として登録されています。
草木一本に至るまで持ち帰ることはできず、沖津宮に関しては別名「不言様(おいわずさま)」とも言われているように、その様子を他言してはならないという風習も残っており、メディアに露出する写真撮影ですら特別に許可を得なければならないという厳格なルールが定められていました。
今現在は、UNESCOが世界遺産登録に際して島への接近・上陸対策を要請したことを受け、2018年以降、一般人の上陸は全面禁止となっています。
何がマズいかっていうと、これだけはきっちり言わせてね。
冒険野郎ばっか集まってるIngressのエージェントがそんなポータルに対して「入ったらアカン」ことを知らずに突撃かます可能性って十分にありうるやろ?
そんなわけでIngressのポータルとしては「甚だ不適だと言わざるを得ない」場所にポータルがひょっこりと生えておりまして。
それに対して、詫びをしなければならない気がしたわけです。
「エージェントを代表して」とか言うとまた反感を買いそうな気がするけども「誰も謝らないのならオレが代わりに謝っておきますわ」という、そんな心持ち。
2020年8月15日「東の方に海を見に行くか」という気になったのは、そういうのもあった事は否定できません。
さて、前置きが長くなってしまいました。
暑い中、バイクでやってきました宗像大社辺津宮。
この前に津屋崎海岸と東郷神社を巡ってたりしますけど。
本命はここ。
大門に飾られている沖ノ島のポスター。
すっげぇでっかい磐座の写真ですかね。
雰囲気ありますね。
そしてそのポスターの上には菊の御紋がどーんと。
これだけでもう凄い。
なんでかって?
日本国の紋でもあり(パスポートにも記されていますよね)、皇室の紋でもある十六葉八重表菊紋を使うことを許されているわけですよ。
国から。
それだけでもう、この神社が特別扱いなのがわかります。
拝殿から本殿を望む。
土曜日だったにもかかわらず、人が少なかったのはお盆のせいか、コロナ禍のせいか。
ここまで人が少ないのははじめてでちょっとびっくり。
人が少ないからこんな角度で拝殿の内装まで撮影できちゃう。
はい、建物自体が国指定の重要文化財です。
本殿は「五間社流造 杮葺」で、拝殿が「切妻入造 杮葺」です。
いやぁ、杮葺っすよ。
薄い木片を一個一個幾重にも釘打ちして葺いてる屋根。
めちゃくちゃ手間がかかるし、定期的に葺き替えもしなきゃいけないはず。
重文や国宝級の建物って、管理大変っすよね。
こちらは宗像大社辺津宮の御神木。
楢の木ですね。
樹齢550年だそうで。
神紋についても説明がなされています。
菊の御紋を表門としている理由なんかも。
拝殿の右側にあった碑。
結構古そうですね。
筑前宗像鶏卵荷主中とあります。
鶏卵・・・何の関係があったんだろう?w
調べてみたら1879年とありました。
明治12年。
そんな古いわけでもないか。
末社由緒。
古代律令制度の成立により定められた神社私有の土地「八神郡」。
九州では宗像だけなのね。
遠賀、鞍手、糟屋郡まで広がっていたのだというから、まぁ広い。
境内にある末社121社。
ずらりと並んだその姿は圧巻です。
末社ってのは所謂「ゲート」で、ここにある社と領地内に散らばった社の間に神威を伝えるネットワークが張り巡らされているわけです。
それだけでもうエモい。
ご飯三杯くらいイケます。
本殿を裏側から見上げるとこんな感じ。
杮葺と朱塗りの垂木が非常にいいコントラストを醸し出しています。
美しい。
さて、本殿から高宮参道へと入ります。
参道の脇にもこんな社があったりする。
鬱蒼とした鎮守の森の中の小径。
その向こうに見える社。
うーん、実に絵になる。
もう一体の御神木、相生の樫。
二本並んだ樫の木が夫婦寄り添うようにして生えている事から相生の樫として、恋愛成就の御神木として祀られているんですね。
はい。辺津宮の第二宮と第三宮です。
第二宮が田心姫神、第三宮が湍津姫神を祀っておりまして、島に渡らなくとも辺津宮に参れば参拝できるよう、分霊して祀られています。
社殿はともに明神造。
最古の建築様式とも言われているようで、古式ゆかしいデザインにときめきか止まりません。
そして小径を進み、マスクに息苦しさを覚えながらも階段を登ると、高宮祭場があります。
この石でできた柵の中が御神域。
他の参拝者も居た手前、御神域を撮影するのはちょっと控えました。
背後で権禰宜さんがおみくじ掛けに鈴なりになったおみくじをわっさわっさと袋の中に入れている作業もしてたし(;´∀`)
古代の祭祀形態については、この高宮祭場の案内板が一番端的に説明できているのではないかなぁ。
現在は本殿や拝殿等の社殿で祭祀する形態。
古代神道は「万物に御霊は宿る」というポリシーのもと、磐座(岩)や神籬(樹木)といった自然そのものに神を見出し祭祀するスタイルだったわけですね。
だから、沖津宮にある古代の祭場やこの高宮祭場では、社殿は存在せずに露天で祭祀を行っていて、古代の神道の祭祀の形を今に残す貴重な文化財なのです。
厳しい夏の日差しを鎮守の森の木々が遮り、天然のモザイクのように木漏れ日が揺れていました。
とても優しくて印象深い光景を目にすることができました。
と、思ったら……。
大門を潜り、太鼓橋を渡って二の鳥居を潜ったあたりで足元に違和感。
見てみると…。
靴底がモゲてる?!
オレ、なんか悪いことした?!?!
宗像大神と三女神様の気分を害するようなことした?!
「沖津宮にポータルなんか生やしてごめんね」って謝罪に来たので、「謝罪しに来たヤツにとりあえず神威を見せとこうか」ってことなんです?!
そんなご無体な……(;´∀`)
まぁ、地面もめちゃくちゃ暑かったのと経年劣化でしょうかね(苦笑
この後、片足を引きずりながらバイクに乗って帰宅しましたとさ。
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